第6話 焦りを心に抱えながらも勉強したり
買い物を終えた後、クローツを家に送ってから、私はクロス教官と二人で養成学校へと戻った。入学手続きも終わり身分証も入手したからか、今日からは臨時で泊めてもらった職員寮でなく、一般の学生寮へと移る許可が出た。早速、少ない荷物を抱えて引っ越しをする。
寮暮らししている生徒は他にもいるが、私が引っ越した先の四人部屋は、まだ私以外には入居者がいなかった。教官の手回しで同室になるはずのクローツが寄宿舎入りするのも、もうしばらく先の話だ。
夜には食事を済ませてから、人の少ない時を見計らってお風呂に入る。
本当は長風呂が好きなのだが、私はまだ、男性の裸を見るのにも自分を見られるのにも慣れておらず、長湯するような余裕はなく、挙動不審にならないよう気をつけるので精一杯だった。
寮に個別の風呂がない以上、こればかりは私が徐々に慣れていくしかない。
養成学校は半年の基礎コースと、一年間の応用コースの二種類が用意されていた。
私はまず基礎コースを受けてみて、冒険者としてやっていくだけの実力が足りなさそうなら、その時は改めて、応用コースも受けるという予定でいる。
そうして無事に学校を卒業したら、すぐに冒険者ギルドにて、冒険者資格試験を受けるつもりだ。
資格試験は戦闘能力が最低限に達しているか確認する為のものなので、養成学校を卒業した人なら大抵は受かるというし、多分大丈夫だろう。
その後、低レベルの魔物相手に実戦経験を重ねつつ、お金も稼げれば理想的だ。
二段ベッドに潜りこむと、すぐに眠気が襲ってくる。
……夢を見た。
それは、幼い頃の記憶。元の世界の思い出。
帰る必要など微塵も感じていないのに、人の深層心理とは、そう単純ではないらしい。
未練なんてない。
戻れなくて構わない。……戻りたくなんかない。
そう思っているのに、どうしてこんな夢を見るのだろうか。
それも、実の両親が仲睦まじかった頃の、幸せの残滓を。
元の世界に戻っても決して得られぬ、失われた日々でしかないのに。
目が覚めて息が詰まり、枕元に置いておいた水筒の水を飲む。
頭を振って夢を追い払う。自分の心の弱さを見せつけられた気がして嫌だった。
世界に独りきり、頼れる人がいないのを心細いと思う程、人のあたたかさに包まれて育ってきた訳でもないのに。
……また、目を閉じる。
眠気はじきにやってきた。
翌日からは体力作りの他に、クローツから送って貰った教科書を使って、独学で勉強も始めた。
私がいるここは、ルアーム大陸の南西にあるカロロック連合に連なる国の一つ、シッシーナ王国という国だそうだ。
そのシッシーナ王国で三番目の規模の街、ジュラ。それが今、私がいる街の名前となる。
夏は涼しく冬は穏やかという過ごしやすい気候で、付近には低レベルの魔物しか生息しておらず、非常に暮らしやすい環境で、避暑地としても人気がある。
周囲が低レベルの魔物ばかりだから初心者冒険者向けという理由で、この地に冒険者養成学校が建てられたそうだ。
ちなみに、国内に養成学校があるのは、この街を含め三箇所だけだという。最初からこの街に連れてきてもらえた私は幸運だった。
貨幣はルーグという単位で、日本円に換算すると、多分、1ルーグは五円から十円くらいだろうか。
硬貨は大小二種類の銅貨・銀貨・金貨で構成されていて、その他に別格である聖骸貨というものもあり、あわせて7種類になる。
紙幣は使われていないが、トロンカードで、銀行預金からの引き落としによる取引が可能なので、貨幣の種類が硬貨だけとはいえ、お金の持ち運びが嵩張る心配はあまりないようだ。
学校は小学校があるが、義務教育と呼ばれるものはない。そして試験さえ受かればいつでも卒業可能で、学校に通う年数さえ人それぞれだという。
そしてこの国には、中学校は存在しないようだ。小学校卒業後にすぐに就職する場合を除けば、高等学校か各種の専門学校(冒険者養成学校もここに分類される)、あるいは大学のどれかを選択して受験する方式らしい。
小学校で必要な最低限の知識は習うので、更に上の学校へ進学する子供は、この国では半分程度だそうだ。案外、進学率が低い印象を受ける。
