第9話 街へ

 翌朝カレンが目を覚ますと、棺桶の中は瑞々しい薔薇の花で埋め尽くされていた。棺桶の脇には、頭に白い布を被った小さな使役霊が、空っぽの花かごを持って浮遊している。カレンと目が合うと、相変わらずのささやき声で『おはよう』と短く挨拶をした。


「おはよう」


 ゆっくりと体を起こすと、棺桶に詰め込まれていた薔薇の花がこぼれ落ちる。眠っている間に花で埋め尽くされるなんて、まるで葬送の儀式のようで笑えない。

 自分の仕事は終わったとばかりに、花かごを持った使役霊が器用に扉を開けて出て行く。そこは通り抜けないんだ、と思っていると、開いた扉の向こうからメイドのメイが姿を現した。


「おはようございます、カレン様」

「メイ、おはよう」

「本日は午後から旦那様と奥様がお見えになります。朝食は準備が整っておりますので、身支度を終えたらすぐ食堂へご案内致しますね。シド様はもう三時間前からお待ちですので」


 三時間前といったら午前四時前後である。そんな日も昇らないうちに食堂で待つシドの姿を想像すると、カレンは何とも言えない気分になってしまった。


 身支度を終えて食堂へ案内されると、カレンの姿を見たシドが文字通り椅子から飛び上がって満面の笑顔を向けてきた。


「おはよう、カレン。今朝も素晴らしく均整のとれた体だね。美しすぎて創世神が降り立ったのかと思ったよ」

「……おはよう」

「昨夜はよく眠れたかい? 君の体に合わせて特注で作らせたベッドの寝心地はどうだった? 問題があればすぐに改善しよう」

「特別に作ってもらったのはありがたいんだけど……できれば普通のベッドがいいわ。わがままを言ってごめんなさい」

「君のわがままなんて、調教中に泣いて震える悪霊みたいにかわいいものさ。早速手配しよう。それにしても二人で寝るのにちょうどいい大きさのベッドをご所望とは……カレンは見た目によらず積極的なんだね。君の気持ちが固まるまで我慢しようと思っていたけれど、これはご期待に添えるべきかな?」

「そういう意味じゃなくて!」

「わかってるよ。でも、ごめん。僕は少々浮かれているようだ。君が本当にこの屋敷にいると思うと昨夜もなかなか眠れなくて、一晩中踊り明かしたくらいだからね」


 もしかして一人で踊っていたのだろうか。そう思っている間にシドに手を取られ、カレンは席まで自然にエスコートされた。そう言う所作はとても貴族らしくて、これが問題発言を繰り返す男と同じ人物なのかと疑ってしまう。


「さぁ、朝食にしよう。君と食べる朝食は幸せの味がするんだろうね」


 用意された朝食はどれもおいしくて、悔しいけれどシドの言うとおり、別の意味で幸せの味がした。


「カレン。このあと君を街へ誘いたいんだけど、どうかな?」


 シドがそう訊ねてきたのは、朝食後の紅茶を飲み終えた時だった。謎の多いメルスウィン伯爵領。住んでいる者はいるのだろうか。もしいるとしたら、彼らはどういった人物なのだろう。少なからずシドを取り巻く環境に興味のあったカレンは、彼の申し出を二つ返事で了承した。


 シドと共に訪れた市街地は、カレンが想像していたよりもはるかに明るくおしゃれな雰囲気だった。整備された石畳に、オレンジや黄色、水色といった淡い色合いの家々が並んでいる。店舗となる店には鉄細工の看板が掲げられており、街の植え込みや家のベランダには色鮮やかな花々が飾られていた。

