第20話 代替わりの時空震
三人が情報保管庫(アーカイブ)から戻ってきた直後だった。
「!」
鼓膜を激しく振動させる音とともに、嵐の中の船上のような強い揺れが襲う。
「ちっ! ついに始まったか!」
縁は舌打ちをすると、揺れが収まるのを待たずに走り出す。
「霧島さまっ! ――きゃっ!」
あやめは後を追うために足を動かすが、もたついてしまって先に進めない。それどころか足を取られて転倒する。
「おいおい緒方はん、大丈夫かいな」
壁に手を当てて長身を支えながら茜はあやめに近付く。
揺れはまだ収まりそうにない。あちらこちらから悲鳴と物が倒れる音が耳に入る。
「だ、大丈夫です」
膝を思いっきり強打していたが、大したことはない。あやめは壁に手を当てて立ち上がると、スカートの裾を払って整える。
「――それにしてもこの揺れ、一体なんなのです?」
「霧島はんから聞いていないんか? これが委員長(モイラ)が代わることを示す時空震や」
(これが……時空震……)
揺れはだんだんと収束に向かってきているらしく、徐々に弱くなっている。
「あの……伊予さま?」
「んん?」
「霧島さまは慌ててどちらに向かったのでしょう? 全く見当が付かないのですが」
大地が波打っているかのような揺れであったにもかかわらず、縁は監査部(ノルニル)の廊下を平然と駆けて行った。もうその姿はすっかり見えなくなっている。
「《紫の断ち切り手(アトロポス)》としての仕事があるんとちゃうん? 色付きの上位能力者たる霧島はんはいっつも忙しくしているさかい、そんなところだと思うんやけど」
「お仕事、ですか」
時空震が起こったことによって急いだのであれば、それはきっと次期委員長(モイラ)に関したものであろう。
(そうであるなら、霧島さまはこの件に関してどんな結論を出したのでしょう……)
貴家の過去を調査した結果、縁がどう判断したのかがあやめは気になる。貴家は委員長(モイラ)にふさわしいのだろうか。それとも、ふさわしくないとなるだろうか。
(貴家さま自身は多重世界シンドロームの力は要らないと仰っていましたのに、これでは何を選んだらよいのかどうか)
どうなるのが最も良い未来を描けるのだろうか。あやめにはまだわからない。
(委員会(モイライ)の維持のために貴家さまを委員長(モイラ)に据えるのが良いのでしょうか? それとも、貴家さまが望むようにその力を奪い、平穏な生活を送っていただくように仕向けるべきなのでしょうか?)
委員会(モイライ)が存在せねば、あやめは存在価値がなくなってしまう。委員会(モイライ)に所属し、多重世界シンドローム発症者を調査したり補佐したりする生活が彼女にとってのすべてであるのだから。
(委員会(モイライ)がなくなってしまうのは困ります。しかし――貴家さまの願いを叶えることによって二度と会えなくなるのは嫌です)
あやめはこれまで委員長(モイラ)の意思、あるいは自身を指示する上司の意思に従い、自分の意思を持たずに彼らの手足のごとく働いてきた。こんなふうに自分の意見や考えを持って、その指示に抗おうと思ったのは初めてだ。そんな気持ちの変化にあやめは困惑する。
(貴家さまは……その事実を伝えたらどんな反応をするのでしょう?)
自分のことを愛してくれているはずの貴家が二度と会えなくなるという事実を知ったら、力を消し去ることを拒否するだろうか。あやめは想像してみるが、それを直接訊いてみようという気にはなれない。怖くて怖くて仕方がない。自分と同じように想っていてくれるのか知りたいけれど、もしも違ったらどうしたらよいのかわからないから。
そこまで考えてみて、あやめは気持ちを切り替える。
(まずは貴家さまが本当に委員長(モイラ)になれる人物だと決まったのかを確認しなくては)
「そうであるなら、霧島さまは会議室に向かったということでしょうか?」
報告や今後の方針を決めるときなどは会議室に召集される。会議室は委員長(モイラ)の部屋と直結しているので必然的にそうなるのだ。委員会(モイライ)は委員長(モイラ)の意志に従っている以上、それが最も効率がよい。
「んー。ちょっと調べるさかい、ちょっと待っててな」
言って、茜は胸元から鏡を取り出す。
「調べる?」
茜が何を始めようとしているのか、あやめには予想できない。そんなあやめに、茜は説明を始めた。
「分析者(ヴェルダンディ)能力ってのは現在の状態を事細かに把握できる力なんよ。本来なら、過去や未来は専門外。過去を担当しとるんは観測者(ウルド)能力を持っている人間で、過去に行ったまま戻って来れなくなるのを防ぐために分析者(ヴェルダンディ)能力を持つ人間が付くんや。ま、ウチはちょいと観測できる範囲が広いんで、そんなに昔でなければ遡ることもできるっちゅうわけよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
貴家の過去に行く際にはばたばたしていてきちんと訊くことはできなかったが、今の説明であやめはおおよそのことは理解した。
「――あらん?」
「何か?」
鏡を見て首を傾げる茜に、あやめは彼女の手の中を覗き込みながら問う。
「霧島はん、どうも会議室っちゅうところにいるわけじゃなさそうやで」
映っていたのは真っ白い部屋。その中央に縁が立っている。
「そうですね」
会議室と同じ純白の石で作られた壁のせいでぱっと見ただけでは同じように見える。しかし縁の周囲に置かれているものは会議室では見たことのないものばかりだった。
(一体この場所は……)
鏡台に箪笥、天蓋付きのベッド。そのいずれもが日光の色と同じような輝く白。あやめは見覚えのない部屋の様子に、しかし一つだけ思い当たった。
(もしや、委員長(モイラ)様の部屋?)
