第4話 送長虫の章

 山では時折、信じられない程長生きで賢い獣に出くわすことがある。

 どんな罠にも捕まることなく、礫や矢の射程には決して入らない、そもそも人目に触れる事すら珍しい、そんな獣だ。

 それは熊だったり兎だったり大きなずくだったりと、種は決まっていない。一早く危険を察して狩人や山火事等の災害から逃れ、呆然とする人間を遠くから悠々と眺めている姿に、人々は神を見出すこともあるだろう。


「ですが、彼等は神ではございません。彼等の身に棲むがそうさせているのでございます」


 大人の拳二つ分程の長さのは、普段は清流に棲み、細く透明な身体を覆う鱗を陽光に煌めかせている。


「おいら、知ってるよ! みずち、って生き物じゃない? でも、みずちってのは恐ろしい化け物なんだよね?」

「よくご存じでいらっしゃいますね。ですが、これから話すは、みずちのような化け物ではございません。せせらぎに紛れ、時折、呼吸の為に水面に顔を覗かせるだけの無害な存在なのでございます」


 それは確かに無害な存在ではあるのだが、極稀に、水浴びや水を飲みに来た生き物の体内に入り込んでしまうことがあった。


「獣の体内も水気は豊富、暫くすると、それは獣の身に馴染んでしまいます。獣の体内は清流よりも滋養豊富な棲みかかもしれません。ですが、果たして心安い棲みかと言えるでしょうか?」


 やがてそれは、新しい棲みかの周囲が危険に満ちていることに気付く。新たな棲みかは常に外敵に狙われ、山は何時でも静かで豊かな実りを約束するとは限らない。幸い、それには水と空気を味わう為に鋭敏な感覚が備わっている。山のどの生き物よりも優秀なそれを使い、宿主が少しでも永く健やかに過ごせるよう、より良い餌場へ誘い、天災や外敵の気配を察し導く。


「何処に美味しいものがあるか教えるなんて、凄いなぁ。そいつは色んな事を知っとるんだな。りんちゃんと一緒だね」


 羨ましそうに目を輝かせるくちなわに、常に笑いの形に持ち上がっているりんの口元が、更に上がる。


「少々違います。それが知っているのは、例えば、宿主の好物が木の実かどうかではございません。『宿主が好ましいと感じる心』を察しているだけなのです。ですから、もしも同じ種の獣に棲みついたとしても、常に同じ餌を求めるとは限らないのです。それぞれに味の好みの違いはありましょうから」

「ふうん、そっか……そいつ、利口なんだね」


 くちなわが感心して小さく唸る。言われてみれば、何が宿主になるか分からないなら、好みや食べられる物を逐一覚えるより、「美味しい」「心地よい」という感覚を感じ取る方が簡単に違いない。

 りんが続ける。


「それが察するのは好物だけではございません。宿主が本能的に嫌がるものを感じ取り、避けるように働きかけます。獣はそれに己の養分を分け与え、それは己の棲みかを守る。どちらも得るものがあり特に問題は起きません。いえ、獣の方は、それが身に宿っている事に気付いてもいないでしょう。何事も無ければ、その関係は宿主の寿命が尽きるまで続きます」

「宿主の寿命? そいつの寿命が先に尽きることはないの?」


 りんは、首を傾げるくちなわに頷いて見せた。


「勿論、それとて寿命はございますが、その間隔は、熊よりも、人よりも……大樹程にも永いのです。ですから、必ず宿主の寿命の方が先に尽きてしまうのです。とは言え、宿主とてそれのお陰で、他の仲間達よりはずっと永らえております。もしかしたらには、『ようやく死ねる』と安堵しているかもしれませんね」


 くちなわは身震いした。

 自分は今、知ってはいけない事を聞いているのかもしれないという恐怖が、じわじわと身体に染みていく。他の生き物の寿命に関わるなど、それはもう神様と同じなのではないのか。くちなわがそう口にすると、りんは笑った。


「いえいえ、あくまでもそういう性の生き物、というだけでございます。誰しも、居心地の良い所で過ごしたいものでございましょう? そこに不思議はございません」

「でもそしたら、そいつはどうなるの? 宿主と一緒に死んじゃうの?」

「いいえ。宿主を離れ、清流に帰ります。寿命を終えようとしている宿主を水のある所へと誘い、宿主が力尽きるまでそこに留まるのです。やがて、動かなくなった宿主の身体から這い出ると、水の中へと戻っていくのでございます」


 くちなわは暫し考え込み、


「でも、宿主が水場で死ぬとは限らないんじゃない?」

「仰る通りでございます」


 例えそれが宿主を操れたとしても、何かの拍子に宿主が命を落とすこともある。身を乗り出すくちなわに、りんは細い目を更に細めた。


「その場合は近くの水溜りなりに潜り込みます。水さえあればそれは生きることは出来ますから。水場が無ければ、地に潜り、石の様に身を固くして時を待ちます。固まった身体は雨に濡れるとしなやかさを取り戻し、地に伝う雨水を通って、より多くの水を求めて動き出すのです」


 くちなわは不安を覚えた。


「宿主の獣を見分ける方法はないの? その、おいら、獣を捕ったりするんだけど、気付かないで触っちゃったりしたら……」

「触れたくらいでうつることはございません。元々は水生の生き物です、死んだ身体からはすぐに出て行ってしまいますし、余程の事……例えば、死にたての宿主を丸飲みにでもしない限り、わざわざ他の身体に潜り込むことはございません。そもそも、宿主が人に捕まるようなこと自体が無いでしょう。宿主が嫌がることから遠ざかるのがそれの性なのですから」


 安堵の息を漏らしたくちなわの身が、その後に続くりんの言葉で固まった。


「ただ、宿主となった獣は、肌の一部がそれの肌と同じ鱗状に変化しているそうでございます。それが目印と言えるかもしれません」


 くちなわの手が、確かめる様に己の腹に触れる。布の下に感じる鱗の感触に肌が粟立った。


 水に溺れた母。より多くの水を求め移動する生き物。程なく母の腹に宿り、体の一部に透明な鱗を持って生まれた赤ん坊。その気になれば、宗太の拳を避けることなど訳ない自分……。


(りんちゃんの話は、嘘じゃないんだ……本当に、居るんだ……)


 恐ろしかった。得体の知れない生き物が自分の身に宿っている事実に、胃の中身がせりあがる。

 くちなわは震えを隠し、りんに尋ねた。


「……ね……に、名は無いの……?」

おくり長虫ながむし、と呼ばれております。その見た目と、宿主を送る性から付けられた名でございます」

(蛇に、蛇が棲んどるのか)


 ほんの僅かな間、くちなわの顔が泣き笑いに歪んだ。父がこの事態を思い描いていたとは思えないが、己に付けられた名に宿命を感じずにはいられなかった。

 それからどんな話をしたのか、あまり憶えていない。次にくちなわが意識したのは、りんが柳行李を背負った所からだった。


「それでは失礼致します、くちなわ様。お元気で。どうぞ、心安くお過ごし下さいませ」


 りんが藪の中に消えその気配が感じられなくなっても、くちなわはぼんやりと座り込んでいた。白昼夢の様な出会いがうつつだと告げる様に、懐に仕舞った小袋から微かなにおいが立ち上った。

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