第九話 誤解①

 ペンを走らせる音が教室中から聴こえる。ある者はテンポ良く、指揮者が指揮棒タクトを振るように。ある者は巨大な筆で豪放磊落ごうほうらいらくな文字を半紙に書くように。またある者は既に諦めて机に突っ伏している――。


 長年教師をやっていると、ペンの筆圧と速度でなんとなく生徒の出来栄えがわかってくる。高得点が望める生徒は一定の速度で筆圧にムラがない。対照的に勉強をしてこなかった生徒は、終止不安定になりがちで消しゴムを使う回数も自然と多くなる。


 腕時計に目を落すと、もう間もなくチャイムが鳴る時間だった。それぞれの点数を予想しながら、生徒の間を縫って解答を確認しながら回っていると、窓際の一番奥の席に座っている鏡くんの姿に視線が止まる。


 既に答案を見返したあとのようで、肩肘をついて頬杖をしながら外をぼんやりと眺めている。風にたなびく金髪が差し込む陽の光を反射して、さながら最上級のシルクの反物のように光っていた。

 

 ――内面を知ったせいか、黙ってると絵になるんだよなぁ……。


 これまで鏡くんの印象は、クラスで普段まともに喋らないほど無愛想で、触れるもの皆傷付けるようオーラを放ってて、テストだけ何故か真面目に受けに来る謎の不良生徒とレッテルを貼っていたけれど、今朝の一件で鏡くんに対して抱いていた印象が少し変わって見えた。


 あと、私が酒に飲まれるととんでもない醜態を晒すヤバイ奴だということも同時に判明したので、当分酒を飲むのは辞めようと誓った。


         ✽


「先生、多分誤解してると思うんだけど、俺は別に不良でもなんでもないからね」

「まず一言いいかな。ミラちゃんの格好で鏡くんの素の声色で話されると頭バグってくるんだ。ただでさえ二日酔いだから先生しんどい」

「あ、つい素の声出しちゃった。う、うん……。先生に迷惑かけてごめんね?(女声)」


 ミラちゃん(教え子)の手料理を複雑な心境で噛み締めながら、不協和音になやまされる頭痛を堪えて指摘するとスイッチを切り替えるように、〝教え子〟から〝推し〟へと変身してみせた。


 メラニー法だかマロニー法だか知らないけど、練習次第によっては男性が女性に近い声を出したり、その逆もまた可能なことは知識として知っている。ただ鏡くんの声はあまりに自然な女声すぎて、私のほうが変化についていけない。


「マジでわかってても女性そのものだね。えっと、鏡くんは昔から女装とかしてるの?」

「してますよ。小さい頃に姉たちに着せ替え人形代わりに弄ばれてるうちに、むしろ女装こっちが自然になっちゃいました。あと、コッチの状態で話してるときはミラちゃんって呼んでもらえますか?」


 テヘッ、と舌を覗かせて照れる鏡くん、もといメラちゃんの尊さに思わず血圧が上がって鼻血が出かけてしまったので、ティッシュを穴に突っ込み応急処置を施す。危ない危ない……正体をわかっていてもなおこの破壊力とは、恐れ入る。


「それに昔からコミュ障で、他人と話すのも苦手なんです。中学の頃は不良から絡まれることも多かったですし、見た目も怖がられがちで余計クラスで浮いてしまって、学校にも通いにくくて……」

「そうだったの。先生鏡くんのこと誤解してたかも。噂通りの不良かと思ってて勝手に怖がってた。一先ず不良でないことはわかったけど、女装姿があまりにも板にハマりすぎてない? 接客とか女性より女性なんだけど」


 味噌汁をズズと吸いながら、問いただす。あのクオリティは普通の女性でも恥ずかしくて出来ないが、どうして鏡くんは普通にこなせるというのか。それを言い出すとコンカフェで働いてる店員が皆そうだけど、プロ意識には感服するばかりだ。


「あ〜それはですね……女装してる時だけなりたい自分になれるというか、基本的に可愛いもの好きなんですよ。だからミラとして働いてる時は自然とあんな感じになるんです」

「うんうん。分かるわよ。先生も昔コスプレしてたからね。なりたい自分になれるって特別なことよね。懐かしいなあ……どんどんハマっていって布の面積が少なくなって撮影の時に色々ハミ出した黒歴史が――ハッ!」


