第4話 騒がしい朝

 さわやかな朝日が、カーテンの隙間から射し込んでいる。少し気だるい体をゆっくりと起こしてベッドから立ち上がると、カレンはカーテンを引いて窓を開いた。朝の清浄な空気が、心地良い風と共にカレンの赤毛をふわりと揺らしていく。


(一睡もできなかったわ)


 清々しい朝とは逆に、カレンの顔には昨夜の疲れがしっかりと残ったままだ。アーサーとの婚約破棄に加えて、死霊術師シドからの婚約の申し入れ。一晩に起こった出来事に、さすがのカレンも頭がパンクしそうである。

 昨夜は馬車が家に着いたあと、シドは「また来る」と残して闇に溶けるように消えてしまった。御者はシドを馬車に乗せたことは覚えていなかったが、それ以外に体に変化は見当たらなかったのでホッとする。害意があるわけではなく、シドは本当にカレンと話をしたかったのだろう。それほどまでに、カレンを妻として望んでいるということか。


「私じゃなくて、この体が目的なんでしょうけど」


 ぽつりとこぼれた言葉に語弊はあるが間違いでもない。シドいわく、カレンの――本人には自覚がないが、均整の取れた完璧な肉体に惚れたらしい。体の左右差や関節の曲がり具合まで口にしていたことにはゾッとするが、正直霊を見ることのできるカレンをここまで求めてくれた相手というのも初めてで混乱する。気味悪がられることはあっても、愛をささやかれたことなど今までに一度もなかった。とはいえ、その愛もかなり歪んでいそうではある。とりあえず両親には婚約破棄されたことだけを伝えて、シドのことはしばらく様子をみることにした。


 身支度を終えて一階へ降りると、めずらしく弟のリアムが起きていた。父の姿はまだなかったが母はリアムの隣に座っており、朝食の前の薬を準備している。


「リアム!? 起き上がって平気なの?」

「お姉ちゃん、おはよう。何だか今日はとっても調子がいいんだ」


 そう言って笑うリアムは本当に天使のようだ。カレンより七つ年の離れたリアムは今年十歳なのだが、他の子に比べるとやはり体は小さめである。普段からベッドに寝ていることが多いリアムだが、今日は本人も自覚するほどに体調はかなりいいみたいだ。その証拠にいつもより顔色がとてもいい。


「よかった。でもあまり無理しちゃダメよ」

「はーい」

「それじゃ、私は厨房へ行ってくるわね」


 財政難のホッズベル家では使用人も最低限の人数に抑えている。ただどうしても食事の用意や掃除など手が回らない部分も出てくるので、少ない使用人で屋敷を回すぶんカレンもできることは率先して手伝うようにしていた。

 厨房へ行くために食堂を出ると、玄関口の方で父の声がする。こんな時間から来客だろうか。何となしに様子を窺いに行くと、玄関口には両腕いっぱいに薔薇の花束を抱えた人物がひとり立っていた。


「な、何だね、君は……」

「おはようございます、お義父さん。さわやかな朝ですね」

「は? え? お義父さんって……何」

「連絡もなしに早朝から訪問してしまい、申し訳ありません。お義父さん。しかしながらカレンのことを考えると夜も眠れず、ついこうしてお邪魔してしまいました。あ、これどうぞ。うちの庭師が丹精込めて作った薔薇です。夜中にカレンのことを思いながら僕が摘み取りました。できればカレン本人も僕に摘み取らせていただきたいのですが、いかがでしょう? お義父さん」


 分厚い薔薇の壁の向こうに、見覚えのある漆黒の男。さわやかな朝日の下、居残る夜みたいな色合いがあまりに似合わなさすぎて、カレンは思わず彼――シドを凝視してしまった。その視線に素早く気付いたシドが、薔薇越しにハートマークの付いたウインクを飛ばしてくる。


「おはよう、カレン! あぁ、僕の女神が美しすぎて目が潰れそうだ」

「薔薇の棘でその目が潰れればいい」


 つい本音が漏れてしまったが、シドはまったく気にしていないようだ。逆にカレンと言葉を交わしたことがうれしいのか、その顔には満面の笑みを浮かべている。


「万が一潰れても、替えの目には困らないからね!」


 その替えの目がどこから来るのかは、あまり考えない方がいいだろう。一瞬想像しかけた墓場とシドの組み合わせを、カレンは慌てて頭の中から追い出した。


「えぇと、カレン……彼は?」

「ご挨拶が遅れました、お義父さん!」

「だからお義父さんって何……」

「僕はメルスウィン家次期当主のシド・メルスウィンです。昨夜カレンに婚約の申し込みをさせていただきました。早速ですがお義父さん。カレンとの結婚を認めてください!」

「め……め、めめっ、メルスウィン伯爵ーー!!??」

「あはは! さすが親子。驚き方が昨夜の君とそっくりだね」


 そう言って笑うシドに、カレンはもうため息しか出てこない。父は驚きすぎて「何で? え? え?」と若干青ざめた表情でカレンとシドを見比べている。そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけた母とリアムが姿を現してしまい、カレンは慌ててシドを追い返そうとして彼の肩を少し強めに押しやった。

