第五話 送り狼①

「ねえ柊夜。萌ちゃん潰れちゃってるみたいだけど、大丈夫なの?」

「ちょ、シーッ! 仕事中に本名を呼ぶなって何度も言ってるでしょ……ってマジ?」

「マジマジ。あの具合だと、ちょっとやそっとじゃ起きなそうだけど、どうする? さすがに一人で帰宅させるのは無理ゲーっぽいけど」


 客が帰ったあとのテーブルを念入りに拭いていると、フラワーちゃんこと吉岡陽葵よしおかひまりが俺の仕事を手伝うわけでなく話しかけてきた。そこそこ忙しいんだから手伝えよ、コラ。


「ちなみに自力で帰る難易度はどのくらい?」

「初見でDODドラッグオブドラグーンの新宿エンドクリアするくらい?」

「それは100パーセント無理でしょ」

「無理無理。今帰らせたら東京タワーの頂点テッペンで明日を迎えかねないよ」


 陽葵とは互いに気心がしれていて、ゲーム好きであるが故に通ずる問答である。幼稚園の頃からの幼馴染で、小、中、高と同じ学校に通っている唯一人の親友は、成長期にピタリと身長を止めて今も少年のあどけなさを残している。


 昔から好き好んで可愛い服を着たりして、化粧の技術も動画を見て練習したりと可愛くなる為の余念がない。俺より三十センチも小さいし、体の線の細さは三人いる姉貴たちより、よっぽど細くて女性らしい。羨ましくないって言ったら嘘になる。


 俺はというと、頼んでもいないのに身長ばかり無駄にデカくなるし、元々コミュ障なのに強面になるしで中学時代は散々だった。姉貴たちに強引に勧められて金髪ピアスと変化を取り入れてみたけど、そもそも今の学校には不良がいなくて自分が怯えられるという笑えない事態に――。


 それが原因で妙な噂も流れるし、日坂部先生にまで線を引かれてるような気がして辛いの一言に尽きる。ただでさえ勘違いが重なってるのに、幼い頃に姉貴達に女性用の服で着せ替え人形にされて以来、女装してる時だけ素でいられるなんて知られた日には生きていけない。


「うわ……イビキまでかいて本格的に寝てるじゃない。困ったなあ」

「そうなんだよ。起こそうと揺すってみたけど全然駄目だったし。ティッシュをコヨリにして鼻の穴に突っ込んだりしてみたけど、それでも駄目だった」

「コヨリって……それを女性にしていいと本気で思ってたら恐ろしいんだけど」


 カウンターには何名か客が座っていて、店員と楽しげに談笑している。その中で陽葵が言った通り、先生だけがイビキをかいて完全に寝入っていた。その一画だけが不思議と安居酒屋に見えてならない。


 今思い出しても、先生が魅惑の森に来店した時の衝撃は忘れられない。学校から電車に乗ってもそれなりの距離があるし、似たような店も数多く存在するというのに見事に引き当てる運(?)の強さには、笑顔の裏で冷や汗が止まらなかった。


 どうやら気に入ってもらえたみたいで、その日から頻繁に顔を出すようになり心配になるほどお金を落としていく。身バレの可能性が高まるのは怖いけど、俺に会いに来てくれるのは素直に嬉しい。


 そう……嬉しいんだけどさ、厳密に言うと会いに来てるのは俺目的じゃなくて、俺が女装して演じている〝ミラちゃん〟に会いに来てるだけなんだよな。


 うちの高校はアルバイトが認められてはいるけど、届け出を出して認めてもらわないといけない。まずコンカフェなんて絶対に認められないし絶対に学校関係者にバレるわけにはいかない。


 けど、教え子が女装していることに気が付かないってどういうこと? って接客しながら冷静に考えることも正直ある。


「せんせ、じゃなくて萌さん。起きてくださ〜い」


 耳もとで何度呼びかけても、一向に起きる気配を見せない。肩を揺すってもそれは同じで、上半身が揺れる度に意外と大きな胸も揺れて俺の心が大きく揺さぶられる。決して見たいがために揺らしてるわけでは、ないったらない。


