第10話 クレープ屋へ

 ダグに教えてもらったクレープ屋へ行く途中も、カレンたちは数人の町人から声をかけられた。挨拶だったり、カレンを伴っていることに対する冷やかしだったりと様々だったが、彼らはみんな笑顔で手を振ってきた。


「領民にとても慕われているのね」

「少しは惚れ直してくれたかい?」

「その発言がなければ完璧だったわ」

「それは残念」


 カレンの辛辣な突っ込みさえうれしいのか、肩を竦めるわりにはまったく残念そうに見えなかった。


「この町にいる人たちは、みんな生きている人間……なのよね?」

「おや? よくわかったね」

「表情がみんなとても生き生きとしてるもの」


 頭に布を被っていない、いわゆる自分の意思で行動できる死霊をカレンはメイしか知らない。彼女はどこから見ても人間にしか見えないが、感情がまったくといっていいほど顔に出ないのだ。まるで精巧に作られた人形のようである。


「一族の遠縁の者もいるけど、彼らの多くは僕たちが使役する霊の家族だった者たちやその子孫たちなんだ。彼らは使役霊となった家族が、無事に輪廻の輪へ戻るところを見届けたいんだろうね。使役霊の役目を全うできる時期は霊それぞれだけど、それでも長い時間が必要だ。中には見届けられずに人の方が先に逝ってしまうこともある」

「この町の成り立ちにそんな背景があったなんて……」


 もしもリアムが同じ状況になったとしたら、カレンだってこの町へ移住することを真剣に考えるかもしれない。それが恋人だったり我が子だったりしたら、思いは更に強くなるだろう。

 自分にとって大事な人が、死んだ後も成仏できずさまよっているのなら、何とかしてその魂を救ってもらいたいと思う。そしてその姿を再び目にすることができるのなら、残された者にとってもこの町で過ごす時間はきっと心の支えになるだろう。現実を受け入れるために、必要な時間ともいえる。

 メルスウィン領はある意味、さまよう霊や大事な人を失った者にとって救済の土地であるのかもしれない。


「使役霊は、家族のことを覚えているのかしら。生前と同様に一緒に過ごすことはできるの? メイは記憶がなかったようだけど」

「迷子霊や悪霊になった時点で記憶はおぼろげだね。それに使役は元々彼らが成仏するための期間でもあるから、生前の記憶は徐々に薄れていく。家族を見ても、それが誰だか使役霊には判断がつかないだろう。それに使役霊になった者は基本僕たちの命令なしには動けないから、残された者たちと水入らずで過ごすということもないね」


 大事な人ともう一度会えるのかと思えば、現状はそう楽観的ではなかったようだ。こちらは覚えているのに、使役霊となった大事な人は自分のことを覚えていない。ましてや会える機会もほぼないというのは逆につらいのではないだろうか。


「それでも……」


 思考に耽っていると、カレンの鼓膜をシドの静かな声が震わせていく。


「それでも彼らの最期の時には、残された者が立ち会えるようにはしているよ」


 そう言ったシドの微笑みはいつもよりもやさしい空気を纏っている。やはり死霊術師は恐ろしいだけの存在ではなさそうだ。シドも含め、死霊術師への偏見を改めなければならないだろう。


「あのダグの大事な人も、使役霊として働いているの?」

「ダグは、彼の先祖がそうだったようだね。僕はまだ生まれていなくて詳細はわからないんだ。でもここで生計を立てるためにはじめた棺桶作りが評判になってね。今ではメルスウィン領だけじゃなく、王都でも取引がされているよ」

「そうなの。……実は私、メルスウィン領は死霊しかいないんじゃないかって思ってたの。ごめんなさい。でも今日こうして街を見て、自分がいかに先入観に囚われていたかを思い知らされたわ」


 見渡す街の風景。そこに暮らす人々の表情は笑顔があふれていて、やさしい空気に包まれている。


「昨日メイに死霊術師の本来の目的について聞いた時も思ったんだけど、確かに私はあなたや死霊術師のことをまったく知らない。だからここにいる間、私はあなたのことをちゃんと知ろうと思うわ」

「カレン……。ゴファッ!」


 急にシドが胸を押さえてその場に蹲ってしまった。一瞬びっくりしたカレンだったが、何だか似たような場面を前も見たような気がする。そう思っていると、案の定鼻血で赤く染まったハンカチを鼻に当てて、シドがよろよろと立ち上がった。


