第10話 『スパーリングしてみなよ!』
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・・・昨日は、父さんの万引を止めることが出来なかった。
俺は打ちひしがれていたけれど、いつものとおりお稲荷さまへ向かった。
プシュッ!
冷蔵庫からキンキンに冷えた父さん秘蔵のラガービール(ロング缶)を
持ち出してきた。父さんへの罰だ!
『スパーリングしてみなよ!』
いつもどおり頭の中で鐘の音とともに詐欺師っぽいが、
浮かれポンチな口調でアナウンスがあった!
「はいはい、やりますよ。」
「随分と凹んでいるゾイ。」
「ええまあ。だから、お供えは奮発しました。」
「おおっ!ありがとう。でも、これ、どうするゾイ?」
「お婆さんが要らないなら、その辺りで捨てます。」
「じゃあ、勿体ないが捨ててもらえるか。・・・元気を出すゾイ。」
「ありがとうございます。」
キックボクシングジムに通い始めて5回目の練習だったので
スパーリングしてみたいって言ったら、
高校の1年先輩で、ジムの2年先輩朝居さんとボクシング形式で、
1分間だけやってみることになった。
朝居さんの顔を父さんの顔に変換して、全力でパンチを出しまくったのだが、
1発も当たらないうちにスタミナが切れ、一方的にボコボコに殴られた。
怖くてもう亀のように固まるばかりだった。
「東雲と仲良くしやがって!」
このセリフを吐きながらの右ストレートは強烈だったよ・・・
何度かやったらホントに慣れるのかな?
ホント、1分って無限かと思ったよ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
商店街だから自転車を押していたら、向こうに葵ちゃんが見えた!
男と歩いている~!
誰だ?どこのドイツだ?東か西か?
西平だ~!俺たちの担任だ~!
西平は20代後半の数学の先生で、背は175センチくらい、胸板厚めの体育会系で
生徒を下に見ているのがバレバレなクソ野郎だ。
当然、あんまり好きではない。
葵ちゃんは嫌そうだが、西平はグイグイ口説いている感じだ。
俺の女に手を出すな!って言いたい!
俺の女じゃないけど。
「先生、こんばんは!」
走り寄って大きな声で挨拶したら、西平は不愉快そうにこっちをにらんだが、
逆に葵ちゃんはパアっと喜色を浮かべた。
★★★★★★★★★★★
東雲葵
いつもは、財前先生と一緒に帰るけれど、まだ帰れなさそうだ・・・
西平先生が帰る準備を完了して私が帰るのを今か今かと待ち構えている!
お父さんが相談したいことがあるっていうので、早く帰らないといけない。
しょうがない、帰ろう。
やっぱり西平先生が付きまとって来た!
ホントにイヤで何度も断っているのに、懲りずにしつこくつきまとってくる・・・
どうしようって途方にくれていた。
「先生、こんばんは!」
突然、自転車で現れた幸介くんが大きな声を掛けて来たら、
西平先生は少し離れてくれた。
ああ、幸介くん、ありがとう!
こんなに困っている時に助けてくれるなんて、これはもう運命じゃない?
「あれ、こう、錦埜くん、まぶたが腫れてない?」
「さっき、スパーリングして、ちょっと殴られちゃったから・・・」
「ダメじゃない!そんな腫れた目で自転車なんて!事故にあったらどうするの!
一緒に電車で帰ろう?」
「・・・そうですね、今日は電車で帰りましょうか。」
幸介くんはチラッと西平先生を見た後、肯いてくれた。
ほっ。
これで幸介くんは交通事故に遭わないし、私も嬉しいしウィンウィンって奴だね!
「西平先生、まぶたを冷やすものを買いますので、失礼します!」
幸介くんの手を掴んで、一番近くのコンビニに連れ込んだ。
チューブアイスを買って外に出ると西平先生はもういなかった。
「ほっ、ゴメンね。強引に誘っちゃって。」
「葵ちゃんがイヤがってんのに、アイツ、グイグイ来てたもんね。」
ちゃんと私の気持ちを理解してくれていた。
「うん、ちょっと苦手なんだ。」
「良かったよ、役に立って。」
ニッコリと笑ってくれて、私は安心感に包まれた。
この学校に着任したての頃、私は生徒たちによく取り囲まれていた。
大学出たての若い先生にみんな興味津々だったらしい。
女子生徒がいれば問題なかったんだけど、時々、男子だけに取り囲まれた時は
パニックを起こしそうになった。
それを察した幸介くんが、「東雲先生、学年主任が職員室へ来てくれって
言ってましたよ。」って助け舟を出してくれた。
本当に嬉しかった。
以前、痴漢にあったことがあるので、通勤時間帯は女性専用車両にしか
乗らないけれど、幸介くんが一緒だから一般車両に並んだ。
到着した電車は満員で、電車に乗り込むとき、大勢の乗客ともみくちゃになって、
幸介くんと離れ離れになりそうだった。
怖くなって幸介くんの手を握ると、ぎゅっと握り返してくれて、
なんとか一緒に一番奥まで進んでいった。
私を隣の車両へのドアのところに立たせると、手は離されてしまった。
ガッカリしていたら、幸介くんは壁ドンの態勢を取って、
大勢の乗客にグイグイと押されながらも私を守ってくれた。
私はすっごく安心して、「好き・・・」ってつい呟いてしまった。
「え、ゴメン、なに?」
幸介くんが、耳を近づけてきた。
「あの、ありがとう。幸介くんは優しいし、とっても頼りになるね。」
慌てて囁いて、ちょっと躊躇しながら右手を彼の胸に添えた。
さっきの言葉で好きって伝わったかな?
すっごくドキドキしたし、幸介くんの心臓もドキドキしていた。
この幸せな時間はほんの10分間だけだった。
駅についたら、家の近くまで一緒に歩いてくれた。
「・・・今日はありがとう、また明日ね。」
「うん、また明日。」
幸介くんはさっきまでと違う、寂しそうな笑顔で答えてくれた。
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