第5話 お試し期間

 その後シドを応接室に招き、軽い話し合いの場が設けられた。シドの向かいに座るのはカレンと父親であるホッズベル子爵だ。母親とリアムには席を外してもらった。


「えぇと……。実はカレンは、昨夜婚約を破棄されたばかりでして」


 婚約破棄されたのは確かに昨夜だ。けれどもその後のシドの登場が強烈すぎて、カレンは父がこの話題を出すまでアーサーの存在をすっかり忘れてしまっていた。


「もちろん知っています。僕もこっそりあの場にいましたから。アーサーの愚行に思わず手が出そうになりましたが、カレンの勇姿に見惚れてしまいました。そう思ったのは僕だけではないでしょう。だからこそ、他の虫が付く前にカレンとの結婚を許して頂きたい」

「それは、その……申し出は非常にありがたいのですが、娘の気持ちの問題もありますし」

「貴族社会においての結婚は謂わば家同士の繋がり。それはカレンも十分承知のはずですよね? だからこそ家のためにあのろくでもない男アーサーと結婚しようとした」


 そう言われてしまえば、カレンの父も口を噤むしかない。娘が家のため良家へ嫁ごうとしていることを、知っていながら止められなかったのだから。

 父としてカレンには幸せになってもらいたい。でもカレンが唯一の頼みの綱であることも間違いではない。カレン自身が家のために動いてくれることを、心のどこかではありがたく受け入れていたのだ。


「ちょっと待って。良家との繋がりを求めて動いたのは私よ。お父様を責めないでちょうだい」

「あぁ、カレン。そんなに怒らないでくれ。僕は責めているつもりはないんだよ」

「でも!」

「アーサーとの関係が政略結婚であるなら、僕もその手を使ってみようかなって」

「……え?」

「僕はどうしてもカレンが欲しい。カレンを妻に迎えられるのなら、半永久的にホッズベル家への支援をお約束致しましょう。我が家はあのザックレイズ伯爵家よりも裕福ですしね。今ならご令息に、我が家秘伝の、悪霊に対する防衛術などもお教えできますが?」


 リアムのことを話題に上げられ、カレンの父がびくりと肩を震わせた。リアムの病気が治ったのはシドのおかげだ。けれどそのお礼として差し出せるものがこの家にはない。唯一あるとすれば、それはシドが強く望んでいるカレン自身だ。

 しかし父としては、それは娘を生贄に出すようなものに等しいのだろう。何といっても相手は得体の知れない死霊術師。今までの婚約相手とは何もかもが違う。身構えるのは当然である。


「しかし……」

「お義父さんが迷っているのは僕が死霊術師だからでしょう? 我が一族はあまり表舞台に姿を現しませんからね。迷うのは当然です。ましてやこんなに愛らしい娘を簡単に手放せない気持ちもよくわかりますよ。カレンはとても美しいですからね」

「そ、それはどうも……」

「だから、僕からひとつ提案をしましょう」


 そういってシドは右手を胸の前に上げると、人差し指をピンッと伸ばした。


「一ヶ月、カレンを婚約者として僕の屋敷に招きたい」

「え?」

「お試し期間みたいなものです。その一ヶ月の間に、カレンには死霊術師……というか僕という人間を知ってもらいたい。その上で僕との結婚を改めて考えてもらう、というのはどうでしょう?」


 メルスウィン伯爵領は秘された領土ともいわれ、彼の一族と同様にその内部はまったくといっていいほど知られていない。唯一わかるのは、王都から北東にあるということだけだ。

 そんな場所へ一ヶ月もの間連れて行かれるなんて不安でしかなかったが、他に選択肢がないことはカレン自身にも嫌というほどわかっていた。


 どこにも貰い手のないゴースト令嬢。そんなカレンを心底妻にと望んでくれるシドは、性格も行動も予測ができないくせ者だ。けれどこれから先、シドほどカレンを求めてくれる相手はそうそう現れないだろう。それに正直、彼の実家の後ろ盾を得られることは、ホッズベル領にとってもありがたい話ではある。

 半永久的なホッズベル領への支援。弟リアムへの悪霊に対する知識と防衛術の伝授。それがカレンの身ひとつで叶うのなら、多少の不安や恐怖など我慢してみせる。

 今までだってそうしてきた。それに本当に無理なら、一ヶ月我慢すればカレンはホッズベル家へ戻ってこられるはずだ。


「……本当に一ヶ月でいいのね?」

「カレン!?」

「大丈夫よ、お父様。彼にはリアムを救ってもらったし、そのお礼を私ができるのならするべきだわ」

「しかし……」

「それに一ヶ月という譲歩案も出してくれた。ここまでしてくれた彼に、私たちも誠意で返さなければ」


 向かいのソファーに座るシドが、突然胸を押さえて「ぐふぅ」とくぐもった呻き声を上げた。熱があるのだろうか。心なしか顔が赤いような気がする。


「ちょっと、大丈……」

「さすが僕のカレン。聡明で理解も早く、相手への真心も忘れない。完璧だ。体だけでなく、心根も素晴らしい」

「……心配して損したわ」

「それで? 僕の提案は受け入れてくれるのかな?」


 再びこちらを見たシドは、なぜか口元を白いハンカチで覆っていた。そのハンカチがみるみるうちに赤く染まっていくのは、吐血……ではなく鼻血のせいだった。

 今まで出会ってきた貴族の殿方とあまりに違いすぎて、本当に貴族なのかどうか疑ってしまうほどである。けれどもメルスウィン伯爵家は、謂わば閉ざされた貴族だ。表舞台に出てこない、あるいは出る必要がなかったために、常人とは少し常識がずれているのかもしれない。

 もしかしたらシドは人との関わり方を知らないだけなのではないだろうか。そう思い至った時、カレンは少しだけシドに対する未知の恐怖が和らいだような気がした。


「わかりました。あなたの屋敷へ伺います」


 はっきり告げると、シドがテーブルに体を乗り出して――何なら片膝を付いて半分乗り越えて、カレンの手を両手でぎゅううっと強く握りしめてきた。


「ありがとう、カレン! こんなにうれしいことはないよ! 僕の命をかけて君を愛し抜いてあげる」

「いや、そんな命までかけられても……」

「君は何も心配しなくていいからね。一ヶ月の間、僕という愛の泉にゆっくりと浸かってくれればいい。何ならそのまま溺れてほしいくらいだ」


 死霊術師が口にすれば、「溺れる」という言葉もどちらの意味か身構えてしまう。そんなカレンの一瞬のためらいを覆い隠すように、不意に頭上から赤い薔薇の花びらが降ってきた。


「薔薇? どこから……」

「彼らも僕らの記念すべき第一歩を祝福しているよ。ほら、ごらん」


 促されて頭上を見上げれば、そこに白い布を被った謎の物体が浮いていた。大きさは子犬くらいだろうか。彼らは二体いて、それぞれに赤い薔薇の花びらが入った花かごを持っている。


『オメデトウ』

『オメデトウ』


 か細い声でそうささやきながら、彼らはカレンの頭上に赤い薔薇の花びらを降らせてきた。


「あれもあなたの使役する死霊なの?」

「そうだよ。君にならわかると思うけど、敵意はないだろう? そうなるように躾けたからね」


 そう言って笑うシドの顔が少しだけ不気味に見える。もしかして判断を誤ってしまったのだろうか。若干舞い戻った不安に怯えるカレンをよそに、シドはなおも強くカレンの手を握りしめて、決して離そうとはしなかった。



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