第2話 金とおばあちゃん

〇■☆◆


 いつものように業務を淡々たんたんとこなし、〈今日も平常運転だったな〉と帰り支度じたくしていた時に、〈町田部長〉から話があると言われた。


 あぁ、あれか。


 俺に不倫現場を見られたので、口止めをしようとしているんだろう。

 俺はわずらわしい事に関わりたくないから、誰にも言うつもりはないのにな。


 「君はまだ独身だったな。 恋人もいないのだろう」


 はぁ、なんだコイツは。

 年下で会社の部下と言っても、この言い方は失礼すぎるぞ。


 こんな上からの目線で話をするから、皆に嫌われるんだよ。

 そのくせ、上には見え見えの胡麻ごまをすりやがる、本当に嫌なヤツだ。


 「はぁ、まあそうですけど」


 「気の抜けた返事だな、まあ今は良い。 そんな君に女性を紹介してあげようと思っているんだ。 良いなんだよ」


 えぇー、口止めじゃないのか。

 不倫現場を見られたことに気づいていないのか、ふん、どうせやることしか考えて無かったんだな。


 それにしてもだ、〈町田部長〉とは仕事の話しかしたことがないぞ

 仕事以外のことは、親睦会でちょこっと話をしたくらいだ、それで紹介するってあり得ないだろう。


 それに俺はそれほど優秀でもないし、会社でちょっと孤立気味の目立たない男だ。

 自分で言うのもなんだけど、結婚相手としてはいかがなものかと思う。


 「えっ、部長の紹介ですか」


 「そうだよ。 君は真面目だから、真面目な娘が合うと思ってな。 前にいた経理部の〈美幸(みゆき)〉君なんだ。 大人しい娘だから、嫁としては最高だよ」


 おぉ、俺に不倫相手を押し付けるつもりなんだ。


 だからか。

 優秀じゃなくてどうでも良い俺に、紹介しようとしているんだろう。


 それとも単に、今の部署で女性と付き合っていない若い男が、俺しかいないのかも知れない。

 今の部署も世間と同じで高齢化が進んでいるし、入ったヤツも若いうちに転職してしまうからな。


 同業他社の方のが給与等の条件が良いらしい、俺も一度真剣に検討する必要があるな。


 「はぁ、私はまだ結婚する気はありませんよ」


 「また〈はぁ〉か、君は覇気はきがない男だな。 相手も選ぶ権利があるんだから、まだ結婚は決まってはいないぞ。 当たり前だけど、しばらく付き合ってからだ」


 けっ、あんたが〈嫁としては最高だ〉と言ったから、こう返事をしたんだ、バカじゃないのか、このコネコネ野郎。


 「はぁ、好きでもない相手と付き合うのは、ちょと」


 「〈美幸〉君に君のことを話したら、以前から気になっていた男性ですって言ってたぞ。 君のことを好きになってくれる女なんて、この先一生待っても現れるはずがないじゃないか。 〈美幸〉君はもう了解しているから、一度だけでも会ってやれよ。 それに君の同期は係長になったから、君もそろそろだと思っているんだろう。 所帯しょたいを持って責任感が上がったら、僕が口添くちぞえをしてやるよ」


