第22話 電車と九十度

〇■☆◆


 俺の実家は電車を乗り継いで、二時間程度かかる距離にある。


 だから今日は、早起きをする必要があった、だから少し眠いんだ。

 でも〈美幸〉は一着目のワンピースを着て、俺と目が合った途端とたん、「むん」と駅のホームでこぶしを天に突き上げているぞ。


 たぶん、気合を入れているだろう、だけど花柄の上品なワンピースを着てやる動作じゃない、アニメの勘違いキャラにしか見えないな。

 横で見ていても恥ずかしいほど、すごく張り切っている。


 昨日は崩れるように泣き悲しんでいたはずだ、それが今日はどうしてこんなにご機嫌なんだろう。

 〈女心と秋の空〉と昔から言われているが、これじゃ〈女心と秋の台風〉並みの変化だ。

 〈美幸〉はしっかり者だと思っていたけど、メンヘラの要素も持っているのか。


 三回電車を乗り継いで、実家の最寄り駅まではもう直ぐの距離となった。

 俺の横には〈美幸〉がちょこんと座り、窓の外を流れる景色を見ているのを、俺が見ている。

 〈美幸〉が前よりも、綺麗になった気がするな。


 「へぇー、段々と大きな建物が少なくなっていくのね」


 田舎の方へ進んでいるから、当たり前だろう。

 〈美幸〉はあんまり旅行をしたことが、無いのかもしれないな。


 「そうだな。 俺の実家はかなり田舎になるからな」


 「ふふん、それは楽しみだね」


 はぁ、何が楽しみなんだ、俺は家族に〈美幸〉を紹介するのが、段々嫌になってくる。

 色々と聞かれるだろうし、結婚をするかしないかをしつこく聞いてくるのが、容易に想像出来てしまう。



 兄が軽自動車で駅まで迎えにきてくれた、俺一人だったら、きっと歩いて帰ってこいと言ったはずだ。

 〈美幸〉が九十度に腰を曲げて深々と挨拶をしている、こんな適当なあんちゃんに、気をつかう必要はないのにな。

 車の中でも兄はニコニコ顔で〈美幸〉に話しかけている、〈美幸〉も嬉しそうに返事をしているな。


 俺が少し不機嫌になってしまうのは、疎外感そがいかんを覚えた訳じゃない、自分の置かれている立場に居心地いごこちが悪いだけだ。



 両親と兄嫁は、玄関の外にわざわざ出てきて、〈美幸〉を歓迎してくれた。


 ここでも〈美幸〉は九十度だ、海老のように腰を曲げたまま、顔を上げる気配を見せない。

 これはかなりやり過ぎだよ、親父が「もう顔をあげてください」とあせっているぞ。


 ははっ、自分が連れて来た彼女だけど、過剰かじょうは笑いになるんだな。


 座敷に〈美幸〉はスッと正座で座っている、その所作しょさ付け焼刃つけやきばではない、子供の頃からしつけられたものだろう。

 〈おばあちゃん〉は見かけによらず、厳しいところがあるのかも知れないな。


 紙袋から風呂敷に包まれた羊羹を、〈美幸〉は少し緊張しながら、座敷机に滑らせている。

 〈美幸〉が堅い挨拶をするので、俺の両親もタジタジになっているのが、また笑わしてくれるな。


 ここへ来るまでに時間がかなりかかったので、もうお昼時になっている、そのため母と兄嫁が昼食の準備を始めたのだが、それを察知した〈美幸〉はぴょんと跳び上がり台所へ駆けていった。


