LIFE CODE 2048: 人生の評価値に右往左往する天才プログラマー俺の明日はどっちだ?

高倉晃平

第1話:ライフコード、または人生の評価値

2048年10月、東京の姿は大きく変貌していた。空には無数のドローンが蜂群のように飛び交い、その羽音が都市の新しいシンフォニーを奏でる。道路を整然と流れる自動運転車の列は、まるで都市に張り巡らされた血管のようだ。そして歩道では、人々が左手首に着けたウェアラブル・デバイスを時折確認している。その画面にこれから映し出されることになる「数字」こそが、彼らの命運を左右するのだ。


「ライフコード」――人生のあらゆる選択を数値化し、個人の意思決定をサポートする画期的なシステム。まるで神の啓示のように、人々の歩むべき道を指し示す。


俺、真島樹ましまいつきは、その開発の中心にいた。21歳にして天才プログラマーの肩書きを背負う存在。だが、そんな周囲の評価を気にしたことはない。


鏡面のように磨き上げられた左手首のデバイスに、青く輝く数字が浮かび上がる。


『現在の評価値:+714』


ライフコードのベータテスターの中でも上位5%に入る高スコアだ。クオンタム・ダイナミクス社の主任プログラマーとしては、妥当な数字かもしれない。だが最近、この「数字」に一喜一憂する自分がいることに、時折がっかりする。


ガラス張りのエレベーターに乗り込み、186階建ての超高層ビル「JDタワー」の最上階を目指す。足元に広がる東京の街並みは、まるでミニチュアの世界のようだ。ピアスのように耳に装着した超小型スピーカーから、AIアシスタントの中性的な声が響く。


「おはようございます、樹さん。本日の予定をお知らせします。9時よりライフコード最終テストミーティング。11時半より―」


「了解。最初の予定以外、全てキャンセル」


躊躇なくAIの言葉を遮る。通常なら評価値が下がりそうなものだが、俺のスコアはわずかに上昇した。それほどまでに、今日の最終テストは重要なのだ。この国の、そして人類の未来がかかっている、と言っても過言ではない。


エレベーターを降り、オフィスに向かう。ガラス張りの廊下からは、遥か下に広がる東京の全景が一望できる。かつての東京タワーやスカイツリーは、今や地面に生えた小さな苗木のようだ。その姿は、テクノロジーの進化と人類の飽くなき野望を如実に物語っている。


オフィスのドアが開くと、既に多くの社員が忙しなく作業に没頭している。キーボードを叩く音、ホログラフィック画面をスワイプする音が、オフィス中に響き渡る。全員が必死だ。今日の最終テストで問題がなければ、ライフコードの一般公開が決定する。人類の歴史を変える瞬間の立会人になれるという興奮が、フロア全体を包み込んでいる。


「おはよう、樹くん」


振り返ると、笑顔で手を振る女性がいた。開発チームのサブリーダー、橘澪たちばなみおだ。彼女の長い黒髪が、既に強くなった朝日に照らされ、茶色に輝いている。


「おはようございます、澪さん」


俺は軽く会釈を返す。澪さんは24歳。俺より3つ年上で入社も1年先だが、俺が主任で彼女が副主任という逆転現象が起きている。まあ、新興テクノロジー企業では珍しくもない。澪さんはAI倫理エシックスの専門家として俺をサポートしてくれている。


対人スキルに長けた彼女を見ていると、自分の足りない部分を痛感せずにはいられない。最初は「橘さん」と呼んでいたはずが、いつの間にか「調教」され、「澪さん」と呼ぶようになっていた。


「今日が勝負の日ね」


澪さんが真剣な表情で言う。その瞳に決意の光が宿っている。


「樹くんは緊張してる?」


「いえ、別に」


と俺は軽く答える。だが実際は、心拍数が通常より速い。胃の辺りがキリキリと痛む。ただ、そんな感情を表に出すのは得意ではない。


俺、真島樹は都内の私立中学に通っていた14歳の時、国の特別課程「加速クラス」に選抜され、19歳で東京某工業大学を卒業。そのまま、新興IT企業の中でも技術力で一目置かれる存在のクオンタム・ダイナミクス社にスカウトされた。プログラミングの腕には自信がある。ただ、それは単に自分の得意分野というだけのこと。「天才」などという言葉は、他人の印象論でしかない。