委員会(モイライ)内の各共有の部屋はあやめも出入できるので知っている。個人に与えられた部屋のすべてに入ったことはさすがになかったが、それでも調査員相当の能力者ではこれほどの広い部屋はもらえないだろう。色付きの上位能力者であっても、おそらく天蓋付きのキングサイズ相当のベッドで眠ることはないはずだ。そうやって得た消去法の結果、縁は委員長(モイラ)の部屋にいるのではないかという答えが導き出されたのだ。
(……って、覗き見をしているのはまずいのでは?)
基本的には入ることは許されていない場所である。どのような部屋であると聞いたこともないので、口外禁止であるのかもしれない。そもそも委員長(モイラ)に関した情報のほとんどが機密情報扱いなのだ。上位の能力者ならとにかく、下っ端のあやめが知る由もない。そうであるのに、偶然とはいえこのような形で見てしまっても、いや、見続けていても構わないのであろうか。
「あ、ベッドに近付くわ」
立ったまましばらく動いていなかった縁が、ベッドに寄る。それでそこに眠っている人物の正体が知れた。
「委員長(モイラ)様……」
「え? 嘘、マジで?」
あやめの呟きに、明らかに動揺している声で茜は問う。
「はい。今霧島さまがいらっしゃる場所は、おそらく委員長(モイラ)様の居室です」
縁の口元が動いているが、音声はない。鏡であるからか音声はないようだ。
(一体何を話されているのでしょう。気になりますのに……)
委員長(モイラ)と縁は仲が悪い、あやめはずっとそう思っていた。しかしそれは真実であるのだろうか。
縁は周りから誤解されやすいひねくれ者だ。しかも必要であれば、自ら進んで悪役を演じてしまう。だから、みなが委員長(モイラ)に従うのを良くないと思い、一石を投じるために委員長(モイラ)と対立しているのだとしたら。その役を果たすことができるのが自分しかいないとわかっているなら、なおさらそう演じるのではないだろうか。
(誰よりも委員長(モイラ)様を心配していらっしゃったのは霧島さまではないでしょうか?)
縁が真っ先に委員長(モイラ)に会いに行ったのは仕事のためではないのだ。彼女の浮かべる表情がいつもの不満げな顔から心から不安そうなものに変わっている様子から伝わってくる。こんな表情を浮かべている縁を、あやめは一度も見たことはない。
「――まるで最後の別れを告げているみたいな雰囲気やな」
茜の静かな呟きに、あやめは黙って頷く。
鏡の中の縁は、委員長(モイラ)の細い手を握り締めていたのだ。
「こりゃあ、もうもたんかも知れんね。次の委員長(モイラ)がすぐに決まるといいんやけど」
思わずこぼれた茜の感情。その意見にはあやめも同感であった。
(全くその通りです。委員長(モイラ)不在で委員会(モイライ)はいつまで存続可能なのでしょうか)
委員会(モイライ)は委員長(モイラ)によって維持されていると聞いている。この組織の文字通りの柱であるのだ。委員長(モイラ)がいなくなり、能力者たちに掛けられた洗脳がすべて解けてしまったとき、この組織は一体どうなってしまうのだろうか。少なくとも混乱することだろう。今までのような統制が利かなくなるかもしれない。
「あ……」
茜の思わず漏れた声にあやめは思考を現実に切り替える。
「!」
鏡の中の光景には思わぬものが映っていた。
縁が泣いている。
「――伊予さま。今の委員長(モイラ)様のまま存続させることはできないのでしょうか?」
あやめは鏡から目をそらせて問う。涙を流す縁を見ていたくはない。
「さぁ、こればかりはなんとも……。委員長(モイラ)が代わるのは、その能力の限界が来たっちゅう証なわけやし。人間の寿命を故意に延ばすことが難しいように、限界を迎えた委員長(モイラ)を続けさせるのは厳しいのとちゃうん?」
「厳しいだけで、できないわけではないのですよね?」
もしかしたらそこに希望を見出すことができるかもしれない。あやめはすぐに問う。
「少なくとも前例はないんよ? どんなに慕われた委員長(モイラ)であっても、そのときは必ずやって来るさかい、みんな諦めてきたんやし」
「諦めてはなりませぬ」
困ったような調子で告げる茜に、あやめははっきりと言う。
「そうはゆうても、タイムリミットは迫っているんよ? 方法を探しとる時間もないんよ?」
「それでも、ぎりぎりまで動きます! これはワタシの意志です。今まで言いなりでしかなかったワタシでしたが、今は違います。それゆえに、やってみたいのです」
あやめの宣言に、茜は口元を緩めた。
「なんかそういうところ、霧島はんに似とる。影響されたんか?」
「かもしれませぬ」
頭を茜に撫でられてあやめは苦笑する。縁の影響を受けているのはそうなのだろう。霧島縁という人物はあやめにとって憧れの存在でもあるのだから。
「――あの、そこで申し訳ないのですが、少しだけ協力していただけないでしょうか?」
「ん? ウチができることなら協力してもかまわへんけど?」
その返事にほっとしたあやめは、にっこりと微笑む。
「実は頼みたいことがありまして」
「頼みごとかいな。で、何?」
「貴家さまの居場所を教えていただけないでしょうか?」
申し訳なさそうに言うあやめに、茜はにかっと笑う。
「お安い御用や。ちょいと待っててな」
茜から結果を聞きだすと、一礼をして走り出す。向かうは地上、貴家のいる場所を目指して。
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