 家の中を走るのはどうかなと、思わないでもないが、親父と兄は俺に「可愛い彼女だな」とニタニタといやらしく言いやがる。

 俺も母親と兄嫁も〈可愛い〉と言ってやりたくなったが、とてもじゃないけど〈可愛い〉とは口がけても言えないので、グッと黙っておいた。

 真に可愛い要素が皆無なんだ。


 台所ではにぎやかな声がしている、〈女三人寄ればかしましい〉とは真実なんだな。


 昼食が出来上がったので、家族総勢五人と〈美幸〉とで食べるのだが、五人の家族の中へ〈美幸〉が入って、俺がはじかれているような有様ありさまだ。


 「〈美幸〉ちゃんは、包丁捌ほうちょうさばきがすごいのよ」


 「〈美幸〉ちゃんは、エプロンを持ってきて、偉いんだよ。 私なんかお座敷でお菓子を食べていたと思うな」


 〈美幸〉は一瞬で、女性陣の心を掴んでしまったらしい。

 謎だ。


 「〈美幸〉ちゃん、本当にコイツで良いの、今ならまだ解約出来るよ」


 「〈美幸〉ちゃん、親が言うものアレだが、息子はちょっと変わり者なんだ。 後悔するかも知れないぞ」


 くそめ。

 〈美幸〉は男性陣に、血を超えて心配をされている、ただ俺に対しては失礼過ぎるぞ。

 そこまで言われたくはない。


 昼食が終わりコーヒーを飲む時も、〈美幸〉は率先そっせんして動いていた。

 親も兄夫婦も、そんな〈美幸〉をベタ褒めしている。


 褒められて〈美幸〉はとても嬉しそうだ、けれど初めて来た彼の家で、こんなのおかしいと思うな。

 普通なら母親や兄嫁が、出しゃばってとか、びを振りまきやがってとか、一般的には思うだろう。


 でも思わないらしい、〈美幸〉を入れた三人で〈キャッ、キャッ〉と話をしている。

 その話の内容はとんでもないことに、俺のちょっと隠しておきたいエピソードが主のようだ。


 「ちょっと言い過ぎだよ。 ふん、時間がかかるから、もう帰るよ」


 「皆様、本当に今日はありがとうございました。 これほど優しいご家族に迎えられて、私は感動しております。 不束者ふつつかもので未熟者ですが、どうかよろしくお願いしたします」


 あれ、挨拶が変だよ。

 これじゃ俺が既に、プロポーズでもしている感じじゃないか。


 俺は疑問を抱きながら、今電車に乗っている。

 膝の上には実家が用意した、〈美幸〉へのお土産を乗せている、かなり重いからこれは名産のなしだろう。


 父親が「〈美幸〉ちゃんに持たせるのは気の毒だから、お前が持って行け」と真剣な顔で言っていた。

 どうしてそんなに真剣なのかと聞いたら、「お前の将来がかかっている」と真顔で答えられてしまったのは、どう言う訳だ、チンプンカンプンだよ。


 「ふふっ、とても素敵なご家族ですね。 優しくして頂き、嬉しかったです」


 「んー、ごく普通の家族だよ」


 「うふ、私にとっては普通ではあり得ない、唯一無二ゆいつむにの特別なご家族です」


 俺は膝の上にあった、〈美幸〉の左手をとり、そっと握ってみた。

 〈美幸〉が手を組んだり握ったりして、手が落ち着いていなかったからだ。

 俺の実家で出しゃばり過ぎたと、今になっていたたまれない気持ちになっているんだろう。


 〈美幸〉は「あっ」と小さな声をあげた後、握った手を隠すように、背もたれの方へ持って行った。


 でもそこは、二人のお尻の間だぞ。


 俺の手が〈美幸〉の柔らかいお尻に当たっている、でも〈美幸〉は顔を少し赤くしているだけだ。

 握った手を離したりお尻から外そうとはしない。


 俺は悪戯心がムクムク湧き上がってしまい、〈美幸〉のお尻を指でコチョコチョしてしまう。


 「もぉ、ダメですってば。 周りに大勢人がいるんですよ」


 〈美幸〉は小声でしかるように俺に言ってくるが、人がいなかったら良いってことなのか。


 俺は𠮟られたからではなく、コチョコチョを止めた、悪戯心はしぼんで今日の〈美幸〉の様子を反芻はんすうするためだ。

 〈美幸〉の手とお尻は温かくて心地良いから、握ったまま放置しておくことにする。


 今日の〈美幸〉を一言で言うと、〈張り切っていた〉だ。

 嬉しそうに俺の実家で動き回って、話まくっていたと思う。


 とても演技で出来ることじゃない、しかも、初めての実家への訪問だ、大人しく座っているのが普通のはずだ。

 シャカリキになればなるほど、その反動でボロが出やすいのは自明じめいなことだ。

 それを、そこまでする必要は無いと呆れるほど、気に入られようしていたな。


 そうすると〈美幸〉は不倫相手の〈クズ部長〉を捨てて、俺を選ぼうとしている線が濃厚になってくるぞ。

 〈クズ部長〉から金が引っ張ることが難しくなったため、俺と結婚して経済的な安定を図ろうとしていのか。


 不倫を続け俺がATM扱いされるは、御免被ごめんこうむるるが、不倫をすっぱりと止めて俺を選ぶのなら、考慮する価値もある。


 それとなく経理部を覗いて〈美幸〉を観察しているけど、〈美幸〉はいつもわき目もふらず真面目に仕事をしている。

 もっと周りとコミュニケーションをとれよ、と思うぐらいだ。


 スマホにメッセージを頻繁ひんぱんに送ってもくる、路傍ろぼうの花が咲いたとか、ボス猫は茶寅だとか、なんでもないことをさも大事おおごとの様に送ってくるんだ。

 そんな女が、〈クズ部長〉と不倫を続けながら俺と付き合っているとは、とても信じられない。


 〈クズ部長〉との不倫は、終わっていると信じてしまいそうだ。

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