どうやら一部の専門職は学校へ通って習うよりも、師匠の元に直接弟子入りした方が効率がいいようだ。働きながら仕事を覚えて給料も貰えるから、お金を出して学校へ行くよりも、一般人にとっては経済的であるらしい。
あと、王都には魔法の専門学校もあるが、この街にはないのだそうだ。代わりに冒険者養成学校で、ある程度は魔法の扱い方も教えてくれるという。
それに神殿でも決まった曜日に教室を開いていて、無料で魔法の基礎を教えてくれるボランティア活動をしているので、定住民なら気長に神殿の魔法教室に通って学べば済むという。
「キーセ君は勤勉ですね」
三日に一度、夜に一時間程度、勉強を見てくれているクロス教官に感心された。
「それが取り得ですので」
「それにしても、たった十日で教科書全部読破するとは思いませんでした」
私が小学校の全教科の教科書と辞書を読み終えたからか、感心と呆れが半々といった顔をしている。
でも、それ程不思議な事でもない。元々地球でも、日本人は勤勉で読解力が高いと思う。義務教育が充実しているから、勉強慣れしているのだ。
それに私はアウトドアが好きだが、読書も好きな方だ。地球でも友人に借りたり図書室を利用したりして、ファンタジー小説とかライトノベルとか漫画とかを、よく読んでいた。
必要に駆られて必死になる分、いつもより覚えも速い気がする。
あるいは泉に浸かった効果で、知力も多少上がっているのかもしれない。
「まだ学校が始まっていないので、自主的な体力づくり以外は、本を読むくらいしかやる事がないんです」
「寄宿舎に残ってる生徒と、ボールゲームで遊んだりしていませんでした?」
「ええ、遊びに混ぜてもらってます。反射神経を鍛えるのにいいですよね。それに、学校でどんな授業をするのか聞かせてもらったりと、とても参考になります」
休み期間も寄宿舎に残っている生徒は、私が異世界人というのを知っても、笑顔で接すれば普通に笑顔を返してくれる。
私は彼らに仲間に入れてもらって、一緒に遊ぶようになっていた。
合間に情報収集もしている。「ああ、そーいや、近所に異世界人の血を引いてる家族がいるわ」とか、ちらほらと、私以外の異世界人の話も聞けた。本当にこの世界は、異世界から落ちてくる人が多いようだ。
「物怖じしない性格ですね」
「そうですね」
感心する教官にしれっと返す。
……別に、物怖じしないというのは否定しない。
だが、私は本来、自分から積極的に交友関係を広げようと行動するようなタイプではない。単に、ここではそうした方が自分にとって有益だから、そのように振舞っているだけだ。
根本的に、私は身勝手で冷淡な性格だ。常に頭のどこかで損得を計算している。
心優しい相手を自分の利益の為に利用するのは申し訳なく思うけれど、それでもこんな自分を変えようとは思えない。
だからせめて、優しくしてくれた人には精一杯誠実であろうと、……裏切るような真似だけはしないでいようと、自分で自分を戒めている。
真心に真心を返せなくとも、最低限の礼儀を欠くような屑人間にまではなりたくない。
「教科書は図書館に寄贈します。これからは図書館の本を読んでみようと思います。お勧めの教材はありませんか?」
小学校の教科書では、基礎知識しか手に入らない。もっと多くの本を読みたい。もっと効率よく、様々な知識を手に入れたい。
「あまり焦っても身体に毒ですよ?」
クロス教官が心配そうに眉を顰め、私に忠告した。
……私はそんなにも、余裕がないように見えるのだろうか。私としては、ここでの生活を目一杯楽しんでいるつもりなのだが。
「大丈夫です」
確かに、生活補助が受けられる内に自立して稼げるようにならなければと、焦る気持ちは今もある。
だが、この世界を知るにつれて、次第に気持ちは落ち着いてきていた。
本来なら保護する必要のない異世界人に生活支援金を出せる程、この世界の人々には余裕があるのだ。私が急いて焦りすぎても、いい事は何もないのだ。
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