「こんなになるもの仕方ないか……。念願のデートをすっぽかされたんだし」

「なになに? 面白そうな匂いがするんですけど。萌ちゃんデートをすっぽかされたの?」

「あのね、他人の不幸を面白がるんじゃないよ。なんかマッチングアプリで出会った人と約束があったみたい」

「へ〜。萌ちゃんって化粧っ気ないしファッションセンスも壊滅的だし自己肯定感最低値だけど、素材は悪くなさそうだから引っかかってもおかしくはないよね」


 コイツ、俺が怖くて絶対に口にできないことをサラリと言う。また悪意がないところが空恐ろしい。でも……その言葉を完全に否定することもできない。


 俺から見ても先生は基本的に化粧の仕方が雑というか、疎かになっている。服装も恐らくは店員に勧められるがままに買ったような、本人にあまり似合ってない系統の服な気がしてはいた。


 陽葵の言葉を千倍マイルドにして伝えるなら、折角可愛いのに素材の活かし方を知らないみたいな? 本当にもったいないと思う。自己肯定感の低さというのも影響してるのかもしれない。


「あれ、珍しいね。常連さん飲みすぎたの?」


 二人でどうしたものかと考え込んでいると、外までお客さんを見送りに行っていた藍沢店長に声を掛けられた。


「みたいです。今日は嫌なことがあって飲みすぎちゃったみたいで……わたしが目を離したのがいけなかったんですけど」

「親御さんじゃないんだから、そこまで君が気にする必要はないよ。とはいえ困ったもんだねぇ」


 アイちゃんこと藍沢さんも、陽葵と同じく可愛い服装が好きすぎて女装を始めた口だ。年齢は二十後半と聞いたことがあるけど、正体を知っててもなお、二十歳かそこらの女子にしか見えないのは最早魔法にしか思えない。


「自分で歩ける程度の酩酊ならタクシーに乗せればいいけど、この状態で一人で帰らせようにも運転手さんに乗車拒否されるだろうし」

「ですよね。わたしももうすぐ上がりの時間ですし、それまでになんとかしたいんですけど……」

「そうだ、いいこと思いついた」


 陽葵が片手をポンと叩くと、なにか悪巧みを思いついた時の顔で俺の肩に手を置く。嫌な予感しかしないんだが……。


「萌ちゃんは一人で帰れない。ミラちゃんは仕事が終わる。だったら誰かさんが自宅まで送り届ければいいんじゃない?」

「誰かさんって……わたし!?」


 うんうんと頷く陽葵の頭に、遥か高みからチョップを繰り出すと涙目で目上げてきた。コイツも女のコにしか見えないんだよなぁ。


「何言ってるのよ。それは色々と不味いでしょうが」


 ちなみに陽葵は俺の好きな人が先生であることを知っている。というか店長がそもそも許さないだろ。


「仕方ない。背に腹は代えられないか……」

「へ? 何言ってるんですか?」

「申し訳ないんだけどミラちゃん。仕事上がりのついでで申し訳ないけど、常連さんを自宅までタクシーで送り届けてもらえないかな?」


 なんでだよ。そこは大人して否定しないといけないところじゃないのか。


「いやでも、わたし住所なんて知りませんよ?」

「住所ならわかるじゃん。メンバーズカードを発行する際に提出してもらってるし」 


 陽葵がサラリと個人情報の悪用の仕方を口にすると、やむを得ない事情だからと店長も同調する。


「それでも嫌って言うなら私が行ってもいいけど……シフト調整とかで忙しいからなあ〜。腹いせに誰かさんのシフト増やして布面積減らした衣装着せようかな〜」

「わかりました。是非行かさせてもらいます!」


 きっと店長はSに違いない。可愛い顔で物騒な脅しを仕掛けられて、渋々従う他になく帰りの支度を済ませると、手配されてやってきたタクシーの後部座席に先生を押し込んで一緒に乗車した。 


「渡したお金で料金は足りると思うけど、もし足が出たら次の出勤日の時に教えてくれればいいから」


 パワーウインドウの隙間から一万円札を捩じ込まれ、再度よろしく頼むねと微笑まれながら念を押された。


「はあ……わかりましたよ。それでは失礼します」

「そうそう。送り届けてとは言ったけど、送り狼にはならないでね」

「なりませんよ!」



 

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