第2話 旅立ち
自分たちが暮らす場所から当代の『勇者』が現れたことは、村中の話題になりました。
これまで彼をバカにしていた同年代の子どもたちは、途端に態度を変えました。あれは駄目だと嘆いていた大人たちも、「いつかはやると思っていたんだ」などと
リマはそれを聞いても、なんだかちっともうれしくありませんでした。彼が認められたことを喜べない自分が、嫌でたまりませんでした。
「リマ」
「…………」
明日には都へ向かう幼馴染に、リマはなんと声をかけていいかわかりません。
彼は勇者アーサーです。リマの知っている男の子は、いなくなってしまいました。彼の存在は消えてしまって、ここにいるのは『アーサー』と呼ばれる当代の勇者さまです。
勇者は、選ばれたときから、『アーサー』という名で呼ばれます。名前は秘され、くちに出すことができなくなるのです。
勇者だけではなく、姫に同行する仲間も定められた名で呼ばれる。
それが、ストレチア王家の伝統です。
「ごめんね。ずっと一緒にいるって約束したのに」
「…………」
「怒らないでよ。ぼくはリマに嫌われるのが、いちばん困る」
勇者の剣を背負って、しょんぼりと眉をさげる幼馴染を見ていると、リマの心はすこしだけ落ち着きました。
彼はもう『アーサー』だけど、いまここにいるのは、リマの知っている少年です。
もう彼の名を呼ぶことはできないけれど、その内側までなくなってしまったわけではないのだと、焦げ茶色の瞳を見てわかりました。
「怒ってないよ。怒るわけないよ」
「本当に?」
「だって、やっとみんな、あなたは駄目な奴なんかじゃないって、わかってくれたんだもの」
「どうだろう。わからないよ。ぼく自身がいちばん迷ってる。本当は間違いなんじゃないかって……」
リマは気づきました。
ここを出ていく彼のほうが、きっとずっと不安なのだと。
生まれ育った村を離れ、たったひとりで誰も知らない場所へ行くのです。怖くないわけがありません。
ならばリマにできることは、ひとつきりです。
「信じてるよ。だってあなたはとっても優しくて強いもの。立派な『勇者』になって、お役目を果たせるように、私はここで祈ってる。帰ってくるのを、ずっとずっと待ってるから」
「……リマ」
「がんばってね、『勇者』さま」
「ありがとう、リマ」
同じ背丈にまで育った樹木の前で、ふたりは視線を合わせて微笑み、再会の約束を交わしました。
旅立つ幼馴染に、リマはお守りを渡します。父親の指導のもと、丁寧につくった護符を首にかけて、幼馴染は『勇者』として、都へ向かいました。
ここは国外れの村ですから、都の噂なんてほとんど届きません。ようやく耳にするころには、数ヶ月経ったあと、なんてことはざらにあります。
ひとびとの噂では、勇者は鍛錬に励み、姫の儀式に備えているといいます。
姫君の年齢は、リマや彼のひとつ下。儀式がおこなわれる年齢まで、あと六年もあるのです。リマにとっても、先の長いおはなしです。
ひと月に一度、手紙が届きます。
彼は読み書きなんてうまくできないはずなのに、律儀に手紙を送ってきます。
最初のころは、文字が読める村長に読み上げてもらっていましたが、教えを乞うて、読み書きを覚えることにしました。
だってなんだか、恥ずかしくなったのです。
自分が贈る言葉を、彼から贈られる言葉を、他の誰にも知られたくなくなったのです。
彼は彼で、同じように勉強をしているのでしょう。ガタガタだった字は次第に整っていき、読み易くなっていきます。普段、どんなことをしているのかが書かれており、いつも花の種が同封されていました。
都には、国の内外からたくさんの花が集まってきます。リマたちが住む村では見たこともない花もたくさんあり、彼は一通に一種類ずつ、押し花にした一輪とともに、その種を送ってくれるのです。
種は芽吹き、花ひらき、ふたたび種となり、風に乗って広がっていく。
リマと彼の家を中心に、村には色とりどりの花が咲くようになりました。
姫君に同行する仲間は、全部で四人。
勇者アーサー、剣士ファダット、魔法使いイーマル、賢者マーニ。
手紙によれば、『賢者』の選定はずっと早かったそうで、彼が姫の下を訪れたときには、すでに修行についていたのだとか。四歳上の先輩だそうです。
彼が任に就いたのとほぼ同じくして『魔法使い』も選ばれ、最後に加入したのが『剣士』
勇者一行が揃ったことで国はさらに盛り上がり、リマが住む村にも噂が届きます。
幼馴染が旅立って、じつに三年の月日が経っていました。
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