第3話 天使の導くままに

 婚活パーティーの会場の隅で、押し黙る恵一にひたすら語り掛ける少女の姿を見て、健太郎はしばらく全身の震えが止まらなかった。

 少女の姿かたちは、奈緒そのものだった。

「もう二度とこの世に戻らない」と誓ったはずなのに、どうしてここにいるのだろうか? 健太郎はいてもたってもいられず、公民館の玄関へと駆け込んだ。

 玄関に入ると、職員と思しきワイシャツ姿の男性がまるで門番のように立ちはだかり、大きな眼鏡を光らせながら健太郎の元へと近づいてきた。


「一体何の御用ですか? 今日は婚活パーティーのため、関係者以外は立ち入り出来ないことになっております。パーティー参加者ならば、チケットを拝見させてください」

「チケットはありません」

「じゃあ、住所とお名前は?」


 職員は名簿を手にして、上目遣いで健太郎に身元を尋ねてきた。健太郎は逃げ場がないと思い、一か八か、自分の名前を告げて、素直に謝ってここから退散しようと思った。


「あの……藤田というのですが」

「フジタ……ああ、ありますね。藤田幸次郎こうじろうさん、ですか?」

「え?」


 健太郎は手を口に当てて驚いた。弟の幸次郎は家に居るはずなのに、どうして名前が載っているのだろうか? しかし、奈緒の存在をこの目で確かめたいと思った健太郎は、とりあえずこの場では自分が幸次郎だと偽り、切り抜けようと思った。


「そうです。藤田幸次郎です」

「じゃあどうぞ。もう残り時間は少ないですけど、素敵な出会いがあることを期待します」


 職員は笑顔でパーティの参加者名簿を手渡した。健太郎は名簿をざっと見渡すと、さっき出会った雄吾や恵一と、恵一に声を掛けてきたはるかの名前、そして幸次郎の名前をみつけた。

 しかし、奈緒の名前はどこを探しても出てこなかった。恵一の前に立ってる少女は、本当に奈緒なのだろうか? 健太郎は頭をひねったが、正体を確かめたい気持ちが先走り、会場の中へと歩き出していった。

 少女の姿が徐々に視界に入ってくると、奈緒との思い出が脳裏によみがえってきた。一緒に魚釣りをした時のこと、盆踊りの帰り道、そして海へのドライブ……。


「あれ? あなたは……さっきお会いしたカマキリのお父さんですよね?」


 健太郎の前には、声を掛けられ目を丸くして驚く恵一の姿があった。奈緒らしき少女は、いつのまにか健太郎の視角から姿を消していた。


「ここ、既婚者は立ち入り禁止のはずですけど、どうして入れたんですか?」

「まあ、ちょっと気になって。見学させてもらえることになりまして」

「へえ、そうですか。かなりガードが厳しいと聞いていたので……」

「あの、さっき恵一さんに話しかけていた若い女の子は誰ですか?」

「さあ……突如私の目の前に現れて、私に二言三言アドバイスしたら、どこかに行ってしまいましたよ」

「名前は何と言ってましたか?」

「ごめんなさい。何も言わないで去っていったので」


 恵一は髪の毛を掻きながら、申し訳なさそうに話していた。

 一方、庭のテーブルでは男がはるかの隣に立ち、会場中に響くほどの大きな声で延々と話し続けていた。男は話をしながら白い歯を見せて笑っていたが、はるかは笑っていても、どこか顔が引きつっているようにも見えた。しかし、男の話が面白いらしく、自らその場を離れていこうという感じはなかった。


「はるかさんのこと、気になりますか?」

「はい。すごくかわいらしい方で、隅っこでおとなしくしている私にも声をかけてくださったんです。女性と膝を突き合わせてじっくりとお話した経験は生まれて初めてで、本当に嬉しくて」

「そんなに嬉しいなら、なぜもっと積極的に声を掛けないんですか?」

「だってあの二人、何やら楽しそうに話をしているから……僕の話は、あの男の人に比べてきっとつまらないんだろうな、と思って」

「そうでしょうか? 恵一さんと話しても、悪い気は全然しませんよ。もっと自信をもってくださいよ」

「でも……」


 恵一は苦笑いしたまま、そこから動こうとしなかった。


「ねえ、何ボケっとしてるの? 今行かないと、永遠にあの男の人に取られたままだよ。本当にそれでいいのかな? もっと自分の気持ちに素直になってよ!」 


 突然、二人の後ろから若い女性の叫ぶ声が響いた。健太郎が振り向くと、紙の長い少女が立ていた。その顔は、見れば見るほど菜緒にそっくりだった。


「お前、奈緒か?」


 少女は健太郎の問いかけに対し、何も答えなかった。そして、恵一の足元に近づくと、強引に腕を掴み、そのまま引っ張るように歩き出した。


「ちょっと、何するんですか!?」


 恵一は茫然とした様子で少女の顔を見つめていたが、少女は恵一の袖を引っ張ることを止めず、そのままはるかのいるテーブルの目の前まで進んだ。


「さ、ここからはあなたの出番だよ。がんばってね」


 少女は片手でガッツポーズを作り、目配せを送ると、他の観客に隠れるかのように姿を消した。恵一は心もとない様子で少女を目で追い続けていたが、その真後ろには、はるかと一緒に話していた男がポケットに手を突っ込んだ姿勢で、野太い声を上げて恵一を呼び止めた。


