第29話 誕生石と流し台

〇■☆◆


 「〈美幸〉ちゃん、結婚の話を進めても良いかしら。 向こうの親御さんから連絡があったのよ」


 〈おばあちゃん〉が聞いてくれたけど、私は言葉が出ずにコクンとうなづくことしか出来ない。

 不安や嬉しいとか、照れくさいとか満足感とか、様々さまざまな感情が心に入り乱れて、のどしびれれたようになってしまったんだ。


 彼の実家へご挨拶に行ったのだから、こうなることは何の不思議もないことだ。

 私も〈おばあちゃん〉も、望んでいたことだと言える。


 ただ現実になると私は声も出すことが出来なかった、彼に〈クズ〉との関係を黙っていることに後ろめたさを感じたせいもある。


 その後ろめたさも、じわじわといてくる嬉しさが大きく上回り、徐々にかき消されていく。

 彼と結婚すれば全てが上手くいくんじゃないかな、私が真っ白なウエディングドレスを着たなら、彼はどんな顔をするだろう、顔がニヤケてしまうよ。


 「結婚式は、武藤牧師さんの教会が良いな」


 「ふふっ、〈美幸〉ちゃんは、もうその気になっているのね。 まだ少し早いわよ」


 「あっ、そうだね。 私はどうしてこんなにあせっているのかな」


 焦っているんじゃないわ、彼と暮らすのが待ち遠しいだけ、彼に抱かれながら朝を迎えたいだけなんだ。

 きっと夢のような生活が私を待っている、彼の奥さんに私はなるんだね。


 お弁当を渡す時に、彼が結納のことを話しかけてきた。

 どう言う意味で聞いているの、私の気持ちを確かめたいのかな。


 「私達はもう婚約者なんだね。 ちょっと照れちゃうよ」


 私は正直な気持ちを彼へ伝えた、隠しておくものじゃないし、隠す必要も無いと思う。


 ただ気恥ずかしくて、顔が真っ赤になってしまったのは、困ったことだ。

 それなのに、彼は私に口づけをしてくるんだ、私の胸はキュンキュンして壊れそうになってしまう。


 「婚約者にされると、もっと甘く感じるね。 私、とても幸せです」


 自分で言っておいて不思議ね、本当に甘く感じちゃう、これが毎日続くんだからそれは幸せだよね。


 「二階でしたのが、〈おばあちゃん〉にバレているらしいよ」


 「知っているからもう言わないでね。 〈おばあちゃん〉に地震があったみたいって、私はからかわれたんだよ」


 恥ずかしいことを思い出させないでほしいな、〈おばあちゃん〉も意地悪過ぎるんだ。


 「そんなに揺れてたかな」


 すごく揺れていたみたい、〈あなた〉が激しいから私は大変なんだからね。

 もう私の部屋ではお願いだから抱きしめないでよ、〈あなた〉にせまられたら抵抗出来そうにないんだ、フニャっと力が抜けちゃうんだからね。


 お弁当を返す時にも、口づけをされてしまった、もう私達は婚約者だから良いよね。

 口づけももちろん嬉しいのだけど、婚約指輪がほしいよ、この左手につけてくれないかな。


 「お休みの日にお買い物に行きたいな。 晩御飯も作ってあげたいし、ダメかな」


 「まあ、予定は無いから、良いよ」


 新居になる彼のアパートに置く家具を買おう、彼のアパートはシンプル過ぎて、とてもじゃないけど生活が成り立たないよ。

 それに、ジュエリーショップの前を通りかかったら、彼が気づいてくれるかも知れない。


 私は今すごく浮かれている、〈クズ〉が長期出張でいないことも大きく影響しているんだと思う、変な病気にかかれれば良いのにな。


 「最初は家具を見に行きたいな」


 何を置いても、まずは食卓のテーブルだ、今のままでは床で食べるしかない。

 無茶苦茶だよ、彼の生活スタイルにかなりの不安を覚えてしまう、私の意見を頭から否定されたどうしよう。


 「服を収納するヤツか、チェストって言うんだっけ」


 そうだわ、服を収納する物もなかったな、だけどテーブルが最優先だよ。


 「違うよ。 食卓のテーブルを買うの。 結納金で買うもんだと〈おばあちゃん〉が言ってたんだ」


 結納金を全て使い、家具をそろえてやるわ。

 わぁ、この白い食器も買いましょう、彼の部屋にはバラバラの食器が少しあっただけだ、白い食器は新婚生活にピッタリだもの、きっと〈あなた〉も気に入るはずよ。


 しばらく歩くとジュエリーショップが見えてきた、私は歩みを遅くして、手の平を上にかかげてみる、彼が気づいてくれると良いのだけど。


