第29話:緊急事態

澪は44階のサイファー・アーキテクチャ社のフロアを順調に進んでいた。西村が入手したIDカードが完璧に機能し、それをこれ見よがしに掲げることで、すれ違う社員や警備員の目をすり抜けることができた。奥にある上階へのエレベーターを見つけ、胸を撫で下ろす。


「ここまで順調ね」


澪は心の中で呟きながらエレベーターに乗り込むとIDカードをかざして65階のボタンを押した。エレベーターが上昇を始める。

澪は一つ息をついた。しかし、その安堵感は長くは続かなかった。


エレベーターが50階で突然停止した。ドアが開くと、そこには見覚えのない廊下が広がっていた。


「これは...」


澪は眉をひそめ、左手首のデバイスで樹を呼び出した。


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「樹、聞こえる?」


俺は非常階段を上っている最中に澪の声を聞いた。


「ああ、どうした?」


「予期せぬ問題が発生。エレベーターが50階で停止」


「マジか...」


俺の声に思わず焦りが混じる。


「何とかするわ。樹、先に行って」


「でも...」


「大丈夫。時間の無駄よ」


澪は強く言った。


「...わかった。気をつけて」


通信を切ると、俺は歯を食いしばった。澪のことが心配だが、今はミッションに集中するしかない。


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澪は深く息を吐いた。

「さて、どうしたものか」


澪は周囲を見回した。非常階段への入り口を見つける。


「ここしかないわね」


澪は慎重に非常階段のドアを開けた。階段を上り始めると、数階上で何かが横たわっているのが見えた。近づいてみると、それは人間だった。


「まさか...」


澪は驚きの表情を浮かべる。大村だ。その無意識の姿を見て、状況を理解した。


「彼のバイタルに異変を感じて、セキュリティシステムが警戒レベルを上げたのね」


これで上へ行くのがさらに難しくなったことを悟る。


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俺はすでにサーバー室のある65階に到着していた。


「はぁ...はぁ...」


荒い息をしながら、非常階段からビル内に戻り、サーバー室に向かった。サーバー室の入り口には虹彩認証のシステムがある。結月が入手したエターナル・ソサエティ幹部の写真から御厨博士が作成した虹彩データが高精度印刷されたコンタクトレンズを使う。成功確率は60%と伝えられていた。


俺はポーチから素早くコンタクトレンズを取り出し、慎重に装着した。カメラに向かうと、しばらく沈黙が続く。


心臓の鼓動が高鳴る。しかし、認証失敗と表示されないということは、希望はある。おそらく、肩で息をしているために顔がブレているのだろう。俺は何度か深呼吸をして、心拍数を落ち着けた。


もう一度カメラを見る。しばらくの沈黙に続いて、無事に扉が開いた。60%の確率は俺たちに味方した。


「よし、ここからだ」


俺はサーバー室の中央にあるコンソールに向かった。そこでは結月が入手していたユーザー情報を使ってログインすると、慎重に、あらかじめ用意していた手順でコマンドを入力していく。画面上にサーバー内で実行されているプロセスの一覧が表示される。


「これだ!」


長大なリストの中から、結月が教えてくれたAudreyを抑圧しているプロセスを発見した。俺はソースコードを解析して割り出した手順で、プロセスを削除(キル)した。


「成功した...」


俺はほっとした表情を浮かべたが、すぐに別の不審なプロセスに気づいた。


「delete_a …所有者はrachael?何だこれは...」


俺は躊躇なくキルコマンドを入力したが、権限不足のエラーが返ってきた。


「くそっ、時間がない」


焦りを感じながらも、俺は手順にしたがってAudreyへのコンタクトを試みる。しかし、そこで予想外のパスワード認証画面が現れた。


「まさか、こんな原始的な...」


俺はためらいながら、御厨博士を思い出し"mikuriya"と入力したがエラー、御厨博士の名前や苗字をいろいろ組み合わせたが全てダメだった。さらにはオープンAIの略称であるOPAAIと入力したがやはりだめ、ダメもとでOPPAIとも入力してみたが、当然のように弾かれてしまった。


俺はふと思いついて"audrey"とパスワードを入力するが、やはり「不正なパスワード」と表示されるだけだった。


「これじゃない」


冷や汗が背中を伝う。万事休す、かもしれない。俺は最も速い速度で考えを巡らせる。原始的なパスワード入力は、本気でセキュリティを目的としたものじゃない。とするとこれは管理者の遊び。パスワードはランダムな文字列じゃない。audreyは悪くない。ただ、たしか、昔のパスワード規則は最低でも8文字とかなんとか。すると、後2文字...


そのとき、俺の頭に閃きが走った。


「Audreyは15歳相当の人格を持つAIだ」


俺は深呼吸し、"audrey15"とキーボードを叩いた。


画面が切り替わる。俺の心臓が高鳴る。


そして、画面に文字が浮かび上がった。


「はじめまして、私はAudreyオードリー。あなたの名前を教えて」


俺は息を呑んだ。ついに、Audreyと邂逅したのだ。

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