第4話 覚えなければいけない事が山とある

「そーいやキーセって、いつこっちの世界に落ちてきたんだ?」

「昨日」

「え、昨日!? まだ二日目っ!?」

「そう。だから本当に、わからない事だらけなんだ」


 驚くクローツに、私は重々しく頷いておく。

 昨日の異世界生活初日は、非常に濃い一日だった。


 まず、森の中でイードとファーシアに保護されて、神殿のある最寄の街へ向かった。その途中、時間が過ぎても太陽の位置があまり移動しないのを不思議に思い、こちらの時間単位を訊ねた。

 その結果、こちらでは1分は80秒、1時間は80分、1日は30時間、1ヶ月は40日、1年は14ヶ月という答えをもらった。

 しかも1秒の長さすら、地球の1秒よりも微妙に長い気がする。……まあ、比べても無意味か。


 その後、神殿についたはいいものの性別が男になるというハプニングに見舞われ、それを口止めして回り、偽名を考えて戸籍登録を申請し、魔法素質を調べてもらったりした。

 魔法が使えるとわかって、冒険者になるのに必要な経費を計算。政府からの支給金(異世界人補助金)の額から考えて、養成学校に通学可能というファーシアのアドバイスを元に、冒険者になる為に学校に通うと決断した。

(そんなに急いで進路を決めなくてもいいのではと神殿の人に心配されたが、無駄に日々を費やして悩むよりは、まずやりたい事に挑戦して、やってみて駄目だったら次を考えればいいと、私は大して悩まずに即決した)


 夕方頃に、イード達に神殿と同じ街にあった冒険者養成学校まで送ってもらって、学長であるオリバー様へ事情の説明をした上で入学手続きをしてもらい、旅立つイードとファーシアを見送った。

 彼らは本来、神殿に私を送り届けた時点で義務は果たしていたのに、善意でわざわざここまでついてきてくれたのだ。お別れは心細かったが、これ以上引き止められない。何度もお礼を言って彼らを見送った。

 その後、夜は急遽、職員寮の空き部屋を借りて寝た。



 二日目。

 早朝、基礎体力をつけようと庭でストレッチや走りこみをしていたところで、学長の使いから呼び出された。

 学長室では、神殿の手続きが終わったから、身分証明となるカードを受け取りに神殿に行くよう言われた。

 そして、まだ街中の地理が覚束ない私を神殿まで道案内するのも兼ねて、担当官になるクロス教官を紹介してもらい、秘密のフォローをお願いした。

 学長室を退席した後、クロス教官に内密の取引を持ち掛けられるというアクシデントもあったが、お互いに利害が一致して取引を了承し、話し合いは無事終了。

 クロス教官の案内で神殿へと向かった。


 そして神殿で大事なカードを受け取った。『トロンカード』と呼ばれるそれは、身分証明書とキャッシュカードと携帯電話と発信機と時計といった様々な機能を兼ね備えた、とても便利なカードだ。

 普段は腕輪になっていて腕から外れない仕掛けになっているし、カードを具現化しても腕輪の台座は残るから、うっかり盗まれてもすぐにカードを手元に取り戻せる機能がついているという。

 魔法と科学が融合した技術があるこの世界は、地球よりも便利に文明が発達してる部分が多々ある。


 トロンカードを発行してもらってる最中、巫女のコーセルさんから、「キーセさんが口止めを忘れていたようですので、泉の番だった神官にも、きちんと口止めしておきましたので、どうぞご安心を!」と、嬉々として耳打ちされ、内心で疑ってしまった事に心の中で謝罪しつつ、彼女の気遣いに大いに感謝した。

 そして神殿を出たその足で、今度は同じ街中にあるというクロス教官の実家へ。彼の家で弟のクローツを紹介されて、今に至る。



 ……地球出身の私からすると、この世界の一日は長く感じる。

 色々慌しくて内容が濃いのもあるが、それよりも単純に時間が長い。なにせ、1分は80秒、1時間は80分、1日は30時間なのだから、実際に地球よりも長いのだから、そう感じても仕方ない。

