第37話:責任と希望
西村さんは、疲れた表情で地下シェルターに戻ってきた。その目には、複雑な感情が宿っていた。
「真島くん、橘さんの情報を入手した」
西村さんの言葉に、樹は身を乗り出した。
「澪..澪さんは無事ですか?」
「無事だ。小菅の拘置所に拘留されているようだ。おそらく、国内治安維持法による措置だ」
俺は表情を曇らせた。
「治安維持法?」
西村さんは重々しく説明を始めた。
「2043年に制定された法律だ。令状なしでの逮捕、無期限の拘留が可能になる。しかも、逮捕の事実は「適切な時期」までマスコミには公開されない」
「そんな法律が...」
俺は言葉を失った。
「これまで適用例はなかった。橘さんが初めてのケースかもしれない」
斎藤さんが口を挟んだ。
「前例のない法律が適用されるということは、少なくとも官房長官、おそらくは総理が了承しているはずだ。エターナル・ソサエティの影響力がここまで及んでいるとは...。」
そう話した後、思いがけず斎藤さんが頭を抱えた。
「すまない…こんなことになるとは…」
齋藤さんは絞り出すような声で言った。
「いや、齋藤さんのせいではないですよ」
俺は驚いてそう声をかけた。齋藤さんの返事は驚くべきものだった。
「いや、私にも責任があるんだ。6年前、この法律を制定したとき、私は出向して内閣官房長官秘書官をしていた。法律の制定過程にも無関係とは言えないんだ」
「齋藤さん..」
俺はどう声をかけて良いか分からなかった。
「この法律はテロリストなど国内の治安に深刻な脅威となる人物を想定して制定されている。もちろん、法律を作るときは常に権力による濫用の可能性も考慮する」
齋藤さんが少し早口で説明する。
「ただ、あまりに権力側の抑止を意図した条項を入れると『使い勝手が悪い法律』として評判が悪くなるから、甘くなるんだ。実際、私は甘かった。権力側が橘さんのような人にこの法律を適用する可能性を真剣に考慮していなかった」
齋藤さんはうなだれた。西村さんが肩を叩いて声をかけた。
「まあ、人間、色々あるさ。斎藤君はまだ若い。これからの人生で取り返せばいいじゃないか」
西村さんの言葉は、まるで俺に対するもののように聞こえた。自分が開発したライフコードで、仲間をこんな目に遭わせているのだから。
西村さんは深いため息をついた。
「しかし、エターナル・ソサエティの件、マスコミ関係者にも情報を流してみたが、反応は芳しくない。多くが及び腰だ。ただ…」
「ただ?」
俺が問いかけた。西村さんの表情に、かすかな希望を感じ取っていた。
「関心を持ってくれる人間は何人かいた。必要な情報は渡してあるから、一旦事が起これば、動いてくれると信じている」
斎藤さんも気を取り直し、報告を始めた。
「私も政府関係者に接触してみた。反応は西村さんと同じく、良くはない。しかし...」
彼は少し表情を和らげた。
「旧知の上司に、理解を示してくれる人間がいた。水面下で、ライフコードの停止を想定した準備を進めてくれるそうだ」
俺は少し安堵の表情を浮かべた。
「つまり、いざとなれば対応してくれる可能性が高い」
「そういうことだ」
斎藤さんが頷いた。
西村さんと斎藤さんは、気づけば地下シェルターに寝泊まりするようになっていた。地下シェルターはその気になれば10人以上の人がしばらく生活出来るほどの広さはあった。ただ、学生同然の俺ならともかく、社会的地位もあっただろう西村さんや齋藤さんが暮らすには、決して快適な空間とは言えなかった。それでも、二人とも気にする様子はなかった。むしろ、不便な生活を楽しんでいるようにも見えた。
「まあ、昔を思い出すよ」
西村さんが笑いながら言った。
「若い頃はよく、こんな風に泊まり込んで仕事をしたものさ」
斎藤さんも懐かしそうに頷いた。
「そうですね。簡易ベッドで寝るのも久しぶりだ。丁度、西村さんと知り合った頃は、まさにこんな生活でしたよ」
その時、突然シェルターのドアが開き、結月が飛び込んできた。
「兄者!」
俺は驚いて立ち上がった。
「結月?どうしてここに?」
結月は少し息を切らしながら答えた。
「停電起こりすぎでしょ。ここに再接続するのがめんどくさすぎる」
しかし、その表情はどこか嬉しそうだった。
「どうやって来たんだ?監視は?」
俺は心配して尋ねた。
結月は自慢げに答えた。
「まいたよ」
俺は半信半疑だったが、結月がここにいるという事実を前に、自分を納得させるしかなかった。いずれにせよ、残された時間が僅かな今、結月と一緒にいられる方が都合が良かった。
「というか、なんで入り口のロックを空けられるんだ、お前」
俺は答えが分かっていながら問い詰めた。
「セキュリティでは攻撃側が絶対有利、ってのは常識だよ、兄者」
結月は得意げに言った。要するに「ハックした」を偉そうに言い換えただけだ。
結月は大きめのPCに移されたAudreyと対面し、目を輝かせていた。
西村さんと斎藤さんの表情も、なんとなく和らいでいた。
「娘が小さかった頃を思い出すな」
西村さんがつぶやいた。
斎藤さんも同意するように頷いた。
「和みますね。私に娘がいたら、やがてこんな風になるのかな」
俺はその言葉を聞いて、はっとした。そうか、この二人には家族がいるのだ。それを犠牲にしてまで、ここで戦ってくれているのだ。
感謝と申し訳なさが胸に込み上げてきた。俺は静かに決意を新たにした。必ず、この戦いに勝利し、人々の自由を取り戻す。そして、西村さんと斎藤さんを、家族のもとに無事に帰すんだ、と。
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