20「終わらせよう」


 気づけば、視界が水膜に覆われてぼやぼやだった。袖で涙を拭いスマートフォンを拾い上げれば、自分がに戻ってきたことを実感する。

 映像を送って共有することはできないから、なるべく客観的につまんで見たものを説明するしかない。


 あの日は呪い竜だけでなく、神々が直接もたらした白焔によっても地上は破壊され、多くの人が亡くなった。運良く生き延びても国は失われ、森はこんなことになってしまい、……その絶望感は想像してなお余りある。

 この森にはまだ、彼女の『遺志』が息づいている。迷い込んだ人を保護し一切の脅威から守ろう、という強すぎた想い。

 執念にも似たその願いは、ここを訪れた人を捕らえて強制的に眠らせ、やがて森の一部に取り込むことで遂げられていたのだ。


「呑み込まれた者を解放すれば……助けられるのか?」


 沈痛な声で鐘馗しょうきさんが問う。考えてみたけれど、頭を振るしかなかった。


「黒の森は、荊姫の呪いみたいな力は持っていないと思います。囚われても時間が経過していなければ、助かるかもしれませんが……」


 救えるものなら救いたかった。鐘馗しょうきさんも同じことを思っていただろう。でも、僕が干渉できるのは『施設』だけ。誰かの想いや存在を書き換えることはできない。

 彼女の変質した願い、訪れる者すべてを見境なく保護しようとする異常を修復することは……できないんだ。

「――そうか」

 鐘馗しょうきさんは立ち上がり、手を伸ばして僕のことも引っ張り起こしてくれた。それから僕を庇うように前へ出る。

 後ろでずっと見守っていたらしい木花このはさんが、僕の脇を通り抜けて鐘馗しょうきさんの隣に立った。金属の滑る音が控えめに響き、抜き放たれた刃が苛烈な陽光を弾いて鋭くきらめく。


「可哀想だが、終わらせよう。始まりが悪意ではなかったとしても、人にとって命と時間は、掛け替えのないものだ。一方的に奪われるなど、あってはならないことだ」

「それに、彼女やここで亡くなっていった方たちの心を思うと、呪いの森と化した今の状態は……哀しすぎるから」


 任せろ。任せて。力強い請負いの言葉が、重く沈む心を揺さぶる。隣に来た銀君が僕の肩を抱いて、一緒に下がってくれた。

 弔いが、必要なのだと思う。怒りや絶望に塗れて心を失い、奪う側に成り果てるなんて、彼女も、国王だった人も、この国に住んでいた人たちも、望むはずがない。


 その想いも願いも哀しみも、僕が、記録しよう。忘れずにおぼえ、伝えて、できることは何だってする。

 いつかはここがかつてのように優しく、豊かで、生命力にあふれた森に戻れるように。


「はい。鐘馗しょうきさん、木花このはさん、よろしくお願いします」


 梅紫の目としんの目がともに僕を見て、強い光をきらめかせた。



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