 「〈美幸〉の誕生月は二月だよな。 誕生石は何だっけ」


 やったー、ちょっぴり鈍いと思ってはいたけど、ようやく気付いたのね、後でご褒美ほうびをあげても良いな。


 「二月生まれはアメジストなんだ」


 私は嬉しくて、ぴょんぴょんんでしまいそうだ、踊るようにお店に入ったのが自分でもどうかと思う。


 彼はアメジストが五個付いた、可愛い感じの指輪を私に買ってくれた。

 台座はピンクゴールドだから、なお可愛い感じになっているよ、私に似合うかとても心配になってしまう。


 「〈美幸〉なら、可愛いから大丈夫だよ」


 あっ、今一番私が言ってほしいことを彼が言った。


 「嬉しいな」


 嬉しくて私は笑っているけど、心の底では幸せが大き過ぎて、逆にとても心配になってくる。

 〈美幸〉あなたね、今までの人生を振り返りなさい。

 嬉しいことがこんなに続くはずがないと、私の経験が警報を鳴らしている感じだ。


 「婚約指輪を買って貰っちゃった。 すごく欲しかったんだ」


 でも嬉しい気持ちはちゃんと伝えておかなくちゃ、私にではないけど〈そうしないともう買って貰えないよ〉と誰かに先輩が言っていた覚えがある、それが可愛い女の条件らしい。

 確かにそう言うあざとさも必要だと思う、お礼も言った方が良いね。


 「ありがとう。 でも私に厳しい通告をするんだね」


 私は指輪で彼にしばられたけど、彼も私と契約をしたことで、ある意味拘束されている。

 私は彼に贈られたこの指輪を、堂々と薬指にめるのだから、婚約したことを周囲に撒き散らすってことだ。


 はっ、覚悟は決まった。

 もう私から逃げることは許されないよ。


 「ピンクゴールドはね。 硬いからサイズを変えるのが難しいらしいの。 〈あなた〉は結婚した後も、私に今の体形を維持しろって言ったのよ」


 彼は私に〈体形を維持しろ〉とは言っていない、でも男ってそうらしい、これは職場の先輩が愚痴交じりに言っていたことだ。

 女は安心すると太ってしまうとなげいていた、旦那さんが構ってくれないと怒っていた。


 だから私は結婚する前から、自分で宣言することにしたんだ、自己暗示のようなことね。

 少しでも私のことを、魅力のある女だと感じてほしいんだ。


 「そんなことは言ってないよ。 〈美幸〉の考え過ぎだ」


 「ヘルシーなお料理を作ってあげるね」


 気分が良いから食欲も増加しているみたい、カルボナーラの大盛でも今はいけそう。

 気分良く食べていたのに、彼が私の顔を胡乱うろんな目で見ている。


 あー、何か良くないことを考えているな、彼の表情はとぼしいけど、私はもうかなり分かるようになってきたんだ。


 「失礼なことを考えていないでしょうね。 スーパーへ行くわよ」


 今回は一言釘ひとことくぎを刺しただけだが、続くようなら私にも考えがあるわ。

 夫婦って、いたわりあいが大事なのよ、カルボナーラなんかで責められるのは、すごくおかしいよ。


 二人で買い物をする私達は、周りからどう見えているのかな。

 恋人かな、新婚夫婦だろうか、近くにいるベテラン主婦に聞いてみたくなるわ。


 彼が一緒だから量や重さを考えずに、買い物が出来るのが、とっても新鮮でかなり便利だわ。

 ストレスフリーだよ、たんと買っておきましょう。


 彼が大きなビニール袋を両手に持って、階段を軽々と上がっていく。

 腕の筋肉がとっても頼もしいよ、けど結婚したら私もこの階段を毎日昇り降りするんだ、決して細くはない足が大根に化けそうで怖くなる。


 私が作った和風ハンバーグを、二人揃そろって流し台の上で食べている。


 貧乏な恋人みたいで、彼との距離がグーンと近づいたような気もするけど、悲しくもなってくる。

 私はお金持ちじゃないから、洒落しゃれにもならないよ。


 彼は私の家がかなり貧乏なのを知っているはずだけど、何とも思っていないみたい、奨学金はもう直ぐ返済完了だから、私と彼の二馬力で働けばお金には不自由しないとは思うけど。


 そんな心配も、彼が「美味しいよ」と言ってくれたから、ぱあっと私の心は大きくほころんでしまう。

 流し台で食べるのもおつなもんだとさえ思えてしまう。

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