「何ですか? あなたは」

「いや、その、私は……」


 恵一は言葉を濁しながらも、はるかの顔を時々伺っていた。


「一緒にお話を出来れば、と思いまして」

「そうですか。それならどうぞ、遠慮なさらずに」


 男は爽やかな笑顔で恵一を招き入れた。


「はい、ノンアルビール。ごめんなさいね、持っていけなくて」


 はるかは小さな声で恵一の耳元でささやくと、ビール瓶を手渡した。


「失礼ですが、お名前とお仕事は?」

「わ、私は、恵一といいます。この町のJAで働いていまして……」

「JA? ふーん、そうですか、それはご苦労様です」


 すると男は苦笑いしながら名刺を取り出し、恵一に手渡した。


「特許事務所 トリプルスリー 代表 村田哲人むらたてつと……?」

「はい。僕は弁理士の仕事をしていまして、東京の神宮球場の近くで特許事務所を開いているんです。製造業の特許申請が多くて、最近は海外への特許申請の相談もあるんですよ。ここまでずっと仕事漬けで気が付いたら適齢期を過ぎちゃって、さすがに親に怒られましてね、慌ててこのパーティーに参加したんです。アハハハハ」


 恵一は、哲人の経歴を聞かされた後、気後れしたのか再び無口になってしまった。一方で哲人は、目の前に恵一がいるにも関わらず能弁に仕事での自慢話を話し続けていた。はるかは、ずっと哲人の話に耳を傾けていた。

 恵一は二人の会話に入れず、ひたすらノンアルコールビールを飲んでいた。


「あの……僕も仲間に入っていいですか?」

「え? まあ、いいですけど」

「藤田幸次郎と言います。今は東京の税理士事務所で仕事をしてるんです」

「おお、税理士ですか! 実は僕、大学出て最初に税理士事務所で仕事していたんですよ」

「そ、そうですか……」


 健太郎は、しばらくの間哲人と二人で仕事がらみの話を続けた。哲人は仕事の話になると、さらに声の調子が上がり、能弁になった。健太郎は哲人に見つからないように恵一の腰を肘でついて、はるかのいる方向をそっと指さした。

 恵一は健太郎の意図に気づいたのか、そそくさとはるかの元へと近づいて行った。二人はようやく向かい合って話をする時間を確保できた。その間、健太郎は哲人と延々と仕事の話を続けていたが、ほとんど哲人が一方的に話をしており、健太郎は聞き役に回っていたので、にこやかな顔をしながらも内心は苦痛でたまらなかった。

 その時、まるで健太郎の気持ちを推し量ったかのように、場内アナウンスが流れた。


「時間になりましたので、フリータイムはこれで終わりです。ここからは気に入った方のお名前をカードに書いて、係員にお渡しください。男女お互いに書いた名前の方が一致した場合は、カップル成立となります」


 突如和やかなムードが消え失せ、参加者たちは散り散りになってカードに鉛筆を走らせていた。恵一も、はるかも、哲人も、そして健太郎も……。

 しばらくすると係員が参加者を回ってカードを回収し始めた。健太郎は辺りを見回すと、哲人は自信満々の様子で、恵一はいまいち自信がなさそうに、そしてはるかは、冷静に落ち着いた雰囲気で結果発表の時を待っていた。


「それでは発表します。今日はなんと八組のカップルが誕生しました。お名前を読み上げますので、前の方にお進みください」


 職員がマイクを持ちながら、見事にカップルとなった参加者の名前を読み上げた。

 名前が読み上げられるたびに、場内からは歓声とため息が沸き起こった。

 雄吾の名前も読み上げられ、照れくさそうな顔でカップルとなった女性とともに前方へ歩き出した。

 その後も続々と名前が呼ばれ、七組目までが決定したが、未だに恵一達の名前が出てこなかった。

 恵一とはるかは、このままカップルになれずに終わってしまうのだろうか。


「最後の一組です……横浜市からご参加の井口はるかさん、そして……」


 健太郎は息を飲んだ。余裕の表情を見せていた哲人も、緊張した面持ちで職員の方を向いていた。

 そして、はるかとカップルになった男性の名前が呼び出された時、恵一と哲人は「まさか」という感じではるかを見つめた。はるかはチャーミングなえくぼを見せながら、二人に向かって片手を振っていた。

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