そりゃそのくらいは投げる奴ですわよ。
3球連続はさすがにない。
一転して違うボールを投げるだろうと予想はついたが………。
ビシュッ!!
ギュルルルル!!
ズバァン!!
150。
「ストラックアウーッ!!」
構えたところにドンピシャ。小山手が出ず。投げたボールがキャッチャーミットに収まった瞬間、ショー君はくるりと背中を向いて、咳をしながらグラブを外した。
球審の見逃し三振セレブレーションを決まり、場内は歓声が上がった後に、球速表示を見てまた観客はどよめいたのだった。
急に。急に現れた150キロというボール。
勝星君と言えば、130キロに満たないフォーシームと同速度のツーシームとカットボールを操る軟投派のピッチャーというイメージではある。
しかし、彼は高校1年生の夏の初戦。その大会で全国優勝を成し遂げた宇都宮学院相手に、ノーヒットピッチングを繰り広げた男である。
その時の新聞記事には、最速140キロのボールを軸にキレ味鋭い高速スライダーで三振の山とあった。
9回裏に、振り逃げとフィルダースチョイスとフォアボールで満塁にして、最後はショートを守っていたキャプテンのエラーでサヨナラ負けという形にはなってしまった。
宇都宮学院が唯一1点しか取れなかったピッチャーでしたから。その活躍が認められて、高校の日本代表にも選出されましたが、不調や長引いた怪我の影響でピッチャーとしての公式戦出場はそれっきり。
それでも、当時大阪ジャガースでスカウトを始めたばかりだった、山中というスキンヘッドがトレードマークの代打屋おじさんがいまして。
その人がこの子はすごい選手になるぞと入れ込んだそうな。
ほとんど編成部や強化部、その時の上司や同僚には全く取り合ってもらえなかったらしいですけど、おびただしい数のレポートやその熱意に最後は屈することになったのだとか。
育成選手は1年に最大5人までというチームの決まりを破ってまで獲得した勝星君が大出世しましたからね。
そんな勝星君もプロに入ったばかりの頃というのは当然レベルの高さに苦しめられまして、その中で色々試行錯誤した結果、たどり着いたのが今のピッチングスタイル。
速く、強いボールをどれだけ投げられるかという高みを目指す選手の中で敢えて逆を行く。
どれだけ緩いボールを質を高めたまま投げられるかという挑戦。
高1の夏に140キロですから、投げようと思えばプロの平均くらいのスピードは出るんでしょうけども。
どのくらいのスピードが1番打たれないかを研究したら125キロだったことが判明したらしい。
もちろんそのボールだけではなく、それよりちょっぴり速いカットボールやツーシーム、110キロのチェンジアップや90キロのスローカーブをコーナーにビシバシ決める。
そのスタイルで彼は10年のプロキャリアで通算防御率1点台をマークしてFA選手にまでなったわけですが。
じゃあ何で1軍で200試合以上先発しているのに、ジャガース時代に勝星を挙げられなかったんやという話になりますわよね。
「交流戦の優勝がかかったビクトリーズとジャガースの大一番。ここまでは勝星と藤山の素晴らしい投げ合い。試合は1点リード、追加点が欲しいビクトリーズの攻撃は今日8番センターでスタメン出場となった山田から始まります」
ある程度、相手ピッチャー球筋や配球というのも把握出来ていた。後は各自狙い球を絞ってそれをスイングしていけるか。
それを体現するのに、フリースインガーであるブライアン君は打ってつけの存在であった。
カァンッ!!
真ん中低めの変化球を捉える。低い弾道のまま、打球は左中間を真っ二つに破った。
それでもセンターの吉岡からものすんごい返球が来て、ブライアンはヘルメットを飛ばしながらのヘッドスライディングで辛うじてセーフとなった。
「「いいぞ、いいぞ!ブライアン!いいぞ、いいぞ、ブライアン!」」
外野をベテラン3人が占拠していましたからね。ここしばらくはリリーフとしての調整をしていた彼。
しかし柴ちゃんが長期離脱となれば、また野手としての躍動をという感じ。こういう状況になったのならと、気合いの入ったバッティング。
続く緑川君はインコースの少し難しいボールを上手く打った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます