LIFE CODE 2048: 人生の評価値に右往左往する天才プログラマー俺の明日はどっちだ？

第11話：希望の廃墟

ほかに誰もいないオフィスで、俺と澪さんは話し合った。目の前には、巨大な壁が立ちはだかっている。エターナル・ソサエティの謎、社会からの孤立、そしてライフコードそのものの歪み。

俺たちは黙々と自分のデスクを整理し始めた。使い慣れた物理キーボード、個人的な写真を転送した半透明のフォトスタンド、そして数々の思い出が詰まった、社内の3Dプリンタで作った自作のオブジェクトたち。全てを一つの箱に詰めていく。

俺たちはその箱を持って健康管理室に立ち寄った。御厨博士が待っていてくれた。

「二人ともすまない。私の力が足りなかった」

御厨博士が苦渋の表情で呟くように言う。

「そんなことありません。今までありがとうございました」

澪さんが言う。

「あと、これを預かっていてくれますか」

俺たちは御厨博士に私物を詰めた箱を渡した。

「これからも、できる限りサポートする」

御厨博士は俺たちの顔を見て、力強く言った。

俺たちは深々と頭を下げた。

挨拶を終えた俺たちは、デスクに戻ると静かにオフィスを見回した。ここで過ごした日々が走馬灯のように頭をよぎる。喜びも、苦しみも、全てが懐かしい思い出になっていた。

「じゃあ、行こうか、樹くん」

澪さんが俺に声をかけた。

俺は少し寂しそうな表情を浮かべながらも、強く頷いた。

俺たちはエレベーターに乗り、地上階のロビーへと向かった。夜も更けており、ビルはほとんど無人だった。俺たちの足音だけが、静寂を破っていく。

ロビーに着くと、立ち止まった。入り口の前で、最後にもう一度振り返る。

「ここで、全てが始まったんだな」

俺がつぶやく。

「そして、ここから新しく始まるのよ」

澪さんが付け加えた。

俺たちは顔を見合わせ、小さく頷き合う。そして、胸ポケットから社員証を取り出した。

「これで、終わりだ」

俺はそう言うと同時に、社員証をエントランス横のダストシュートに投げ込んだ。澪さんもそれに続く。音もなく、ガラス製マイクロチップが埋め込まれたカードが吸い込まれていく。

その瞬間、俺の心に大きな変化が訪れた気がした。これまでの全てを捨て、新たな道を歩み始めるという決意が、より強固なものになる。

「さあ、行こう」

俺が静かに、しかし力強く言った。

澪さんが頷く。

「迷わず行けよ、行けば分かるさ」

澪さんがちょっと嬉しそうに言った。何かの格言だろうか。

俺たちは肩を並べて、ビルの外へと歩き出した。夜の街の喧騒が、俺たちを迎え入れる。

新たな旅路は、こうして幕を開けた。

暗い夜空の下、二つの影が街へと溶けていく。前途は不透明だが、互いの存在が、大きな希望となっていた。

俺は澪さんの横顔を見た。彼女の目には、強い決意の色が宿っている。これから先、どんな困難が待ち受けているかわからない。でも、今はただ前を向いて歩くしかない。

街の喧騒が耳に入ってくる。人々の笑い声、電動車のモーターの音、街ゆく人々のデバイスから聞こえる様々な通知音。かつては当たり前だった日常の音が、今は異質に感じられる。

俺たちは無言で歩き続ける。かつての同僚たちは、今頃どうしているだろう。家族は。友人たちは。彼らは、この歪んだシステムの中で、本当に幸せなのだろうか。

「澪さん」

俺は立ち止まって言った。

「最初の一歩として、まずは『拠点』を作らないと」

「そうね」

澪さんも足を止める。

「でも、評価値がマイナスの私たちじゃ、部屋も貸してもらえないわね」

俺は周りを見回した。高層ビルの谷間に、築50年は超えようかという10階建て程度の一つの古いビルが目に入る。

「あそこはどうでしょう？」

澪さんが目を細めて見る。

「廃ビル？」

「ええ。少なくとも、しばらくの間は過ごせそうだ」

二人でその廃ビルに向かう。東京の人口は2030年代後半から急激に減少し始め、再開発の速度を空きビルが生まれる速度が上回っている。結果、いまや街中のあちこちに廃ビルが放置されたままになっていた。

ビルの裏口の扉には鍵が掛かっているようだった。俺は15分ほど電子的に色々試したが、最終的には澪さんが蹴破った。

「力こそパワーって、ニーチェの言葉だったかな」

澪さんが笑った。

多分、というか確実に違うと思いつつ、俺は澪さんの明るさと、意外な行動力に感心した。

中は埃だらけで、いたる所にゴミが散らばっている。ただ、雨風はしのげそうだし、建物の状態は思ったほど悪くない。

「ここで『作戦』を立てましょう」

俺は自分を鼓舞するように続けた。

「エターナル・ソサエティの正体を暴き、ライフコードの真実を世に知らしめる方法について」

澪さんは室内を見回しながら頷いた。

「そうね。でも、まずは明日の食べ物と水の確保かな。あと…エアコン的な何か」

確かに暑い。現実的な問題が、俺たちに降りかかってくる。マイナスの評価値で生きていくことの難しさを、身をもって感じ始めていた。

「まあ、何とかなりますよ」

俺は強がって言った。

「俺には、プログラミングの腕がある。澪さんには…」

俺は言葉を止めた。

「何よ」

澪さんは微笑みながら俺の方を見た。その笑顔に、俺は勇気づけられてきた。俺にはない発想と行動力、そして何より、この状況下でも前向きでいられる精神力。

「…まあ、いろいろ…」

言葉にするのが照れくさくて、俺はそう言った。

「蹴りとかね」

澪さんが笑った。

俺たちは、埃っぽい床に腰を下ろした。窓から見える夜空には、かすかな星の光が瞬いている。

「新しい夜明けが来るまで」

俺は静かに言った。

「ここで」

澪さんは黙って頷いた。2049年8月、俺たちの長い夜が、今始まろうとしていた。希望の光は、まだ消えていない。