第八話 〜夢か現か②〜

 ――ハッ、 今何か見えた気がする。


 一瞬意識が飛びかけた際に、脳内で何か見えた気がするが気のせいに違いない。改めて考えてみると、記憶をなくすほど泥酔していたら一人ではとても帰れなかっただろうし、そんな醜態を晒す私を心優しいミラちゃんが放っていけるわけがないしな。


 そうだそうだ。きっと我が家にいるのは見るに見かねて自宅まで送り届けてくれたに違いない。そうに違いない。それでも家事全般をやってもらう理由にはならないけど、それもまたメイド服を着ているからという勝手な憶測ではあるけど、個人的に営業時間外奉仕活動をしてくれたに違いない――。


「もしかしてミラちゃんが私を自宅まで連れて帰ってくれたの? だったら本当に申し訳ないことしたね。いい大人が記憶なくすほど飲むなんて恥さらしにもほどがあるわ」


 場の空気を変えようと大袈裟に笑いし、面倒をかけた分の対価を支払おうとカバンの中から財布をと出そうとすると、そこにあるべきものがないことに気がついて血の気が引いた。


「これをお探しですか?」


 ミラちゃんの手の中で、つい先日浮かれて購入した〝男性用避妊具〟の箱が存在を主張していた。しかも蓋が開いてるし。はい、終わりですな。見事なまでの物的証拠登場ですわ。


 齢三十二まで大事に取っておいたみさおというわけでもないけど、まさかこんな形で喪失するなんて誰が想像できようか。というか、この場合は私、一応生物学的には女だから〝奪われた〟と言ったほうが正しいのか? だってミラちゃんは〝女装男子〟なわけだし。


【萌A】

「これはもうで間違いない!

有罪ギルティ決定!情状酌量なし!」


 なんだか頭の中で裁判官が打つ木槌ガベルの音がこだまする。ああ……酔っていたとはいえ、推しと一線を超えるなんて、なんと罪深きことをしてしまったんだ。


 頭を抱えて遅すぎる後悔にくれていると、耳元でボソッと囁かれた。


「本当に何も覚えてないんですね。昨日はあんなにくせに」

「ファッ!? ちょ、ミラちゃん!? 朝っぱらから何言ってるの!」

「その様子だと、求婚プロポーズまでしてくれたことも、きっとお忘れなんですね……」

「プ、ププ、プロボーズ!?」


 そう言うと、ポケットの中からゴムとは別に、カバンの中から消えていたもう一つの〝ブツ〟を取り出して目の前で広げてみせた。それは私がカバンの中に忍ばせていた押印済みの婚姻届。


 マジマジと読み上げると、そこには当然私の個人情報が並んでるわけで、問題は隣の欄だった。名前を読み上げたときに顎が外れるかと思った。


「鏡、柊夜? あれ? 私が知ってる子にも同姓同名がいるんだけど?」

「その教え子ですよ。鏡柊夜です」

「……いやぁぁぁぁぁ!! 急に知ってる声で低音ボイスやめて! 脳が破壊される!」


 名乗られても理解が追いつかない。バッチリと施された化粧とメイド服姿は長身女性にしか見えないのに、その話し方と声は鏡くんのそれだった。


 最悪じゃないか。考えうる限りの中で最もタチが悪い。まさか推しが生徒で、その生徒が怖い鏡くんで、その鏡くんと初体験を済ませてプロポーズされるなんて。


「あ、ちなみ本当は何もしてませんよ? この箱は鍵を探した際にたまたま見つけただけなんで」

「なんだ、良かった……いやよくないけど」

「プロポーズは本当ですけど」

「そっちは本当なの!?」


 怒涛の追撃にライフは瞬く間にゼロとなる。メンタルがジェットコースターのように乱高下し、心身ともに疲弊しきっていると悲しいかな――余計にお腹が減って盛大に鳴り響いた。


「フフ。身体は正直さんですね。すぐに用意するんで、先に顔を洗ってきたら一緒に食べましょう」


 急に普段のミラちゃんの声に変わる。もう何が何だか訳がわからん。男の人って少し声色変えるだけで、こんなにも印象が変わるもんなんだなあ、なんて妙に感心しながら重い足取りで洗面台へ向かった。


 これが最後の朝食になるのかな。そんなことを思いながら、再び溜息を吐いて洗面台に向かう。冷水で昨晩落とし忘れた化生を落すと、実年齢より老けた自分が「責任ちゃんと取れよ」と呟いてるように見えてならなかった。



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