「樹くん? どうかした?」


澪さんの声で我に返る。どうやら、しばらくぼんやりしていたらしい。彼女の瞳に心配そうな色が浮かんでいる。


「あ、いえ。ちょっと考え事を」


「しっかりしてくださいよ、主任!」


そう言いながらも、澪さんは優しく微笑む。彼女は俺のことを的確にサポートしてくれる。正直、時々ドキッとすることもある。


「そうだ」と澪さんが言う。


「今夜、みんなで飲みに行かない?久しぶりにね」


俺は少し考え込む。確かに久しぶりだ。開発は大詰めで、ここ数ヶ月はほとんど外出していない。太陽の光をまともに浴びたのも随分と前のことだ。だが...


「すみません。今日は遠慮しておきます」


どうしても澪さんには敬語で話してしまう。何度もやめるよう言われたが、この習慣は直らない。


「えー、なんで?」


澪さんが残念そうな顔をする。その表情に、少しだけ罪悪感を覚える。


「いや、その...評価値が下がりそうなんで」


俺は冗談めかして言った。実際、飲酒は評価値を下げる。だが本当は、最後の最後までコードの確認作業を続けたかった。


「...そう」


澪さんの表情が一瞬曇る。失望と理解が入り混じったような複雑な表情だ。だが、すぐに笑顔に戻った。いつもながら、感情のコントロールが上手い人だと感心する。


「主役がいないんじゃ、しょうがないわね。じゃあ、別の日にね」


「はい」


会話が終わり、俺たちは各々のデスクに向かう。俺のデスクの上には、最新型のホログラフィックディスプレイが並んでいる。指を動かすと、コードの流れを可視化した複雑な図形が空中に浮かび上がる。青や緑、赤のラインが交錯し、まるで未来都市の立体地図のようだ。


ライフコード。人生のステータスを-999から+999までの「評価値」として数値化し、その変化によって人々に適切な行動を提示するシステム。その心臓部とも言えるアルゴリズムが、今、俺の目の前で輝いている。人類の叡智の結晶。そして、人類の命運を左右する存在になるかもしれない。


明日、それが一般公開され、3ヶ月の試行期間中に大きな問題がなければ、そのまま政府に納入される。おそらく、近い将来ほとんどの国民が使うシステムになるだろう。


「よし、もう一度確認」


俺は深呼吸して、キーボードに指を這わせる。画面上のコードが次々と流れていく。まるで新しい生命の設計図のようだ。エラーは報告されていない。開発サポート用のAIも完成度100%の表示を出している。全てが完璧だ。


...いや、待てよ。


俺は眉をひそめ、首をかしげる。何か違和感がある。コードは確かに完璧だ。プログラム的にも論理的にも、一点の曇りもない。だが、何か...何か見落としているような気がする。


「どうかしたの?」


後ろから覗き込んできたのは、またしても澪さんだった。彼女の髪から、かすかに花の香りがする。


「いえ...なんでもありません」


俺は首を振る。きっと気のせいだ。こんな完璧なコードに、足りないものなどあるはずがない。


「そうなの?」


澪さんは少し不思議そうな顔をする。


「樹くんが気になるってことは、何かあるのかもね」


「...」


俺は黙ったまま画面を見つめる。澪さんの言葉が気になる。直感など当てにならない、そう思いたかった。もしここで問題が見つかったら...ここまでの1年半、多くの人々の努力が報われない。俺は、メイン・プログラマーとしてその責任を負っている。


「まあ、気にしすぎることもないわ」


澪さんが肩をすくめる。


「これだけのテストをクリアしてきたんだもの。大丈夫よ」


「そうですね」


俺は無理に笑顔を作る。そうだ。心配することなどない。これまで散々テストを重ねてきたのだ。問題などあるはずがない。


それでも、心の奥底では、この違和感は消えないままだった。人類の未来を左右する可能性を秘めたシステムの前で、俺は静かに、しかし確実に不安を募らせていた。

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