第40話:灰色の日々

俺は冷たい独房の床に座り、膝を抱えていた。拘置所での日々は、まさに地獄そのものだった。時間の感覚さえも失いつつある。仲間たちの安否も、自分がどこにいるのかすら分からない。ただ、四方を囲む灰色の壁だけが、俺の現実だった。


面会も差し入れもない。おそらく、この事件はマスコミでも報じられていないのだろう。親や知人たちは、俺のことを単なる行方不明者だと思っているに違いない。その方が、まだマシかもしれない。


独房からの脱出など、到底不可能だった。俺は自分の過信を痛感していた。サイファー・アーキテクチャ社への潜入が可能だったのは、澪や仲間たちがいたからだ。結月が改造してくれたNSP銃があったからだ。しかし今の俺には何もない。


国家権力の前では、個人は全くの無力だった。俺は黙々と、1日3回の食事を食べるだけの日々を送っていた。どんなに頭を捻っても、脱出の方法など思いつくはずもない。監獄から脱出する物語は星の数ほどあるが、そんなニュースは聞いたこともない。それが、現実だった。


御厨博士は、今、何を思っているだろうか。Audreyは無事に博士のもとに着いただろうか。もしかしたら、博士は手紙などをくれているかもしれない。ただ、そうだとしても検閲され、この場所には何も届かないだろう。


そういえば、思い出した。何週間か前に、匿名で「しじみ日和」と書いた箱に入った、食品のようなものが届いたが、気味が悪いので開けずにいた。俺は、ピンときていまさらながら箱を開けてみた。そこに現れたのは、博士がいつもくれていた、例の琥珀色の錠剤だった。


俺はそれを一粒噛むと、相変わらずの「スゴさ」に悶絶した。しかし、なんとも言えない安堵が俺の心を満たした。少なくとも、御厨博士は俺のおかれた状況を的確に把握し、気にかけてくれている。もしかしたら、手紙などが添えられていたのかもしれない、と考えたが、打ち消した。考えてみれば、御厨博士は最初から最後まで支援してくれた。しかし、俺たちとは一定以上の距離を置き続けていた。それは博士の深謀遠慮で、自分がこの戦いの最後の砦であることを理解してのことだったのだろう。


俺は独房の天井を見上げた。以前の自分なら、犯罪者の人権など気にも留めなかっただろう。むしろ、犯罪者は厳しく罰せられて当然だと考えていた。しかし今は、この国では犯罪者にも最低限の人権が認められていることに感謝していた。


拷問されることもない。確かに痩せてはいるが、それは主に心労によるものだろう。俺は仲間たちのことを思い、皆が無事であることを祈った。


澪のことが気がかりだった。彼女は今頃、俺の助けを待っているのだろうか。そう考えると、胸が締め付けられるような苦しさを感じた。しかし、すぐに俺は首を振った。澪は強い。きっと泣いて過ごしたりはしていないはずだ。むしろ、黙々と筋トレをしているかもしれない。その光景を想像すると、俺は思わず笑ってしまった。彼女を想うことで、俺は力をもらえる。彼女にとっての俺はどうだろうか。


最も心配なのは結月だった。あの小さな体で、この状況をどう受け止めているのだろうか。泣いていないだろうか。怯えていないだろうか。俺は結月の安全を祈るしかなかった。


そして、プロジェクト・オーバーライドはどうなったのだろうか。インディゴは何かに成功したのだろうか。俺が未だに拘束され続けているということは、おそらく大きな変化は起きていないのだろう。その考えが、俺の心をさらに重くした。


日々、俺は自分の無力さと向き合い続けていた。かつては天才プログラマーとして、どんな問題も解決できると自負していた。しかし今、俺にできることは何もない。ただ、次の食事の時間を待つだけだ。


時折、俺は自分がここに来るまでの道のりを思い返した。ライフコードの開発から始まり、エターナル・ソサエティの存在を知り、Audreyを救出し、澪を失い、そして最後の作戦。全てが遠い過去のように感じられた。


そして、自分の判断の甘さを痛感した。もっと慎重に行動すべきだった。もっと周到に計画を立てるべきだった。しかし今となっては、後悔しても何も変わらない。


食事の時間が、唯一の慰めだった。味気ない食事ではあったが、それでも生きているという実感を与えてくれた。俺は一口一口、丁寧に食べた。それが、今の俺にできる唯一の生存確認だった。


時には、独房の中で体を動かすこともあった。腕立て伏せや腹筋運動。体力を維持することが、精神的な支えにもなった。そして、それは将来の希望にもつながっていた。いつか必ず、ここから出られると信じた。


夜になると、俺は星を見たいと思った。しかし、独房の小さな窓からは、灰色の空しか見えない。それでも、俺は想像力を働かせた。屋上庭園から星を見上げたことを。自由に歩き回れた日々を。


時には、頭の中でプログラミングの問題を解いたりもした。それが、俺の頭を正常に保つ助けになった。


俺は、この経験を通じて多くのことを学んだ。自由の大切さ、人権の重要性、そして何より、人とのつながりの価値。独房の中で、俺は人間としての本質的な部分と向き合うことになった。


そして、俺は誓った。もし、いつかここから出られたら、必ず社会を変える。人々の自由と尊厳を守る。そのために、自分のできることは何でもする。


日々は単調に過ぎていったが、俺の心の中では、新たな決意が静かに、しかし確実に育っていった。

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