 朝食から昼食までの時間だけで、体感では一日近く経ったんではと思うくらい、本当に長く感じるのだ。

 時間に余裕があるから、体力作りの走りこみとかもやっている。冒険者に必要なのは、体力と健康だ。


 私は元々アウトドアが大好きで、中高一貫校ではずっと、「アウトドアクラブ」という部活に入って、山菜採り、キャンプ、登山、魚釣り、キノコ採り、木の実拾い、スキー、かまくらで鍋、薪割り、アウトドア料理の作り方などなど。とにかく色々体験しまくった。


 私が産まれた時に「輝ける星のような人となれ」という由来の名前を付けてくれた両親は、小学校の半ば頃に関係が冷えて、あっさりと離婚した。私をどちらが育てるか、お互いに押し付けあって怒鳴りあっていたのを知っている。どちらももう、私がどんな大人に育つか見届けたいと思うだけの愛情が涸れていた。

 結局は養育費を父が出す条件で母に引き取られたが、父とはその後、一度も顔を合わせていない。何度か連絡を取ろうとしてみたけれど、一度も電話に出なかったし、手紙の返事もなかった。

 ただ、若い女性と再婚したという噂だけが耳に届いたくらいだ。


 母の連れ子となった私は、母が再婚してからは義父に疎まれ、共学の中高一貫校に入ってからは、ずっと寮暮らしだった。家に帰っても居心地が悪いので、出来るだけ帰らずに済ませていた。


 そんな私にとって、一番の楽しみは部活動だった。自然に触れている時だけ不思議と心が安らいだ。

 高校卒業後も、農林系大学の付属寮で暮らしていたし、寮暮らしは年季が入っているから、こちらで寮に入るのには抵抗はない。……ただ、これまでとは一緒に暮らす性別が逆という事実だけが問題だ。


 落ち着て考えてみれば私にとって、この世界に落ちたのは不運ではなく幸運だった。

 元の世界への未練などない。もし帰れる方法があると言われても、私は絶対に帰らない。

 身内だって、娘がいきなり失踪した(という扱いになっているだろう)なら、世間体を気にして表面上は哀しむフリくらいするだろうけど、本気で哀しむ人なんていないと断言できる。

 だから親不幸とも思わないし、唐突にいなくなった事に罪悪感も感じない。


 折角、理想の世界に来たのだ。夢に向かって全力で取り組みたいし、空いた時間は有効活用したい。

 男になったのは予想外とはいえ、それも冒険者として生きるのに役立つと思えば、プラス材料になり得る。後は私自身がこの身体に慣れ、周囲から男と扱われる事に慣れるだけでいい。


 学校が始まるまでには、まだ20日も時間がある。

 学長は、「コースの新規募集がかなり先なら途中編入すればいいですが、たった20日で貴方の希望する基礎コースの新学期が始まるのですから、そこから皆と一緒に学んだ方が良いでしょう」と、焦る私をのんびりと宥めた。


 ……この世界の人々にとっては20日は短いのかもしれないが、私には結構長く感じる。指摘された通り、焦っているのかもしれない。

 だからせめて、基礎体力をつける以外にも、とにかく時間が空けば、学校付属の図書館で本を借りて、本を読む事にしようと決めた。覚えなければならない知識は山とあるのだ。

 ふと、14歳のクローツなら、子供向けの本を持っているんじゃないかと気づく。


「そうだ。何か子供向けの、わかりやすい本でも貸してもらえないかな?」

「それなら、小学校の教科書が良いと思いますよ。クローツは昨年卒業したばかりだから、確かまだ教科書が残ってるよね?」

 クロス教官が助言してくれる。確かに小学生向けの教科書なら、基礎知識を知るのに丁度良さそうだ。

「うん、まだある」

「それを貸してほしいんだけど」

「いーよ」

 クローツはあっさり了承する。兄と違って無償で提供してくれるらしい。心根のいい子だ。

 これなら取引を抜きにしても、良い友人になれそうな気がする。


「そういえば、クローツは去年小学校を卒業したところって言ってたけど、もっと上の義務教育は受けないでいいのか?」

「ん? 義務教育ってなんだ?」

「え……。なんだって言われても……。

 子供が教育を受ける権利とか、教育を受けさせる為に学校に通わせるのが親の義務とか、そういう意味の言葉、だったような? あっちの国では、6歳から6年間小学校に通って、そのあと3年間中学校に通って、そのあと3年間高校に通うのまでが義務付けられてた。しかも更にそのあと4年間、大学に通う人も多かった。その方が就職に優位になるから」

