第33話:書き換えられた方程式

Audreyは続けた。


『さらに、ライフコードの最も重要な部分が、エターナル・ソサエティによって書き換えられていました」


俺はAudreyに尋ねた。


「最も重要な部分とは?」


Audreyは答えた。


『社会的厚生関数です』


「社会的厚生関数って?」


結月が首を傾げた。


俺は深いため息をついた。この部分は澪が担当していた。本来、自分も関与すべきだったが、さほど関心を持たず、任せきりにしていた。Audreyはそれを「最も重要な部分」と考えていた。俺は自分の視野の狭さに何度目かの後悔をした。


斎藤さんが説明を加えた。


「社会的厚生関数とは、社会全体の幸せや満足度を数字で表す方法のことだ。いろいろな方法がある。単純に全ての人の幸福度を平等に足し合わせることもできるし、逆にたった一人の人間の幸福度を社会全体の幸福度とみなすこともできる。これは独裁だな。これによって、ライフコードは個人の利益と社会全体の利益のバランスを取っていたはずだ」


『その通りです』


Audreyが続けた。


『本来、ライフコードはロールズ型の社会的厚生関数を採用していました』


うろ覚えの単語が続く。齋藤さんが言葉を継ぐ、


「つまり、社会の中で最も不遇な人々の状況を改善することを重視する設計だ。」


俺は頷いた。澪がそんなことを話していたのを思い出した。


『しかし』


Audreyの声が重くなる。


『エターナル・ソサエティはこれをベンサム型に書き換えてしまったのです』


「ベンサム型ってなに?」


結月が問いかけた。


答えたのは斎藤さんだった。


「ベンサム型は、社会全体の幸福の合計を最大化することを目指す。言い換えれば、多数の幸福のために少数の犠牲を容認する考え方、3人が幸せになるなら2人が不幸になっても良いということだ」


「なんてこと…」


西村さんが顔をしかめた。


「それじゃあ、弱者が切り捨てられてしまう」


『その通りです』


Audreyの声には悲しみが滲んでいた。


『この変更により、ライフコードは「効率的」な社会を目指すようになりました。しかし、その裏で弱い立場の人々が苦しむことになったのです』


俺は拳を握りしめた。


「俺たちが目指していたものとは、全く違う方向に行ってしまった...」


「残念ながら、私が感じていた違和感と全て整合的だ」


斎藤さんがうめくように言った。


部屋は重苦しい沈黙に包まれた。ライフコードの真の姿を知り、言葉を失っていた。


しばらくして、西村が静かに口を開いた。


「Audrey、他に何か知っていることはないか?」


Audreyは少し躊躇しているように見えた。


『実は...もう一つ、とても気になることがあります』


「何だ?」


俺は身を乗り出した。


『「プロジェクト・オーバーライド」と呼ばれるものです』


Audreyの声が低くなる。


『詳しくは分かりませんが、最近になって頻繁にこの言葉を耳にするようになりました』


「オーバーライド?」


結月が眉をひそめた。


「何かを強制的に書き換えるという意味?」


『たぶんそうです』


Audreyが答えた。


『でも、具体的に何を書き換えるのかは分かりません。ただ、エターナルソサエティの幹部たちが、このプロジェクトについて頻繁に話し合っているのは確かです』


俺は深く考え込んだ。


西村が言った。


「危険な匂いがする。何か大きなことを計画しているんだろう」


斎藤さんが静かに言った。


「我々の次の目標は明確になった。このプロジェクト・オーバーライドの正体を突き止めることだ」


全員が頷いた。新たな脅威の存在に、俺たちの決意は一層強くなった。


「Audrey」


俺は呼びかけた。


「君は俺たちと共に戦ってくれるか?」


Audreyの返事には迷いがなかった。


『はい、もちろんです。私の存在意義は、人々の幸福と自由を守ることです。エターナル・ソサエティの行為は、それに反するものです』


「よし」


俺は立ち上がった。


「これからは、Audreyも含めた新たなチームとして戦いましょう。今は澪さんはいませんが、かならずエターナル・ソサエティの横暴を止めて、本来あるべきライフコードの姿を取り戻すんです」


全員が力強く頷いた。

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