 この僕野郎が、また失礼な事を言いやがったな。


 でも係長か。

 これはチャンスなんじゃないか。


 「分かりました。 部長の顔たてて一回は会ってみます」


 「おっ、分かってくれたか、このメモは〈美幸〉君の携帯の番号だ。 後は若い二人でよろしくやってくれたまえ。 ヒヒィ」


 〈町田部長〉はヒィヒィとマントヒヒみたいに薄笑いをしながら、俺の前から消えてくれた。

 〈美幸〉君の男の好みは独特だな、どうしてこんな下衆ゲスなマントヒヒが良いんだ。


 変わった女だな。

 あっ、金か。

 〈町田部長〉は、〈美幸〉君の金づるなんだな。


 それならよーく分かる。


 俺もこの紹介を受けたのは、かねのことだけだ。

 係長に昇進すると世間の評価も上がり、転職が有利になると思ったんだ。

 まあ、転職しなくても給与は結構増えるらしい。


 仕事は普通に出来るのだが、俺は会社の人達と最低限度のコミュニケーションしかとらないから、昇進はかなり厳しいと思っている。

 協調性がないと評価されているだろう、違うとは自分自身でも反論しようがない事実だ。


 それに、このマントヒヒ部長は結婚した後でも、〈美幸〉君と不倫を続けるだろうから、慰謝料をたんまりとれるぞ。

 不倫がバレたら身の破滅だからな、おどせば数百万円は固いと思う。

 〈美幸〉君の方からも、百万円くらいはいけるんじゃないのかな。


 金はあればあっただけ良いもんだ。


 俺は昼食も、金のことだけを考えて、業者の配食弁当を頼んでいるくらいだ。

 理由はもちろん、節約して貯金をするためだ、金は信用出来るものだからな、投資は信用出来ないからやってない。


 配食弁当は冷たくて安くてマズイため、ローンに追いまくられている既婚の社畜の人しか頼んでいないものだ。

 金をある程度自由に使える独身者が、食べるような代物しろものじゃないと思う。

 油で揚げた物が多いし、栄養も大いにかたよっていると思う。


 だけど俺は毎日飽きもせずに、黙ってそれを咀嚼そしゃくしている。

 いや、〈飽きもせず〉じゃない、飽き飽きとしているし、最初に食べた時に〈なんてマズイんだ〉と言いそうになったぐらいだ。


 それじゃ違う物を食べれば良いと誰かに言われそうだけど、俺は値段が高い物を食べる気がしない、かなり抵抗があるんだ。

 俺は金だけを信じて、他人はとてもじゃないが信用することが出来ない、割り切った考えをする男だ。


 だから会社には親しい人は誰もいない。

 それどころか会社以外にも誰もいないし、両親や兄とも疎遠そえんで、もう何年も実家に帰ったこともないが、それを淋しいと思ったこともない。


 それにしても、俺と結婚するつもりになっている、〈美幸〉君の意図がちょっと読めないな。

 〈町田部長〉は下衆ゲスなマントヒヒだから、俺から嫁を疑似で〈寝取る〉と言う下劣げれつなプレイを夢見ているはずだけど、〈美幸〉君にはどんなメリットがあるんだ。


 やっぱり金だとは思うが、好きでもない俺と結婚する対価に見合うほどの、大金を〈町田部長〉が用意出来るとも思えない。


 〈美幸〉君には浮気願望があるのか、弱みでも握られているのか。

 経理部を良い事に、まさか会社の金をちょろまかしていないよな。

 そうなら結婚するのはリスクがあり過ぎる、俺まで犯罪者扱いされてしまう可能性が出てくるぞ。



 〇■☆◆


 くっ、また〈町田部長〉からメッセージが届いた。

 よく理解出ないことが書いてある、〈営業部の人と結婚しろ〉と書いてある。


 なにこれ。

 無茶苦茶を言ってきた。


 相手の男性の顔は、見たことがある程度で、ほとんど話したことが無い人だ。

 いくらなんでも、結婚は命令されてするものじゃない。


 〈クズ部長〉は女としての私に興味を失って、今度は私を玩具おもちゃにして笑うつもりなんだ。

 たけど、ラブホテルに引っ張り込まれて、侮辱されながら抱かれるよりは、まだマシかも知れないな。


 それにしても、相手がその気にならないとどうしようもないことだから、私がそうしますって言っても始まらないよ。


 私は〈クズ部長〉に侮蔑ぶべつされたように、どちらかと言えば自分でもブスだと思う。


 〈背を丸めて暗い顔をしているのがよくない〉、〈あぁ、もう。鏡を見て何とかしなよ〉って良く言われるけど、出来ないんだからしょうがないじゃないの。

 職場の先輩にも、〈陰気で面白味が無い〉って言われたこともある。


 相手の人はイケメンじゃなくて平凡な顔だと思う、そしてすごい無口でまるで愛想が無い人だから、女子からの評判は決して高くはない。

 悪口みたいで悪いけど、最低に近い評価だ。


 だからこんな私でも、しょうがないって妥協だきょうする可能性はちょっぴりあるとは思うけど、やっぱり私なんかとはしたくないはずだ。

 〈容姿は良くない〉、〈一緒に居ても楽しくない〉、〈お金を持っていない〉と三拍子揃っているからね。


 それと私にとっては、とても大切な〈おばあちゃん〉を、邪魔だと思う人もいるかも知れない。

 私は恋人になっても、奥さんになっても、〈おばあちゃん〉が最優先なのは絶対に変わらないからね。


 それにしたって、自分から男性にアプローチするなんて私にはとうてい無理だよ。

 今まで、男性と一回もお付き合いしたことが無いんだ。


 命令されても、どうすれば良いの。


 〈クズ部長〉に私には無理ですと返事を返したら、動画をバラくとまた脅されて、色仕掛けで迫れとメッセージが返ってきた。

 胸を強調する服とミニスカートでデートに行けと書いてある。


 はぁ、そんな服を持っているはずがないよ、そんな服は恥かし過ぎてとてもじゃないけど着られないよ。


 それに、いやらしい服を買うために貴重なお金を使うのは、とても辛いな。


 安そうなお店を考えていた時に、どうして〈クズ部長〉はその人と私を結婚させたいのかを考えてしまう。


 相手の人は、十中八九じゅっちゅうはっく〈クズ部長〉の手下てしたに違いない。

 あの〈クズ部長〉のことだから、どうせひどいことを企んでいるに決まっている。

 二人で私を玩具にして、いやらしいことをして笑い者にするつもりなんだ。


 色んなことを犠牲にして、私を育ててくれた〈おばあちゃん〉まで、笑い者にされたらどうしよう。

 クズと手下が、もしも〈おばあちゃん〉を笑ったら、昨日買ってきたこのナイフで私が刺してやろう。


 〈おばあちゃん〉は、きっと悲しむと思うけど、私がもう持たないよ。

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