 つい共感して過去を思い出しているウチに、墓場まで持っていくはずの秘密を自然と漏らしていた。生徒相手になに気持ち悪い昔話を赤裸々に語ってるんだ。


「わかります! その気持ち!」

「へ?」


 気味悪がられるならまだしも、思わぬ反応に面食らっていると鏡くんはテーブルから身を取り出して、箸を握っていた私の両手を細長くてしなやかな指で包みこんだ。


 肌と肌が触れ合った途端に、少女漫画のように〝トゥンク〟と胸が高鳴る音が聴こえた気がする。初な生娘のように――初で生娘だけど――顔が熱くなってキスしかねない距離まで推しのご尊顔が近づいてきて、思わず固まってしまった。


「男らしくなりたい自分もいるんですけど、可愛い服装をきてる時が一番楽というか、姉たちは私に〝男性はこうあるべき〟と押し付けてくるんですけど、そういった演技をしなくてすむんです」


 酒に酔いつぶれて寝ていた私とは違って、殆ど掃除の時間に費やされてろくに寝ていないにも関わらず、ミラちゃんの顔は部屋に差し込む朝日に照らされて、光り輝いて見えた。


 普段とギャップありすぎだろ。落差がエグすぎて鼻血じゃ済まねえや――心臓発作を起こしかねない尊さに動悸が止まらない。これはひょっとすると、ガチのマジで好きになってしまうかもしれない。


 はにかむ笑顔が素敵すぎて、手を伸ばせば届く位置に推しがいると思うと、ふいに襲いかかってしまいそうになる本能を腿に箸を突き立てて回避した。


※ここからさらに脳内で寸劇が繰り広げられますが、どうか生暖かい目で見守ってもらえると嬉しいです。


【萌悪魔Ver】

「もうよ、我慢してないで襲いかかっちまえよ。今すぐ押し倒してしまいたんだろ? なら欲に従って楽になっちまえよ」

「いや、そんなことできないし……。私こう見えても一応は教師だからね」

「だーれも見てないんだぞ? うまく口裏合わせしときゃバレねえって。今時清廉潔白なんて流行らねぇぜ」


【萌天使Ver】

「悪魔の声に耳を貸してはなりません! いいですか? 貴方の職業は神聖なる教職者ですよ? 生徒を教え導く貴方自身が道を間違えてどうしますか」

「う、うん! そうだよね! 私が一時の快楽に身を任せたりしたら駄目だよね」

「その通りです。欲に身を任せた人間に待ち受けてるものは文字通り破滅です。さあ、悪魔の誘惑なんて断ち切って、きっぱりと断るのでグハッ!!」

「ちょ、えええ!? 天使の胸にロン◯ヌスの槍が刺さっておるー!!」


【萌悪魔Ver】

「何処かで聞いたことのあるような眠くなる正論だな。天使、貴様の言ってることは所詮自分が気持ちよくなりたいがための自慰行為マスターベーションに過ぎないんだよ」

「あれ? こういう一人語りモノローグって普通、もう少しファンシーな感じにならない……?」


【萌天使Ver】

「クソォォォォ!! 私の身体を傷つけて許さないぞぉぉぉぉ!! たとえ殺したところで、また第二第三の私が貴様の前に現れるだけだ!!」

「これどっちが悪魔がわかんねえな。さすが私」


【萌悪魔Ver】

「そうしたら、また消してやるよ。そもそも人間ってのは欲を満たしてきたからこそ進化してきたわけだろ。お前みたいな毒にも薬にもならねえ小言を吐くやつこそ害悪さ。なあご主人よ」 

「そ、そうよね……。欲を優先させて何が悪いっていうのよ。むしろ大人の方が汚れてるっつーの」


【萌天使Ver】

「クッ……なんと欲に弱い生き物なのだ。良かろう……貴様らの最期を地獄の底から見守ってやろうじゃないか……(バタッ)」

「最後まで悪魔サイドに立ってたなぁ」


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