第5話 スクリュードライバーとバーボン

 〇■☆◆


 俺はいつものように会社へ出勤して、いつものように仕事をこなしている。

 いつもと違うのは、わざわざ〈町田部長〉がやってきて、「ヒヒィ、それで良いんだ」と良く分からないことをほざいてくれたことだ。


 同僚や上司が「〈町田部長〉と親しいんだ」と吃驚して、俺を見る目を変えたくらいのインパクトがあった。

 同僚や上司が、前よりも俺に話しかけてくることが多くなってもいる。


 〈町田部長〉は俺が思っているより、会社の中で大きな影響力を持っているんだな。



 次のデートは、無難ぶなんに映画を見に行くことにした。


 恋愛映画が良いと言うので、それを見ている訳だが、ハッキリ言って何も面白くない。

 俺が好きなのは、アクション映画なんだ。


 欠伸あくびこらえながら座っていると、横から〈美幸〉さんの手が、おずおずという感じで俺の手に伸びてくる。

 騙されていると分かっていても、女の子の柔らかい手だから握りたくなるな。


 俺は〈美幸〉さんの手をそっと握ってあげるが、どうせならと、指を絡ませて恋人繋ぎにしてみた。

 やっぱり小さくて柔らかいな、そして今日は湿しめってはいない。


 そうすると、信じられないことに、〈美幸〉さんは握った手を自分の太ももへ、持って行くんだ。

 熱くてモチっとした太ももの感触が、手に伝わってくる。


 俺は「えっ」と小さく声に出して、〈美幸〉さんの方を見てしまう。

 それはそうだろう、誰でも見てしまうよな。


 〈美幸〉さんは顔を伏せていて、どんな顔をしているか分からなかった。

 恋愛映画を見たいと言っていたのに、全然見ていないじゃないか。


 映画が終わって外へ出れば、もう日がかなりかたむいていた。

 〈美幸〉さんが午前中は都合が悪いってことで、今日は昼からのデートだったんだ。


 夕日に負けないくらい、二人とも赤い顔をしているのは、まだ恋人繋ぎをいてないからだと思う。


 手を離せば良いとは思うけど、〈美幸〉さんが離そうとしないから、俺は意地でも離したりはしない。

 自分から離せば負けのような気がする。


 手を繋いで歩きながら「これからどうしたい」って聞いたら。


 「へへっ、お酒を飲みたいかな」


 らしくない可愛い言い方で、〈美幸〉さんが返事を返してきた。


 手は恋人繋ぎだし、こんな言い方をされると、本当の恋人みたいに思えてしまう。

 危険な事この上なしだ。


 落ち着いた雰囲気の個室の居酒屋に入って、〈美幸〉さんと二人の幸せを祈念して、まずビールで乾杯をする。


 「〈美幸〉さん、何を頼みます」


 「えぇっと、何でも良いです」


 「それじゃ、このお任せコースを頼みますね」


 「〈美幸〉さん、ビールの後は何を飲みます」


 「私、そんなに強くは無いんです。でもせっかくだから、イタリアンスクリュードライバーを頂きます」


 おっ、スクリュードライバーを飲むのか。

 アルコール度数が高くて、レディキラーの別名を持っている、そう言う目的の酒じゃないか。

 酔ったふりをして、色仕掛けをしてくるんだな。


 「僕はバーボンをダブルで飲んでみます」


 「へぇー、バーボンがお好きなんですか」


 そんな風に言ってくれるなよ、ちょっとカッコつけただけなんだ。


 会社であった出来事や、配膳された料理の品評をしながら、まあまあ良い感じに過ごせていたと思う。

 ここで俺は気になっていたことを、会話にぶっこんでみる。


 「新聞で横領おうりょうの話がっていたけど、うちの会社も心配になるね。 〈美幸〉さんは経理だから、その辺のところの情報は持っていないの」


 「えっ、横領ですか。 私の知っている限り、そんなことは無いですよ。 変な心配をするんですね」


 うーん、顔色も話し方でも、会社の金をちょろまかしている感じは、まるっきりしないな。

 俺の嘘を見抜く能力は心許こころもとないけど、横領が部長に見つかって、脅されている線はないと思う。


 「何時まで経っても、私のことを〈さん〉づけで呼ぶんですね。 少し淋しいです」


 えぇー、〈何時まで経っても〉って、どうゆうこと、まだ二回目のデートだよ。


 お酒が強く無いって言ってた割に、イタリアンスクリュードライバーをもう五杯も飲んでいるな。

 イタリアンスクリュードライバーばかり良く飲むなとは思っていたが、顔を見るとかなり酔っているらしい。

 目がもうトロンとなっているぞ。


 「もぉ、私を呼び捨ててください」


 今まで聞いた中で一番大きな声だ。

 悪酔いするタイプだったのか。


 「はぁ、どうしてもですか」


 「うぅぅん、どうしてもです」


 何か変な声も出しているぞ。


 「分かったよ。 〈みゆき〉、可愛いね。 これで良いかい」


 俺も酔ったらしい、変な言葉が口から零れてしまった。