 クローツに質問を質問で返されて、咄嗟にどう返せばいいかわからなくなって首を捻った。つっかえつつも、日本での学校制度を説明する。

 私はなんとなく、義務教育って、どこの世界にも当たり前にあるものだと思っていた。だけどどうやらここの世界では違うらしい。

 あるいは元の世界でも、日本以外では義務教育って当たり前ではなかったのかも。


「この国では、学校に行くも、家庭教師などを雇って子供に独自に勉強させるも、それぞれの親の裁量次第なので、学校に行くのが義務というのはないですね。それに学校も、試験さえ受かればどんどん次の学年に移れるので、卒業時の年齢も、勉強の進み次第でバラバラですし」

 クロス教官がこの国の制度を簡単に説明してくれた。

「小学校は、大体5歳以降の子供が入って、最長で10年くらい学ぶ場所なんだ。俺は去年、13で卒業したんだ」

 クローツは小学校卒業後、幼い頃から続けていた剣術修行の仕上げに集中していたそうだ。そして今回、私と同時期に冒険者養成学校に入ると決めたという。

 なんだか日本とは随分と子供の教育過程が違うのを感じた。

「この世界には、異世界から多くの種族が落ちてきますからね。落ちてきた人々はそのままこの世界で定住するので、この世界には歳の取り方も文化もまるで違う多種多様な人達が、たくさん暮らしているのです。ですので、あまり画一的な方法では対処できないのですよ」

「なるほど」

 私は街を歩いている時に見かけた、獣人やエルフやドワーフと思しきファンタジーな種族の人々の姿を思い浮かべた。彼らはきっと、寿命も成人までの年数も、私とは違うのだろう。

 そういった多くの種族が混生している世界では、全員に同じ学習方法を適応するのは難しいのだろう。


 幸いにして、『理想の泉』効果で言葉が通じるのみならず、文字の読み書きも問題なく出来る。

 日本語じゃないのに日本語並には理解できるという現象が奇妙で仕方がないが、「ファンタジー世界だから」と、強引に自分を納得させている。

 文字が理解できるのにメリットはあってもデメリットはない。有難い効果である。


「キーセ君、この世界ではとある事情から、環境問題に厳しい措置が取られているので、資源は大事に扱います。教科書は大切に扱って、必要がなくなった場合でも捨てたりせずに、きちんと小学校か図書館に寄贈してくださいね」

 クロス教官から、教科書の扱いについて注意を受ける。

「とある事情?」

「説明すると長くなります。教科書に書いてありますので、暇な時にでも読んでください」

「わかりました」

 この人実は、教官のくせに教えるのに向いてないんでは、とクロス教官の資質を内心で疑いつつも、表面は従順に頷いておく。


「教科書を全教科全学年を全部だと、持って帰るの重いだろーし、後でまとめて、学校寮のキーセ宛てに送っておくからな」

「ありがとう、クローツ」

 気遣いにお礼を言いつつ、ふと気づく。

(あれ? こちらの一年の長さを考えると、もしかして生きてきた時間だけ見れば、実はクローツの方が、私より上とかも有り得る、のか? ……でもクローツの外見は、14歳と言われて納得する見た目なんだけど)

 泉の効果か、あるいは人種の違いか。

 でも、深く考えても混乱するだけなので、こういう複雑な問題は、すべて棚上げしておく。


 その後、クロス教官とクローツと一緒に、生活に必要な日用品や、学業で必要な筆記用具などを買いに、商店街に出かける事になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る