第四話 デートの待ち合わせ②
「ついうっかりしてて、ごめんなさい」
一回目のチャレンジで床に盛大に溢してしまい、二回目でようやく運ばれてきたカクテルグラスの中には、濃い緑のリキュールが注がれていた。液面の上に泡立てたホイップクリームと真っ赤なチェリーが添えられてとてもお酒には見えない。
「緑は森で、白は雲、赤は太陽をイメージしてます。当店をイメージして作ってみました」らしい――発想が
味音痴なのでコメントは控えさせてもらうけど、ぶっちゃけミラちゃんの愛情が込められてるのであれば、ガンジス川の水を出されても一向に構わない。
「ところで、さっきの話の続きですけど、デートは上手くいったんですか?」
あ、やっぱりそこが気になるよね。何をもってして成功なのかは
「それがね……笑っちゃうんだけど、失敗成功以前にそもそも始まりすらしなかったのよ」
「えっと、どういうことですか?」
本当は口にするのも辛い経験だけど、こんなことを素直に打ち明けられるのは、ミラちゃんくらいしかいない。詩姉に離せば爆笑されるのがオチだし。なので今日あった出来事を余すとこなく打ち明けた――。
「マッチングアプリで出会った男性とね、一ヶ月くらい連絡取り合ってたの。すごく優しい人でね、会いたい会いたいって言われて今日がデートの当日だったわけ。それで待ち合わせ場所に先に到着して待ってたのよ。何分前? そりゃ一時間前行動は鉄則なんでしょ。違うの? まあそれはいいや。それで約束の時間を過ぎても彼が来ないから、準備に手間取ってるのかと疑問に思わずに待ち続けたのよ。その時点でアウト? 冷静に考えるとその通りだけどね、でも全てが初体験でそんなこともわからなかった私はそれからずっと待ってたの。どのくらい? 少なくとも五時間は待ってたかな……ってミラちゃん、そんなチベットスナギツネみたいな目で私を見ないでちょうだい。とうとう痺れを切らして、連絡を取ったのよ。万が一にも事故とかに巻き込まれてたら洒落にならないからね。でも電話しようとしたら、ブロックされてたってオチでした」
一気に話したら喉が渇いた。緑のカクテルを飲み干すと、喉の奥がヒリヒリと焼ける。もう一杯同じやつをちょうだい。
「それは……つまりドタキャンされたってことだよね」
「やっぱそうだよね。ほんと馬鹿だな、私って。いい年して浮かれちゃってさ」
三十二歳の喪女が初めて本気で三次元の男性に向き合えると思ったのに、このザマとは授業料にしては
「萌さんにそんな酷い真似する人なんて、わたし絶対に許せません。きっと他にお似合いの人がいるはずだから、気を落としちゃ駄目ですよ」
プンプンと頬を膨らまして怒るミラちゃんに、幾らか心が救われる気分になった。だけど、鏡くんも疑ってたように、世間一般の人ならコウくんの怪しさに気がつくはずだったんだ。
悔しいけど、あの忠告を素直に受け入れていれば、今頃こんな惨めな思いだってせずに済んだはず。今回はドタキャン程度で済んだから良かったけど、場合によっては婚活詐欺みたいに、金銭を要求されてたかもしれない。
重い溜息を吐くと二杯目のカクテルはより辛く感じた。
「私なんてさ、適当に弄ばれただけで向こうはちっとも本気なんかじゃなかったんだよ。だって考えてご覧? 世の中には女性が半分いるんだよ? それなのに私なんて喪女を選ぶメリットなんて何も無いし」
「そんなことないよ。萌ちゃんのことを好きな人は近くに絶対いるから。わたしがいうんだから間違いないです」
「ふふ、ありがとね。ミラちゃんは本当に優しいなぁ。ミラちゃんみたいな人が彼氏ならいいんだけどなぁ」
「……わたしなら、全然ウェルカムですけど」
「ん? なにか言った?」
ミラちゃんが何か呟いた気がしたけど気の所為だったみたい。今日はもうパーッと飲んで忘れたい気分だから、ミラちゃんも他の
✽
それから数時間――すっかり酔いが回って酩酊していた私は、店内を歩き回るミラちゃんを観察ゲフンゲフン、眺めながらテーブルに突っ伏していた。
「ほんと、よく働くよなー」
客が帰ればお見送りは欠かさないし、空いた席はすぐに片付けるし、暇そうにしているお客を見つけると進んで接客をするし――なんとも甲斐甲斐しく働く子である。
努力家な所は好きだし、可愛さにかまけて接客を怠らないところは物凄く推せる一面なんだけど、今日の私は少し構ってほしいというか、一人でいる時間が長いことにモヤモヤしていた。
これじゃあまるで、指名したキャバ嬢がなかなか戻ってこないことに不満たらたらな太客みたいだな――貢いだ金額で言えば太客であることに間違いないけど、そもそもキャバクラみたいに店員に見返りを求めるのは、コンカフェの思想とはかけ離れている。
「萌さん大丈夫? お酒はもう控えたほうがいいんじゃない?」
カウンターでうとうと舟を漕いでると、水が注がれたグラスを運んできたミラちゃんが心配そうに顔を覗き込んでいた。まつ毛バサバサ、おめめパッチリ、肌ツヤツヤ、唇はプルプル……性別の垣根なんて軽々と越える美の結晶がそこにはあった。
「だいじょうぶらよ。まだのめるし。ミラちゃんもいっしょにのもうよ〜」
片手を上げて空になったグラスを傾ける。溶けて角が丸くなった氷がカラカラと音を立てて鳴っていた。
「うん。だいぶ酔っ払ってますね。明日は仕事なんだから、無理はしちゃだめですよ」
「え〜ミラちゃんが意地悪言う〜。もっと飲ませてよ〜」
不貞腐れてそっぽを向くと、艶も潤いも失って久しい髪に手を置かれて、子供をあやすように撫でられた。よしよし、と。
そんな奇跡のようなオプションがあるなんて一度も聞いたこともないんですけど……一体おいくら万円?
「ミラちゃんママ?」
「あはは。残念ながら萌さんのママじゃないですけど、少しは元気出ました?」
「……うん。少し出た。ありがとうね」
今すぐおギャリたい気分を押し殺して、触れられた部分に掌を重ねる。仄かに伝わる温かい温度が、じんわりと私の心を癒してくれる。
はあ〜。本当にミラちゃんのこと好きだわ。こんな気持ちになったの初めてなんですけど。ミラちゃんみたいなすべてを肯定してくれる人が
世界の真理に触れてクソデカ溜息を吐く。また男性相手に出会いを求めて傷つくくらいだったら、〝店員と客〟の関係でしかないとわかっていても〝推し〟を推し続けていたほうが、きっと私の人生は彩り鮮やかになる。
それは即ち、結婚も諦めるということだけど――。ごめんね。母さん、父さん、私は一生涯独身っぽいので親孝行は全て詩姉に任せます。
「おーい。萌さーん。寝ちゃ駄目だよー」
いよいよ瞼が重くなってきた。誰かの声が遠くに聞こえる。家に帰らないといけないのに、抵抗虚しく意識は深い深い水底へと沈んでいって、視界は真暗な闇に包まれた。
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