第23話:数字の迷宮
晩秋の夜の街は、俺が知っている東京とは全く違う顔を見せていた。ライフコードの一般公開から1年、奇妙な職業が次々と目に飛び込んでくる。
まず目に入ったのは、「感情調整師」と書かれた看板を掲げた店だった。中では、白衣を着た人々が客の左手首のデバイスを操作しながら、客に話しかけている。
「あれは何だ?」
俺が尋ねた。胸の奥に、嫌な予感が広がる。
KBは冷ややかに答えた。
「デバイスの数字を見ながらカウンセリングを行うことで、感情を最適な状態に調整する商売さ。ライフコードの評価値を上げるために、自分の感情すら操作する人間が増えているんだ」
その言葉に、俺は言いようのない嫌悪感を覚えた。自分の感情まで操作して評価値を上げるなんて、そんな世界を俺たちは作り出してしまったのか。
次に通りかかったのは、「人生設計コンサルタント」のオフィス。窓越しに見える内部では、壁に映る画面に複雑なグラフや数式が表示されていた。
「あれは?」
それが何であるか、大方の予想はついていたものの、俺は確認せずにはいられなかった。
「ライフコードの評価値を最大化するための人生設計を提案する仕事だ。結婚相手や職業選択まで、彼ら独自のシステムで評価値の変化を予測して推奨する」
想像通りの答えに、俺は言葉を失った。人々が人生そのものを良くしようとすることを放棄し、評価値を良くすることだけを目指していることに俺は戦慄を覚えた。
さらに歩を進めると、「ナンバー・デトックス」という看板が目に入った。
KBが説明する。
「ライフコードへの依存症に悩む人々を治療する専門家だ。しかし皮肉なことに、セラピスト自身はライフコードを捨てる気はないんだ。むしろ、それにうまく縛られる方法を知っている」
俺は深いため息をついた。街を歩けば歩くほど、ライフコードがもたらした歪みが見えてくる。人々の表情はバリエーションに乏しく、互いに警戒し合っているように見えた。かつての活気ある東京の街並みは、どこへ行ってしまったのだろう。
「どうだ」
KBが俺を見つめた。その目には、冷たさと同時に悲しみも宿っているように見えた。
「これが、君たちの作り出した世界の姿だ」
俺は言葉に詰まった。確かに、この現状は俺たちの意図したものではなかった。しかし、だからといって全てを破壊することが正しい選択なのだろうか。頭の中で、様々な思いが交錯する。
「改めて言うが、時間をくれ」
俺はようやく口を開いた。
「確かに問題は深刻だ。でも、まだ希望はあるはずだ」
KBは冷ややかな目で俺を見た。
「早く決断しろ」
KBは唐突に俺に背を向けると低い声で言った。
「それから、君とはもう会うことはない。忠告だ、物理的に会うリスクをあまり軽視するな」
その言葉と32桁のコンタクトIDを記したメモを残し、KBは人混みの中へと消えていった。俺は一人、混沌とした街の中に取り残された。心の中で、Audreyを解放するという自らの信念と、ライフコードを完全に破壊するというインディゴの主張が激しくぶつかり合っていた。
正しい答えはどこにあるのか。俺は重い足取りで、夜の街を歩き続けた。頭の中は混乱し、胸の内は激しく揺れ動いていた。
俺は立ち止まり、周囲を見渡した。ライフコードによって生まれた新しい職業の数々。左手のデバイスを気にしながら街を行きかう人々。わずか1年で、ライフコードは電気や水道に並ぶ社会のインフラになっている。俺は深いため息をついた。
その時、俺の左手首のデバイスが突然振動した。画面を確認すると、またしても例のメッセージが表示されていた。
『4D F8 00 0F F9 F8』
Audreyは今も必死に助けを求めている。そう思うと、胸が締め付けられた。
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