 まるで本の中に出てくるおとぎの国へ迷い込んだかのようだ。さすがのカレンもこの街並みには心が踊ってしまい、頬が緩むのをとめられなかった。


「……素敵」

「ブレスレットも棺桶も反応がいまいちだったのに、君はこんな普通の街並みに感動するんだね。女心は難しいな」

「女心というか、あれは普通の人間の正常な反応だと思うけど」

「そうかい? でも君の笑顔が見られたのなら、僕はそれだけで十分だけどね」


 通りを行き交う人はわりと多かった。それに皆、頭に布を被っていない。領地に着いてから生きた人間はシドしか見ていないが、この町にいるのはどちらなのだろう。


「これはシド様、こんにちは。先日の棺桶はいかがでしたか?」


 突然声をかけられて振り返ると、そこには人の良さそうな老年の男性が立っていた。布は被っていないがベージュ色のキャスケットを被っている。


「やあ、君か! 棺桶の出来映えは最高だったんだけどね、どうやらベッドにするには少々手狭だったようだ」

「はぁ!? ベッドにしたんですかい!?」

「そうだよ。カレンの美しい肉体には最高級の棺桶が似合うと思ったんだ」

「いくらシド様でも、そりゃぁやり過ぎですよ。領地を見に来てくれるだけでもありがたいのに、そんなことされると早々に愛想を尽かされてしまいますよ」


 話の流れから、昨夜の棺桶ベッドを作ったのはこの男のようだ。ベッドにするには問題ありだが、棺桶自体はとてもていねいで美しい仕上がりだったので、職人としての腕が確かなのは間違いない。

 昨夜はさも当たり前のように棺桶を用意されたので、ここではそれが当たり前なのかとも思ったりしたが、男性の口振りからするにカレンのおかしいと思う感覚の方が正常だったようでホッとした。


「それで、そちらのお方が例の?」

「そう、私の妻……ぐふ……になるかもしれない女性、カレンだ。どうだ? 神が作りし人間の最高傑作だとは思わないかい?」


 男性と目が合ったので、カレンは軽く会釈した。


「カレン・ホッズベルです。一ヶ月の間お世話になります」

「こんなわしにも頭を下げてくださるとは、なんと優しいお方だ。わしはダグ。ここで棺桶職人をやっとります。昨夜はわしの作った棺桶が申し訳ないことをしました」

「いいえ、そんな……。寝心地は思っていたよりもよかったです。ありがとうございます。せっかく作っていただいたものなので、できれば私も使い続けたかったんですけど」

「何と! シド様が本当に女神をお連れになっておったとは!」

「そうだろう、そうだろう! カレンは本当に心根まで美しい僕の女神なんだ」

「だったらなおさらちゃんとしなくちゃダメでしょう、シド様。このままだと本当に逃げられますよ!」

「これでもちゃんと真面目に愛は伝えているつもりなんだけどな。棺桶の蓋には僕の写真も貼り付けてアピールしたし」

「ダメだ、こりゃ……」


 シドがそう言うと、ダグは頭を抱えて大きなため息をついてしまった。

 シドとダグのやりとりには身分差をあまり感じない。それほど伯爵家と町人との距離が近いのだろう。普段から街を視察する回数も多いのかもしれないし、それはつまり領地に住む人々のことをちゃんと考えているということにも繋がる。

 今のところカレンに対しての行動に共感はまったくできないが、メルスウィン伯爵家次期当主としてのシドには少なくとも好感が持てた。


「そうだ。せっかく街を見て回るんなら、最近人気の若者に流行っているクレープ屋に行ってみてはいかがです? うちの孫たちもお気に入りですよ」

「クレープか。いいね。カレン、君は甘いものは大丈夫かい?」

「えぇ、好きよ」

「聞いたかい、ダグ! いまカレンが僕を好きだって……」

「甘いものが好きって言ったの!」


 見るからにしゅんと項垂れるシドとは反対に、ダグは声を上げて笑っている。その視線が再びカレンに向けられると、彼は少し困ったように肩を竦めた。


「シド様も普段はここまで変じゃないんだけどね。カレン様のこととなると、どうやら正常な判断ができないらしい」

「行動のすべてが突飛すぎて理解が追いつきません」

「ははっ。それでも悪い人ではないんですよ。どうかシド様のこと、よろしくお願いします」


 よろしくされても今のカレンにはまだどうすることもできないし、シドに対して自分がどうしたいのかもわからない。カレンたちの関係はまだ始まってすらいないのだ。けれど悪い人ではない、ということについては心の中で同意した。



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