「あぁ、今すぐ結婚したい」

「だからそういうのを控えてちょうだい。でないとあなたの本質が変人で塗り潰されてしまいそうよ」

「君の前ではどんな男も変人にならざるを得ないだろう?」

「あなたの基準はおかしいの! ほら、あれが噂のクレープ屋さんじゃないの?」


 ダグに教えてもらったクレープ屋は若い女性で賑わっていた。フルーツと食用の花をトッピングした可愛らしいクレープで、よく見れば生地の外側は繊細なレース模様になっている。どうやって焼いているのか気になったが、シドに気付いた女性の一人が上げた声にカレンの思考は遮られた。


「あっ、シド様! ごきげんよう」

「やぁ。君は確かテリーのところのご息女だね。シンディ、だったかな?」

「名前まで覚えてくださってるなんて感激です! 今日はご視察ですか? あっ……もしかして後ろの方が?」


 シンディと呼ばれた女性が、そこでようやくシドの後ろに隠れて見えなかったカレンの存在に気がついた。歳はカレンと同じくらいだろうか。溌剌とした笑顔がとても印象的だ。


「ちょうどいい、シンディ。君にも紹介しよう。彼女は僕の女神、カレン・ホッズベルだ。いま僕は彼女を口説き落としている最中でね。彼女が喜びそうなクレープはどれかわかるかい?」

「ここ数日シド様が結婚するっていう噂話があったんですけど、あれ本当だったんですね。びっくりしました」

「僕もカレンとの出会いは衝撃でしかなかったよ。生きた人間に、これほど完璧な肉体を持つ女性がいるなんてね」

「シド様、今まで人形にしかご興味なかったですもんね」


 何やらとてつもなく危険な発言が聞こえた。

 カレンだって小さい頃は人形で遊ぶこともあった。男の子が人形で遊ぶことを否定はしないが、それにしたってシドはもう成人している。もしや彼の隠れた性癖なのだろうか。たとえばシドが未だ人形遊びをしていると仮定して、そのはどれくらいなのだろうか。

 その先を考えてはいけない気がして、カレンは慌てて頭の中から「人形」の文字を振り払った。


「あぁ、クレープでしたね。そうだなぁ……二人で食べるなら、この『ときめきストゥルベリー&魅惑のバヌァーヌァの蕩ける夜』か『恋人たちに贈る宝石箱』が定番っぽいですね」


 店舗前に置かれているメニューの看板を見てみると、確かにシンディの教えてくれたふたつはカップル専用クレープの中でも特におすすめと書いてある。ついでに言えば『ときめきストゥルベリー&魅惑のバヌァーヌァの蕩ける夜』のクレープには、小さく『媚薬入り』と記されていた。


「どちらもおいしそうだね。カレン、君はどっちが……」

「恋人たちに贈る宝石箱で!」

「……っ、恋人……! 店主! 恋人たちに贈る宝石箱をひとつくれ。に送るやつを!」


「恋人」を強調して注文していたシドには悪いが、あの二種類で選ぶなら恋人クレープの方がマシという理由でしかない。ストゥルベリーとバヌァーヌァはどう見てもストロベリーとバナナのホイップクリーム添えだったのだが、さすがに媚薬入りのクレープをシドと食べるのはためらわれた。


「お待たせしました。恋人たちの宝石箱です」


 店主から手渡されたクレープは、小さくカットされたフルーツと食用の小さな花がたくさん盛られていて、その名の通りまさに宝石箱みたいにキラキラとしていた。くるりと巻いたクレープ生地の端は繊細なレース模様に焼き上がっていて、食べるのがもったいないくらいだ。巻き方が特殊なのか、クレープの上部は綺麗に二つに分かれている。どうやら両端から仲良く二人で食べるためのクレープということらしい。


 シンディはすでに自分用のクレープを受け取ってどこかへ行ってしまった。去り際に「ごゆっくり」と言われたことが、なぜだか少し恥ずかしい。


「カレン。あそこのベンチに座って食べようか」


 明るい太陽の下、シドに手を引かれて広場のベンチへと誘われる。今までこんな風に異性と過ごしたこともなければ、外に出て買い物を楽しむということもあまりしてこなかった。

 外でクレープを食べる。たったそれだけのことなのに、カレンはまるで子供のようにワクワクとした気持ちになってしまった。



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