 偽りのデートなのに、カッコつけのバーボンを、俺も五杯くらい飲んでいたんだ。


 「ふぁ、キュンってしちゃいました。 突然は、ズルいです」


 もう二人ともかなり酔っているから、居酒屋を出て帰ることにする。


 勘定をしようとすると、〈美幸〉が割り勘だと一万円札を出してきた。

 おごるるよと言っても、酔っぱらっているから、頑として折れようとしない。

 店の迷惑にもなるし、俺も押し問答が嫌になってきたから、今度は奢って貰うことで何とか決着がついた。


 はぁ、酔っぱらい相手は疲れるよ。

 だから俺は、会社の飲み会は必ず一次会までだし、上司に誘われても同僚に声をかけられても断ったことしかないんだ。


 飲み屋街を歩き始めると、〈美幸〉が当然のように腕を絡めてくる。

 おいおい、おっぱいが丸当たりじゃないか。


 どういうつもりなんだと思っていると、ホテル街の方へ、歩いて行こうとしているんだ。

 二回目でもう既成事実を作ろうとしているらしい。


 まやかしの結婚であっても、することはするんだとは思うけど、二回目ではまだちょっとな。

 俺の心がついてこれていないよ。


 「〈美幸〉、すごく酔っているじゃないか。 家まで送っていくよ」


 「〈美幸〉、って呼んだ。 うふふ、恋人みたいだ」


 〈美幸〉はもう腕に絡めてくると言うより、俺にしがみついてやっと立っているって感じだ。


 「〈美幸〉の家はどこなんだ」


 「ふぁ、私の秘密が今暴かれるわ。教えてほしいの」


 「はぁ、冗談言ってないで、早く教えてくれよ」


 〈美幸〉はわざわざ俺の耳元で、家の場所を伝えてくれた。

 邪魔くさいな、これだから酔っぱらいは嫌なんだよ。


 電車に乗って駅からはタクシーで帰ることにした。

 駅からの距離はたいしたことは無いので、タクシー料金はそれほどかからなかった。


 〈美幸〉の住んでいる家は、下町にある築年数がかなり経った、かなりボロい家のように思えた。

 大きさもかなり小さくて、進入路も誰が見ても路地だ、これじゃ車は入ってこられない。


 その路地を歩いている時も、〈美幸〉は俺にしがみついているんだが、俺が支えてやらないとそのまま崩れてしまいそうになっている。


 〈美幸〉の腰は細くて折れてしまいそうに思えた。


 やっと家に着いたら、〈美幸〉は鍵を取り出して開けようとするのだが、酔っていて上手く開けられないらしい。


 「〈美幸〉、貸してみろよ」


 俺がそう言った途端、内側から玄関が開いてしまった。


 開いた先に立っていたのは、おばあさんだった、どう考えても〈美幸〉の祖母なんだろう。


 しまった。


 俺も酔っていたのか判断を間違えた、家族に会うのは気まずいから、玄関が開くのを待たずに帰れば良かった。

 後の祭りだ。


 しょうがないので、俺はおばあさんに挨拶をして、「〈美幸〉さんをこんなに酔わせてしまって、すみません」と謝っておいた。


 「あぁ、また〈さん〉づけした。 〈みゆき〉って呼んでよ」


 「うふふ、酔っぱらいを送って頂いて、ありがとうございます。 外では何ですから、汚くしていますが、どうぞお上がりになってください」


 「ボロいけど、入ってよ。 初めて家に連れて来た男性なんだからね」


 酔っている〈美幸〉はどうでも良いとして、〈おばあちゃん〉に微笑みながら、入れと言われたら逆らうことは出来ない。


 もう死んでしまった、〈おばあちゃん〉には、返せなかった大きな恩があるんだ。

 だから他人でも、〈おばあちゃん〉には優しくする必然が俺にはある。


 「夜分お邪魔します」


 「うん、うん、素直でよろしい」


 もう〈美幸〉は黙っていろよ。


 「うふふ、〈美幸〉ちゃんは、ものすごくご機嫌なのね」


 「えへへ、分かっちゃいますか」


 こじんまりした居間に通されて、おばあさんに熱いお茶をれて貰っていると、〈美幸〉はもう酔いつぶれてしまったのだろう、「良い人で良かった」と寝言にように呟いた。


 「この頃は、とても暗い顔をしてたんですよ。 でも今日は嬉しかったみたいで、良い人に巡り合ってほんと良かった。 死んだこの子の両親もほっとしていますわ」


 この〈おばあちゃん〉、笑っている割に俺を追い込んでくるな。


 あんたの孫は直ぐに不倫をするから、それを盾にガッポリ慰謝料を盗ってやろうとしているとは、夢にも思っていないだろうな。


 〈美幸〉に〈おばあちゃん〉がいるなら、俺のガッポリ作戦は止めておこう。

 〈おばあちゃん〉を泣かせる訳には、やっぱりいかないんだ。


 俺は夜でもあるし、これ以上この家族と関わるのは止めようと思い、おばあさんの「もっとゆっくりしていって」と言う言葉を振り切って帰ってきた。

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