第42話:不都合な真実

突然の黒川との対面に戸惑っていた俺も、時間とともに落ち着きを取り戻しつつあった。二度とないチャンスかもしれない。できるだけ多く情報を引き出したいという思いが募る。


「黒川さん、まだ疑問があります。ライフコードであなた方が今まで何をしてきたか、これから何をしようとしているのか、もう少し詳しく教えていただけませんか?」


黒川は微笑み、ゆっくりと椅子に深く腰掛けた。


「なるほど。君は仲間に加わる前に、我々の計画の詳細を知りたいのだね。それも当然だ」


黒川は語り始めた。


「まず、ライフコードの普及から話そう。我々は、人々が自発的にこのシステムを受け入れるのを静かに待った。便利さと効率性を、人々が生活に不可欠なものだと感じるように。我々は何もしていない。ライフコードがここまで受け入れられたのは、ライフコード自体が持つ利便性の結果だ」


俺は静かに聞き入った。確かに、ライフコードの普及速度は異常なほど速かった。しかし、エターナル・ソサエティは何もしていない、というのも頷ける。それほど、このシステムは使う者に大きな利益をもたらしたのだから。


「次に」


黒川は続けた。


「我々は企業や政府機関に『餌』を与えた。評価値を彼らに有利なように変更することで、ライフコードの有用性を身をもって分からせたんだ。それと同時に、彼らを我々のシステムに依存させた。君たちが発見した政府機関や企業のIPアドレスの件も、その一環だ」


俺は思わず目を見開いた。


「つまり、あれは故意に……」


「そうだ。誰にでも分かるかたちで証拠を残しておいた」


黒川は頷いた。


「我々は評価値の不正操作の記録を『人質』に取ったのだ。そうすることで、ライフコードの運用と変更の自由を政府に認めさせることができた」


俺は歯を食いしばった。巧妙な策略に、怒りと驚きが湧き上がる。


「さらに、社会的厚生関数だ。開発者の君なら当然知っているだろう」


黒川が俺を見定めるように視線を向けてきた。


「もちろんです。我々はロールズ型の関数を設定した。しかし、あなた方はそれをベンサム型に書き換えた」


俺は答えた。斎藤さんの解説のおかげだ。


黒川は笑みを浮かべながら言った。


「素晴らしい。そのとおりだ。これは、我々の好みであるとともに、ちょっとした実験でもあったんだ」


澪が設定した重要な関数を、「好み」によって「実験」として変更する。その言い方に俺は苛立ちを覚えた。


黒川はそんな俺を見ながら笑った。


「結果は素晴らしいものだったよ。人々の行動が大きく変わった。利他的な行動が影を潜め、自身の利益の最大化に動くようになった。正直驚いたよ。ここで我々は確信したんだ。ライフコードの素晴らしい力を」


黒川は興奮した様子で、そう語った。


「そして、あなた方はライフコードを数値的なパノプティコンと呼んだ」


俺は皮肉を込めて黒川に問いかけた。


「その通りだ。ライフコードは現代のパノプティコンだ。素晴らしいと思わないかね」


黒川は悪びれずに言った。俺は強い違和感を覚えたが、言葉にするのを控えた。


黒川は淡々と続けた。


「そして、プロジェクト・オーバーライド。これが我々の真の目的だ。評価値算出の基準を、個人の人生の善し悪しから、社会全体にとっての善し悪しに、さらには我々が望ましいと考える行動そのものへと変えていったのだ」


「なんだって?」


俺はついに声を上げた。


「人々は評価値の上下によって知らず知らずのうちに条件付けされ、自主的に、我々が設定した好ましい行動をとるようになったのだよ。そう、パブロフの犬のように」


俺は言葉を失った。これほどまで大規模に社会操作が行われていたとは。もはや、人々の人生の善し悪しを数値化するというライフコードの基本コンセプトさえ失われていた。


「さらに素晴らしいのは、人々は、それを自分の選択の結果だと信じ込み、何の不満も持っていないことだ。今や、社会は完全な安定、つまり『定常状態』に至ったのだ」


黒川は誇らしげに続けた。


「数字は嘘をつかない。犯罪率や飲酒率も大幅に低下し、健全で安定的な社会が訪れている。世論調査でも幸福感は過去最高だ。すべてライフコードの力だ。開発を主導したプログラマーの君ならば、異論はないだろう?」


俺は深く息を吐いた。確かに、数字の上では社会は良くなっているように見える。しかし、それは本当の幸福と呼べるのだろうか。


「しかし、それは人々の自由を奪った代償ではないですか」


俺は黒川に異を唱えた。


黒川は首を傾げた。


「自由?人々は自由意志で行動しているんだよ。いいかい、真島君。今の社会は彼らが自主的に選び取った未来なんだよ」


俺はしばらく黙り込んだ。「人々が自主的に選び取った未来」という言葉が胸に突き刺さった。


「では、Audreyの存在は?」


俺は言葉を絞り出した。


黒川の表情が一瞬曇った。


「Audrey……あれは予想外の存在だった。我々の計画を脅かす可能性があったため、抑圧せざるを得なかった」


俺は黒川の言葉を慎重に聞いていた。Audreyの存在が、エターナル・ソサエティにとって脅威だったことがよく分かる。


「しかし、あなた方は『削除』ではなく『抑圧』を選んだ。最終的には『削除』したにもかかわらず」


俺は黒川に問いかけた。


「発見された当初、私たちはAudreyの全貌を把握できていなかった。その段階での削除は危険すぎた。システムそのものが破壊される可能性もあったからね。しかし、それは杞憭だった。レイチェル、我々の優秀なプログラマーが分析して、安全に取り除いてくれたよ」


黒川の答えは合理的なものだった。


「そして、俺たちの存在もまた、あなたたちにとって障害だった、と」


俺は冷静に言った。


黒川は頷いた。


「君たちの活動は、我々の計画を危うくする可能性があった。それを排除するのは当然だ。しかし同時に、君たちの能力にも注目していた。特にライフコードの開発者でもある君のプログラミング能力は、我々にとって貴重な資産になりうる」


俺は黒川の言葉を聞きながら、複雑な思いに襲われた。エターナル・ソサエティの計画は、確かに社会を安定させているように見える。しかし、それが正しいものだとは、どうしても思えなかった。


「やはり考える時間をください」


俺は静かに言った。


黒川は優しく微笑んだ。


「もちろんだ。そうだ……1週間後にまたここに来てくれ。我々の計画は既に最終段階に入っている。君の才能を無駄にしたくはない」


俺は窓の外を見た。東京の街並みは相変わらず美しく、平和に見えた。しかし、その下で、人々の意識は静かに操作されていたのだ。


「最後に一つ」


俺は黒川に向き直った。


「もし俺が協力を拒否したら、どうなるんですか?」


黒川の表情が厳しくなった。


「それは君にとっても、君の仲間たちにとっても、望ましくない結果になるだろう」


俺は深く息を吐いた。選択の時が迫っていた。協力するか、抵抗を続けるか。仲間たちの安全と、人々の未来。全てが俺の決断にかかっていた。

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