第2話 不気味な男

 ガタゴトと揺れる馬車の中、何となしに流れゆく景色を車窓からぼんやりと眺めていた。静かだ。さっきまでの喧噪がまるで嘘のよう。本来ならカレンもきらびやかな社交界より静かな時間の方が好きだった。部屋で本を読んだり刺繍をしたり、そんなに得意ではないがお菓子作りも趣味の一つである。甘いものが好きで、食べると頬を綻ばすカレンの姿を、きっとアーサーは想像もできないだろう。アーサーだけではない。カレンをゴースト令嬢と揶揄する貴族たちは皆、カレンの本当の姿を知らない。


 物心ついた時から、カレンには霊の姿が見えていた。両親は変わらず深い愛情を注いでくれたし、それは弟のリアムが生まれてからも変わらなかった。リアムもカレンによく懐いていたし、不思議なものが見えること以外は何も変わらない幸せな毎日だった。

 自分が人とは違うこと、そしてこの力が恐ろしいものであることを本当の意味で理解したのは十歳の時だ。川岸で財布を落としたという老婆を見かけ、親切心から大人を呼びに行こうとしたカレンはそのまま川底へ引きずり込まれたのである。老婆だと思っていたのは悪霊で、カレンは人と霊、そして悪霊の区別もついていなかったのだ。


 カレンが他人に対して素直に笑えなくなったのはこの頃からだ。死霊にはいいものも悪いものもいる。できれば関わり合いにはなりたくないが、カレンは人と違って見えるぶん悪霊の類いに目を付けられることも少なくない。だから余計な隙を生まないよう、家の外ではできるだけ感情を抑えるようにしている。そのせいで社交界でも愛想笑い一つできなくなってしまった。


 ――君に比べて、このリズの方が何倍も何百倍も愛らしい。


 頭の中で、アーサーの言葉が木霊する。

 カレンにだって自分に可愛げがないのはわかっているのだ。財政難であるため、おしゃれも最低限に留め、貴族の中ではあまり人気のない赤毛は目立たないように一つにきっちり三つ編みにしている。そして極めつけは霊を見なくて済むよう、魔法処理の施された丸眼鏡。年頃の令嬢がするには少し不格好な大きめの金縁眼鏡は、これでもできるだけ小さめに作ったつもりだ。

 大きめの眼鏡に無愛想な表情も相まって、令嬢というよりどこぞの教育係と言われてもおかしくないと、カレンは車窓に映る自分を見てふっと嘲笑した。


(気持ち悪い、か……)


 アーサーから告げられた言葉は、自分でも思う以上に深くカレンの胸に突き刺さっていた。怯えたり、奇異の目で見られることにも慣れていたつもりだったが、心までは鉄壁の仮面を纏えなかったようだ。じわりと滲んだ視界に慌てて眼鏡を外し、ハンカチで目元を覆う。せめて会場で泣かなかっただけでも自分を褒めてやりたい。


(ダメね、私。家族のためにもいい家に嫁がないといけないのに……愛想笑いのひとつもできないなんて)


 深呼吸をすると、気持ちはだいぶ和らいだ。と同時に、今後の身の振り方をどうすべきかが重くのし掛かってくる。


(こうなれば、この特異体質を使って自分で稼ぐとか?)


 とはいえカレンは見えるだけで、祓えるといっても一時的なものだ。低級霊などはカレンがそばにいるだけで近寄れないらしいのだが、それだけできても話にならない。


(死霊術師に弟子入りする? ……ううん、さすがの私もそれは怖いわ)


 この国には死者や霊を用いて術を行う、死霊術師という魔術師がいる。代々血統によって受け継がれる魔術だそうで、その全貌を詳しく知る者は数えるほどだという。死者の軍勢による国境の警備や、戦においての斥候としての役割が死霊魔術と相性がいいらしい。ただ扱う術が術だけに、人々からは死神のように恐れられている。それこそカレンを揶揄するゴースト令嬢などかわいいものだ。


「最悪、隣国も視野に入れなくちゃいけないかしら」


 隣国ならばカレンの噂もそう広まってはいないだろう。見知らぬ土地へ嫁ぐのは勇気がいるが、これも愛する家族のためなら乗り越えてみせよう。そう気持ちを切り替えて顔を上げたカレンは、そこで奇妙な違和感に気がついた。

 馬車の車窓から見える夜の街。等間隔に並んでいる外灯の下に、全身黒ずくめの男が立っている。それだけなら特別おかしなところはないのだが、この男、実はさっきからカレンの視界にちょいちょい入り込んでいるような気がするのだ。


(さっきも、外灯の下に立ってた? そんなはずは……もしかして死霊?)


 そういえば涙を拭うのに眼鏡を外したままだった。慌てて眼鏡をかけ直すと、また窓の外に似たような男の姿が通り過ぎていく。男は何をするでもなく立ち尽くしたまま、カレンが乗る馬車をじっと見つめているようだ。

 眼鏡をしてもはっきり見えるということは死霊ではないのだろうが、こうも続けて姿を目にすれば否が応でも鳥肌が立つ。


(他人の空似? 気のせい? でもさっきからずっとこっち見てるし、何なら少しずつ馬車の方に近付いてきてない!?)


 人間ならば超高速移動だ。おまけにカレンが感じたように男は外灯の下から少しずつ車道へ出てきており、今では通り過ぎる瞬間にその表情までもが確認できてしまうほどだ。こんなにも近くに人がいれば御者も気付くはずなのだが、何もないということはおそらく彼にはこの男が見えていないのだ。

 魔法処理の施された眼鏡を以てしてもその姿を目視できるほど強力な霊だということか。その事実に行き当たり、カレンの背筋がぞくりと震えた瞬間――。

 バンッ! と強い音を立てて、馬車の窓が外側から強く叩かれた。反射的に顔を向けたカレンの視界には、窓にへばり付く白手袋をした左手が見える。その手がずるりと滑り落ちたかと思うと、闇夜から這い出る魔物のように白い顔がぬぅっと窓の向こうに現れた。


「カ~レ~ン~」


 やけに甘ったるい声でカレンの名を呼んだ見知らぬ男は、馬車の窓越しに暑苦しい投げキッスを飛ばしてきたのだった。



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