第2話:俺、AIに愛される?

時間が経つのも忘れて、俺たちは最終チェックに没頭した。キーボードを叩く音、ため息をつく音、コーヒーをすする音だけが、静かなオフィスに響く。


「樹くん、ちょっと休憩しない?」


澪さんの声に、俺は画面から目を離した。時計を見ると、もう17時半を回っている。


「そうですね、少し休みましょうか」


俺たちは、オフィスの隅にある小さなラウンジスペースに移動した。大きな窓からは、夕方の東京が一望できる。無数の光と夕日が複雑に織りなす景色は、まるで光の織物のようだ。


ソファに腰掛けると、体の疲れが一気に押し寄せてきた。澪さんはストッカーからホットコーヒーを2本取り出し、1本を俺に手渡した。


「ありがとうございます」


俺は礼を言いながら、缶を受け取った。


「でも寄付ドネートしてないでしょ、評価値下がりますよ」


俺は冗談めかして言った。


「実証実験よ。…マイナス7か。まあまあ下がるのね」


澪さんは左手のデバイスを見ながら言った。


缶を開けると、香ばしい香りが立ち込めた。一口飲むと、温かい液体が体を温めていく。


澪さんは窓際に立ち、夜景に変わりつつある街を眺めながら言った。


「ねえ、樹くん。聞いてもいい?」


「はい、なんでしょう?」


「プログラミングにはAIを使っているの?」


その質問は、少し意外だった。聞くべきことでもないと思った。俺は即答した。


「使っています。普通に。安定版の開発支援AIを」


「というか、今の時代、プログラマーで開発支援AIを使ってない人間なんていませんよ」


俺は澪さんを見た。彼女は、少し首をかしげた。その仕草が、夕日に照らされて、俺の心を必要以上に動かそうとする。


「そう、普通はAIを使えばプログラムにそれほど差は出ないはずよね。でもあなたはスーパープログラマー。不思議ね」


彼女の言葉に、俺は少し戸惑った。確かに、AIの支援を受けていても、俺のコードは他の開発者とは一線を画していた。それがなぜなのか、俺自身もよくわかっていなかった。


「そうですね、自分でもよくわかりません」


正直に答えると、澪さんは柔らかく微笑んだ。


「樹くん、AIに好かれているのかしら」


そう言って、彼女は軽く笑った。その笑い声が、静かなラウンジに心地よく響く。


俺は苦笑いしながら答えた。


「まさか。AIに好かれるなんて...」


そういう発想は俺にはなかった。ただ、その言葉が頭の片隅に引っかかった。


プログラマーとしてそんなことは仕組み上ありえないことは分かっているのに、澪さんに言われると真面目に可能性を確認してしまう自分が不思議だった。文系的な感覚や曖昧な言葉を軽視しがちな俺だが、澪さんの言葉にはなぜか説得力があった。


窓の外では、時折コンテナ・ドローンが光の筋を引いて通り過ぎていく。その光が、俺たちの顔を一瞬だけ照らす。


澪さんは缶コーヒーを両手で包み込むように持ち、ゆっくりと俺の隣に座った。


「でも、それがあなたの才能なのかもしれないわね」


澪さんが続けた。


「AIと人間の境界線を曖昧にする能力。これからの時代、そんな才能こそが求められるのかも」


その言葉に、俺は何も答えられなかった。抽象的すぎる命題、そして俺自身がそんな才能を持っているとは思えなかった。


しばらくの間、俺たちは無言でコーヒーを飲みながら、夜景を眺めていた。


「さあ、戻りましょうか」


澪さんが立ち上がった。


「最後の仕上げよ」


「はい」


俺たちはラウンジスペースを後にし、再び作業に戻った。


キーボードを叩く音が、また静かなオフィスに響き始めた。それからの数時間、俺たちは夕食も取らず、黙々と作業を続けた。

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