第32話 新婚生活と間抜け

 実家でウエディングドレスを着替えて、夜からはもう私達の新婚生活が始まった。


 明日は市役所へ二人で婚姻届けを出しに行くんだ。

 へへっ、結婚したから実家か、実家って良い響きだね。


 口づけを一杯されて私はもうフラフラだよ、〈あなた〉にしがみついちゃおう。

 しがみついたら、もっとフラフラにされたよ、あんあん、私は喜んでいるからもっとして良いんだよ。


 お風呂も食事も寝るのも全部〈あなた〉と一緒だ、おまけに会社も同じだから通勤も一緒だね。

 〈あなた〉の胸の中で朝を迎える夢がかなったよ、私の体に〈あなた〉の匂いが染みついて取れなくなるのももう直ぐだ、逆も正だから覚悟しておいてね。

 ふふっ、私の匂いを一杯こすりつけてあげる。


 婚約した時にも会社で私は皆に祝福をして貰った、皆は私の指輪を可愛いと言ってくれた。

 彼と婚約していることは、会社中の女性職員は知っているはずだ、わざと指輪を見せびらかしたのは、彼に言い寄ったりしないでと言うちゃんとした意味もあるんだ。

 私が良く知らない人からも、「うらやましい」と廊下で言われたほど有名になっていた。

 私は「そんなこと無いです」と答えておいたけど、自分でも意味不明だね。


 それに私が綺麗になったと、先輩や同僚が言ってくれるようにもなった。


 「お化粧が上手くなったよ。 彼のために真剣にったんだろう」


 先輩はやっぱり容赦ようしゃがないな、綺麗になった原因がお化粧だけみたいに言わないでよ、〈塗った〉は表現がひど過ぎます、私のお化粧はすごく薄いですからね。


 「うーん、綺麗になったのは、肌が輝いているせいなんだね」


 私を正当に評価してくれている人がいて、その通りと嬉しくなってしまう。


 「けっ、男成分をたっぷりと補給して、ホルモンをバンバン放出しているのですね」


 後輩だから語尾は丁寧ていねいだけど、最初の方が下品過ぎるよ、あなたも早く彼を見つけた方が良いんじゃないの、このところ肌が荒れているわ。


 「はっ、勝ち組だと思い上がって、ニコニコと余裕をかましているんじゃねぇよ。きぃー」


 ふふっ、ねたんでいるのかしら、何てみにくい感情なんでしょう。



 そんな私の舞い上がりを、〈クズ〉が一変いっぺんに地の底へ叩き落としてきた。

 廊下ですれ違いざまに、悪魔のような事を言ってくる。


 「ゲハハッ、人妻になった〈美幸〉を寝取るのが楽しみで仕方がないな。 今度の休みは体を明けておけよ」


 変な病気にかからなかったのが、死ぬほど残念でならない。


 退社時間に〈クズ〉から、地獄のようなメッセージが届いてしまった。


 「休みの日の2時にホテル街の最寄り駅で待ち合わせだ。 下着は普通のじゃダメだぞ。 五回くらい背徳感と優越感を楽しんだ後、間抜まぬけな旦那に、あいつのアパートでお前をヒィヒィ言わせている所を見せつけてやろうぜ。 そう想像したらお前ももう濡れ濡れだろう」