 けれども細身に見えても男である。カレンの力になど一歩も動かず、逆にその手を掴まれて、カレンは家族の目の前でまた手の甲にキスを落とされてしまった。

 その拍子にシドが抱えていた薔薇の半分が落ちて散らばり、まるでわざとらしい演出のようにカレンとシドの足元を華やかに彩った。それが意図したものなのかどうかはわからないが、カレンに向けられたシドの赤い瞳は少しだけ策略めいた光を宿しているようにも見える。


「あ!」


 やけに長ったらしいキスにカレンが抗議を上げるよりも先に、リアムが驚いた声を上げた。そのおかげでようやくカレンの手からやわらかい唇が離れていく。


「リアム? どうしたの?」

「夢に出てきたお兄ちゃん!」

「夢?」


 リアムのそばへ駆け寄る名目で、カレンはさりげなくを装ってシドの手を振り払うことに成功した。リアムにその気はなかったのだろうけれど、とてもよいタイミングである。


「うん。昨日夢の中で、僕の病気が治るキャンディをくれたんだよ。それを舐めたら苦しくなくなって、起きてからもずっと調子がよかったんだ」


 警戒心や疑問が先に来るカレンより、リアムはとても純粋にシドへの感謝と尊敬の念を表している。大きな青い瞳はきらきらと輝き、まるで神か魔法使いでも見ているような眼差しだ。

 カレンにしてみれば信じられない話ではあるが、確かに今朝のリアムはいつもよりも断然に調子がいい。本当に病気が治ったかのようだ。桃色の頬を上げて笑うリアムを見ているとうれしくなる反面、カレンはシドの行動の意味を図りかねて困惑の表情を浮かべるしかできなかった。


「あのキャンディは君に合っていたようだね。よかった」

「あなたがリアムを? 夢の中に入った?」

「そうだよ。僕の使い魔からの報告だと君は家族思いのようだから、心配の種がひとつでも減れば喜ぶかなって思ったんだ」


 知らない間に身辺を探られていたことに対しては言いたいことも山ほどあるが、シドがリアムの病気を治してくれたことには感謝しなくてはならないだろう。

 生まれてからずっと原因不明の病によって体調が優れない日々を過ごしていたリアム。そんな弟の元気な姿を見ていると、喜びは後からふつふつとわき上がってきた。


「あの……ありがとう」

「君の喜ぶ顔が見られるなら何でもするよ。でも、カレン。リアムだけど、彼はどうやら霊に取り憑かれやすい体質みたいなんだ」

「え!? それって……もしかして私のせい?」


 霊を見ることのできるカレンに寄ってきたものがリアムに取り憑つき、彼の体調を悪化させていたのだろうか。悪い想像をしてしまったカレンだったが、シドは首を横に振ってそれをきっぱりと否定した。


「君のせいじゃない。カレン。君が霊を見ることができるように、リアムは取り憑かれやすい体質というだけだ。二人とも霊に関する魔力はあるけど、対処する能力が伴っていないから被害を被ってしまうだけなんだ。元々君の家系も死霊と波長が合いやすいんだろうね。本当に運命しか感じないよ」


 足元に散らばった薔薇のひとつをシドが摘まみ上げると、それは彼の手の中で赤い石のネックレスに変化した。


「かわいい義弟おとうとに、これを」


 そう言って、シドはリアムの首に赤い石のネックレスを付けてやる。


「簡易的だけど霊が寄ってこないように魔術を施してある。そのうちちゃんとした、我が家御用達のお守りを贈らせてもらうよ」

「どうしてそこまでして……」

「聡明な君なら、もうわかっているはずだ。カレン」


 再び手を取られたかと思うと体を引き寄せられる。そのまま少し強引に抱き寄せられたカレンは、両親とかわいい弟が見ている前で、今度は頬にくちづけを落とされてしまった。


「あぁ、愛しいカレン。僕の妻になってくれ」


 あんぐりと口を開ける父と、「まぁ!」と頬に手を当てて喜ぶ母。リアムは素直に「お姉ちゃん、おめでとう!」とはしゃぐ始末だ。

 リアムの病気を治してくれたシドを無下に扱うわけにもいかず、外堀を完全に埋められてしまったカレンにできることといえば、精一杯嫌な顔をしてシドの腕の中から逃れることだけだった。



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