第9話 ヒーローとヒロイン

 〇■☆◆


 私は二日酔いになって、頭がすごく痛む。


 クズに乱暴された日の方が、もっとお酒を飲んでいたけど、気が動転していて二日酔いになる余裕もなかった。

 それほど私は、心に大きなショックを受けていたんだ。


 「頭がすごく痛いです」


 彼と会社の廊下で珍しくバッタリ出会ったから、私はつい甘えた声を出してしまった。

 会社で会えるとは思っていなかったので、良く考えずに出てしまったんだ。

 嫌な記憶を消し去りたかったんだと思う。


 私は〈可愛い〉と言ってくれたことと、〈ホテルへ連れ込まなかった〉ことに対して、正直に嬉しかったと伝えていた。

 彼に素直に言えただけで、どうしてかまた嬉しくなってしまう。


 私は彼に大きな嘘を吐いているから、それ以外のことは正直に伝えるつもりだ。

 私の吐いている嘘は、私にとってあまりに耐えがたいことだから、誰にも話す勇気が持てない、されたことが全て嘘であったならと今でも夢に見てしまう。



 動物園へデートに来たけど、彼はずっと猿山を見ている。

 そんなにお猿さんが好きなの、でも楽しそうな顔をしていないよ。


 彼の答えは、「猿と人間は同じだから」と言うものだった。


 人間とお猿さんは、生物学的には近いと習ったけど、進化した人間とは全然違うと思う。

 お猿さんは、言葉を話すことが出来ないし、文字も読めないし、火もつけられない。


 今も仲良く毛づくろいをしているように、お猿さんは平和を愛しているけど、人間は戦争するような凶暴なところがある。

 現にクズは私に凶悪なことをしたんだ。

 猿よりずっと下等な、みにくいケダモノだよ。


 くっ、思い出すと泣きそうになってしまう。

 彼に涙を見せてはいけない、デートで動物園へ来ているのだから、楽しい気持ちにならなくてはいけないんだ。


 あっ、昔の私もここで泣いたことがあったな。


 動物園で泣いてしまったことを、不意に思い出した。

 幼い頃に家族で遊びに来た、動物園は楽しいはずなのに、私は大泣きしてしまったんだ。


 お父さんとお母さんは、私が突然泣き出しから、とても驚いていたと思う。


 「私は小さなころ、家族でここへ来たことがあるのよ。 ライオンに吠えられて、ワンワン泣いたわ」


 「へぇー、可愛い頃もあったんだ」


 はぁ、どういう意味で言っているのよ。

 この前は私に〈可愛い〉って言ったくせに、私をからかって遊んでいるんだわ。


 「〈美幸〉は可愛いって言うより、今は綺麗になったんだよ」


 えぇー、私が〈綺麗〉って嘘でしょう。

 そんなことはあり得ないこと。

 この頃は毎日鏡を何回も見て、ふぅー、と溜息を吐いているもの。


 でも私の正面に立ち声に出して言われてしまったら、私の心が信じてしまいそうになっているよ。

 私の手が言われたことの証拠を求めて、もの欲しそうにしているのが、とても恥ずかしくて切なくなってしまう。

 私の手が、温かな彼を探して虚空こくう彷徨さまよっている。


 うわぁ、温かくて跳ねちゃうよ。

 心が、体が、思考が飛んで行きそう。


 あぁ、手を握ってくれた、おまけに指まで絡んでいる。

 堅く、結んで、もう離れない、離したくない、離さない。


 「離さないでほしいです」


 私の心の声が止められなくて、あふれ出てしまう。


 好きなフリをして露骨に誘惑をしていたから、嘘とまことの境界が混じってしまったのかな。

 〈あばあちゃん〉を優しく見るから、良い人のはずだ。

 私は誰かに救ってほしいんだ、彼がその人だと私の心が主張してくる。


 〈あばあちゃん〉がいてくれるけど、ケダモノから守ってくれるのは、私にはこの人しかいない。

 握られた手がとても大きいから、私は嬉しくなってしまう、この人に頼っても良いか、どうか神様正解を教えてください。


 「この檻が壊れたりしないと、今の私は信頼しているってことですね」


 何かの檻に入りさえすれば、私は壊れなくても良いのですか。


 「その信頼が裏切られてしまうと、襲われて酷い目に遭うのですね」


 あぁ、私は信頼します、何があっても信頼し続けます。

 信頼することで、襲われて酷い目に遭わないで済むのなら、とても簡単なことです。

 すでに今も信頼し始めています。


 「その時は上手く攻撃をかわして、僕達が檻に入るしかないな」


 んー、私達が檻に入る。

 一緒に入る。

 一緒になるってことなの。


 「逆に檻に自分達から入るのですか」


 玩具にされようとしている同士、助け合ってクズなケダモノと戦うのですか。


 「少し壊れていても、何もないよりは檻の方がまだ信頼出来るだろう」


 そうね、私は少し壊れかけていますが、あなたと一緒になって戦えば、何もないより良いのは当たり前です。


 子供の頃見ていたテレビの中のヒーローが、両親がいないと私を虐める悪い子達を、どこからともなく颯爽さっそうと現れて、やっつけくれるのを夢見ていました。

 でも私のもとには、ヒーローはどこからも現れてくれませんでした。


 だけど、私の最大のピンチに思いもよらない所から、現れてくれたのですね。

 クズから私を守って、私をヒロインみたいに、優しく抱きしめてくれるのですね。

 そうなれば、私とあなたは幸せになれるのでしょう。

 ヒーローとヒロインなら当然だと思います。

 

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