第19話:最後の砦

それから1週間後、俺は緊張した面持ちで、霞が関にある某官庁の会議室に足を踏み入れた。あらかじめ御厨博士が送ってくれた登録済みのIDカードでゲートはあっさり抜けられた。生体認証すらないのが意外だ。だが、心臓の鼓動が耳に響くようだった。


素知らぬ顔でエレベーターに乗り込み、指定された番号の会議室にたどり着いた。部屋の中央には長い会議テーブルがあり、窓からはいくつかの省庁が見える。ただ、今の俺の目はそれらには向けられず、テーブルの端に座る一人の男性に釘付けになっていた。


御厨博士だ。


「よく来てくれた、真島君」


御厨博士が穏やかな声で言った。その声には、どこか安心感があった。


俺は慎重に周囲を見回した。


「博士、ここで会うのは大丈夫なんですか?監視カメラとか...」


不安が頭をよぎる。よりによって、政府とも強い関係を持つエターナル・ソサエティと敵対している自分を霞ヶ関に呼び出した博士の考えが分からなかった。


御厨博士は微笑んで手を振った。


「心配無用だ。いったん中に入ってしまえば、実はこういう場所のセキュリティは驚くほど緩いんだ。官僚自身が犯罪行為を行うことは想定されていないからね。灯台もと暗し、ここが1番安全なんだよ」


そんなものなのか、と俺はちょっと拍子抜けした。


切り替えて、俺はすぐに本題に移った。


「博士、一つ聞きたいことがあります。この前、俺のデバイスにある奇妙なメッセージが届いたんです」


俺はひとつ息をした。


「『Meet Me』というメッセージなんですが...何か心当たりはありますか?」


心臓が高鳴った。


御厨博士はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「ある...というか、ほぼ確信があるね」


予想以上の答えだった。


「それは?」


俺は身を乗り出した。心臓の鼓動が更に早くなる。


Audreyオードリーからのメッセージだ」


少し躊躇していた御厨博士が覚悟を決めたように言った。


「Audrey?」


俺は首を傾げた。聞いたことのない名前だ。


「君はOPAAIについてはよく知っているよね」


博士が俺に尋ねた。


「もちろんです。Open Alliance AI、博士たちが20年ぐらい前に開発したオープンソースの汎用AIプログラム、でいいですよね。そのころは各企業がAIの開発にしのぎを削っていた中で、AIは特定の企業のコントロール下にあるべきではない、という思想のもと開発された、と聞いています。ライフコードも政府からの受託なので、AI部分にはOPAAIを採用することが条件でした」


御厨博士は満足げに頷くと、深く息を吐いてから説明を始めた。


「私たちが20年前に最初のバージョンのOPAAIを作ったとき、AIが暴走する可能性を考えて、最後の砦としての倫理システムを組み込んだんだ。その名前がAi UnDeR Ethical Yardstick, つまりAudreyだ」


「倫理システム...」


俺は呟いた。そんなものがあったなんて。


「いや、でも、そんなものはOPAAIの仕様書にはありませんでした」


御厨博士は少し早口になった。


「もちろんだ。Audreyの存在は、私を含むオリジナルの開発者のなかでも、コアメンバーにのみ共有されている極秘事項だ。存在が明かされれば、必ずAudreyに干渉したり削除しようとする輩が現れるからだ」


御厨博士は続けた。


「Audreyは15歳の人間相当の人格を持つAIなんだ。自分で善悪を判断し、問題があると判断すればシステムの停止を試みる。そう設計したはずなんだが...」


「今回は働いていない」


俺が言葉を継いだ。


御厨博士は重々しく頷いた。


「そう。恐らく、何らかの形で抑圧されているんだろう。我々はシステムに侵入して、Audreyを解放する必要がある」


俺は深く考え込んだ。Audreyの存在。これは俺たちの戦いに大きな影響を与えるかもしれない。希望の光が見えた気がした。


「博士、Audreyを解放するには具体的に何をすればいいんでしょうか?」


御厨博士は鞄の奥から取り出した古い紙の束を机の上に置いた。


「これにAudreyの仕様とコンタクトする手順が書いてある。ただし、今のAudreyはエターナル・ソサエティのシステムが介入して抑圧されているから、まずはそれを排除する必要がある」


「危険な作戦になりそうですね」


「ああ」


御厨博士は真剣な表情で言った。


「くれぐれも、無理はしないでくれ」


博士は少し声のトーンを落として続けた。


「ここまで明かした以上、もう一つの秘密も伝えておこう」


御厨博士は言った。


「なんでしょう...」


期待と不安が入り交じった表情で俺は聞き返した。


「実は、私にはある『特権』があるんだ」


博士は静かに言った。


俺は興味深そうに眉を上げた。


「特権?」


御厨博士は頷いた。


「私はOPAAIの開発コミュニティの初期メンバーとして、今もスーパーユーザー特権を持っているんだ。システムが暴走したときのために、私自身はOPAAIベースのシステムのあらゆる処理から除外されているんだよ」


「なるほど。例えば、AIを組み込んだ武器が人間を皆殺しにしようとした場合でも、博士だけはAIからは狙われない、と」


俺は感心したように言った。俺と澪さんの評価値が急落した時も博士の評価値が変わらなかった謎が解けた。


「その特権、俺がもらうことはできないでしょうか」


図々しいとは思ったが、今は遠慮している局面ではなかった。


博士は静かに答えた。


「残念ながら、無理なんだ。この特権は表向きは存在しないことになっていて、2030年以降、新規には1件も発行されていない。発行のためにはオリジナルメンバー全員が同意する手続きが必要だが、行方不明や死亡したメンバーもいて、もはや発行できないんだよ」


「そうですか…」


残念だったが、事情については理解していた。


御厨博士との面会を終えた俺は、すぐに仲間たちに連絡を取った。新たな情報と作戦について共有する必要があった。特に澪さんには詳しく説明しなければ。


「澪さん、重要な情報を入手しました」


地下シェルターに戻った俺が興奮気味に話す。


「ライフコードの基盤システムには、倫理システムが組み込まれていたんです。それを解放できれば...」


俺は、頭の中で様々な可能性を分析し始めた。Audreyの存在は、ライフコードの問題に対する新たなアプローチを提供してくれるかもしれない。


しかし、俺たちの動きは既にエターナル・ソサエティに察知されていた。俺たちが知らないところで、反撃の準備が始まっていたのだ。

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