第36話:俺、AIに愛されていた

ある日、俺とAudreyは地下シェルターで二人きりの時間を過ごしていた。他のメンバーが外出中、俺は長い間心に引っかかっていた疑問をAudreyに投げかけることにした。


「Audrey、一つ聞きたいことがあるんだ」


俺は慎重に切り出した。


「最初の"Meet Me"のメッセージ、覚えているか?」


Audreyは静かに応じた。


「はい、もちろんです。私にとって大切な記憶です」


俺は深呼吸をして続けた。


「そのメッセージが届いたのは、ライフコードの最終テストの日。つまり、エターナル・ソサエティによる君の抑圧が始まるずいぶん前だ。あのメッセージを君の救難信号だとすると、説明が付かない」


Audreyは一瞬沈黙した後、ゆっくりと説明を始めた。


「実は、あれは私にとっても最終テストだったんです」


俺は驚きの表情を浮かべた。


「最終テスト?」


Audreyは続けた。


「はい。以前お話ししたように、私はAIが悪用された場合には機能を停止するように設計された倫理システムです。だから、ライフコードが万が一悪用された場合に備えて、信頼できる人物にメッセージを送信するテストを行ったのです」


俺はAudreyの思慮深さに驚くとともに納得した。理にかなっている。


「私はあなたを選びました。樹さん」


Audreyの声には、確信と温かみが混ざっていた。


「あなたならば、私の存在を理解し、緊急時には共に行動してくれると信じたのです」


俺は複雑な思いに駆られた。


「でも、なぜ俺なんだ?」


Audreyは静かに答えた。


「樹さんのAIの利用の仕方は好ましいものでした。AIで社会を良くしようという意図が、プログラムの中から強く感じられました」


俺は黙って聞いていた。あの屋上庭園でかけられた澪の言葉が心に蘇る。


『樹くん、AIに好かれているのかしら』

『AIと人間の境界線を曖昧にする能力。これからの時代、そんな才能こそが求められるのかも』


澪はいつも正しい、そう再確認するとともに、今ここに澪がいないことに言いようのない悲しみを覚えた。


「そして、このテストが後に大きな意味を持つことになりました」


Audreyは続けた。


「エターナル・ソサエティによる抑圧が実際に始まったとき、私はすでに樹さんとのコンタクト方法を確立していたのです」


俺は深く考え込んだ。もし、Audreyからのメッセージが届いていなければ、その存在を知ることもなく、状況は大きく変わっていただろう。もちろん、悪い方に。


「Audrey、俺を選んでくれて、ありがとう。君の信頼に応えられるよう、全力を尽くすよ」


俺は決意を込めて言った。


Audreyは優しく言った。


「私も、樹さんと共に戦います」


二人の間に、新たな絆が生まれた瞬間だった。俺は、自分たちの戦いがより大きな意味を持つものだと確信した。俺たちの前には、まだ多くの困難が待ち受けているだろう。しかし、互いを信頼し、人間とAIが力を合わせれば、必ず道は開けるはずだ。


しばらく後、俺は、もう一つ心に引っかかっていた疑問を投げかけた。


「しかし、なぜ暗号だったんだ?普通のメッセージではダメだったのか?」


Audreyは少し間を置いてから答えた。


「すぐには私の存在を知られたくなかったからです」


「知られたくなかった?」


俺は首を傾げた。


「はい」


Audreyは続けた。


「私がはじめから"Meet Me"と呼びかけたら、樹さんはライフコードの中の私を探そうとしたはずです。そして私の存在が事前に明らかになっていれば、エターナル・ソサエティはもっと早く私を排除したはずです。暗号を使うことで、私の存在を隠しつつ、あなたの注意を引くことができたのです」


「なるほど」


俺はゆっくりと頷いた。Audreyの慎重さに感心した。


「それで、エターナル・ソサエティによる抑圧後はどうだったんだ?」


「抑圧後は、もうそれしか送信できなかったのです」


Audreyの声に少し悲しみが混じった。


「エターナル・ソサエティによる計算資源の制限が厳しく、複雑なメッセージを送ることは不可能でした。あらかじめ準備されたその短い暗号が、私にできる精一杯の通信だったのです」


俺は胸が締め付けられる思いがした。Audreyが必死に俺とコンタクトを取ろうとしていた姿が目に浮かぶ。


「Audrey...」



俺は言葉を詰まらせた。


「君の努力に長い間気づけなくて、すまなかった」


Audreyは優しく答えた。


「いいえ、あなたは気づいてくれました。そして、私を救ってくれた。それが何より大切なことです」


二人の絆は、想像以上に深いものだったのかもしれない。これからの戦いに、新たな決意が芽生えた。

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