 うぅ、彼に私が〈クズ〉に抱かれている所を見せるって、悪魔以上の悪党で気持ちの悪い変態だ。

 反吐へどが出そう。

 それに私の大切な旦那様を間抜けって言うな。


 どうしよう、〈あなた〉と一緒に夕食を食べながらも、私は思い悩んでしまう。

 〈クズ〉からのメッセージは直ぐに消したけど、まだスマホの中に残っている気がしてすさまじい不安に襲われる。


 〈あなた〉に〈クズ〉にされたことを正直に話して、どうするべきかを相談するのが本当だとは思う。


 もう私は〈あなた〉の妻なんだから、もう二度と〈クズ〉に抱かれる訳にはいかない。

 妻じゃなくても絶対に嫌だけど、妻なんだから、今度は〈あなた〉を裏切ったことになり激しく傷つけてしまうでしょう。


 当然ながら離婚となり、祝福してくれた牧師さんやご近所さんは、すごく落胆らくたんするだろうな。

 〈おばあちゃん〉は新婚早々に浮気をした私を、決して許してはくれないと思う、私の育て方を間違っていたと、自分自身を責めて自分も許せなくなってしまうわ。

 心の方から病気になってしまう。


 一番大切な〈あなた〉はどうなるの、一番大切なのに、一番ひどい事をしてしまうことになる。

 私に嘘をかれて裏切られたんだ、今でもそう言う傾向があるのに、もっとからに閉じこもってしまったら、全て私のせいだ。

 私を信じて結婚してくれたから、人をもう信じられなくなってしまうよ。


 〈あなた〉がこの先幸せにならないのなら、私は何のために結婚したの、〈あなた〉を苦しめて不幸にするためにしたってことだ。


 それでは、〈おばあちゃん〉も私も〈あなた〉も救われないよ。


 〈クズ〉が憎い。


 〈あなた〉は私の目の前にいるんだけど、〈クズ〉にされたことを話す勇気が、どうしても持つことが出来ない。

 〈あなた〉に嫌われて捨てられるが、ものすごく怖いの、考えただけで目の前が真っ暗になってしまう。


 〈クズ〉に私が乱暴されたことは、〈あなた〉には衝撃で私をけがされた女だと思うかも知れない、それ以上に私が〈あなた〉に言いたくない事がある。


 それは私が〈クズ〉におどされて、〈あなた〉と付き合っていたことだ。

 今の私は〈あなた〉を愛しているけど、〈クズ〉に命令されて〈あなた〉に不純な目的で近づいたのは、まぎれもない真実だ。


 〈あなた〉へいくら今は愛していると言葉をつらねても、私が最初の方は嫌々会っていたのを知れば、今の言葉まで疑うのは当然だと思う。

 〈あなた〉の私への信頼は、大きな音を立てて崩れ去ってしまうでしょう。


 この短期間でこんなに気持ちが変わったのが、私自身も不思議に思っているし、いまだに戸惑とまどうこともあるくらいだ、〈あなた〉と暮らした月日がまだ足りてはいない。


 もう少し人生をいつにすれば、私達の愛は深まりぐんと強固になったはずなのに。



 だから私は自分だけで解決しようと決心した。


 死に物狂いであたれば、道はおのずと開いてくれるはず、自分の油断がまねいた結果だから、自分一人で解決するのが正当な気もする。


いざという時に貯めておいた預金の二百五十万と、〈おばあちゃん〉に貰った五十万とで三百万になるから、これで動画を買い取れないかと交渉をしてみよう。

 私を抱く価値よりも、三百万の方が上だと思う。


 これでもダメなら、もう私は万策尽ばんさくつきることになる、そうなれば〈クズ〉をナイフで刺すしか道は残されていない。

 〈クズ〉を抵抗出来ない状態にして、スマホを奪い盗るしかない。

 〈あなた〉を裏切って〈クズ〉に抱かれるくらいなら、犯罪者になった方がまだマシだ。


 離婚することにはなるけど、きっと〈おばあちゃん〉は許してくれるだろう、〈あなた〉も私を憎まないで哀れな女だと思ってくれるでしょう。



 私はスカートじゃなくて、パンツスーツで下着はハードな補正下着をつけている。

 少しでも〈くず〉に、三百万以下の価値しかない女だと思わせるためだ。


 あははっ、〈下着は普通のじゃダメだぞ〉との指示だったから、補正下着は指示どおりではある。

 最後の頼りのナイフは、ハンドバックにちょっぴり違和感があったので、入れたことを三回も確かめているから万全のはずだ。


 駅で待ち合わせて、まだ日も明るいのに、真直ぐラブホテルへ向かうらしい。

 ラブホテルに入る前に動画の買い取り交渉をしたかったので、「喉が渇いたから喫茶店に行きたい」と言う私の願いは、〈くず〉に「ホテルの冷蔵庫にあるだろう。今日は何時間もかけて、お前をヒィヒィ鳴かせてやるんだ。ゲハハッ」と一蹴いっしゅうされてしまった。


 おまけに私の腰を抱こうとするから、手をパシッと払ってやる、体中に怖気おぞけが走るよ。


 「ギヒィィ、初めは貞淑ていしゅくな人妻が僕に抱かれて、最後は大きなあえぎ声をあげるって言う演出なのか。 っているな、良いじゃないか。ゲハハッ」


 この〈クズ〉は、本気で私が〈クズ〉のことを好きになっているとか、自分の女だと思っているらしい、とてもじゃないがまともじゃない。


 自分の都合の良いようにしか考えられない、お粗末そまつな脳なんだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る