第14話 映像に映る本音
初夏の陽気が社内に漂う午前中のこと。私は慌ただしく仕事を進めながら、時折視線を上げては碧羽くんの姿を探っていた。彼がこちらに話しかけてきそうな雰囲気を感じたら、他の課員に話しかけたり。碧羽くんが外から戻ってくるのが見えたら、遠回りをして会議室に移動したり。彼を避けるのに必死で、まるで鬼ごっこをしているような気分だった。
「霧島さん、ちょっといいですか?」
突然、背後から聞こえた慧の声に、私は思わず肩を跳ねさせた。振り返ると、彼の澄んだ瞳と爽やかな笑顔が目に飛び込んできた。
「あ、碧羽くん。今はちょっと忙しくて……」
言い訳をしようとする私の腕を、慧は軽く掴んだ。
「大丈夫です。すぐに終わりますから」
見た目は友好を示しているが、雰囲気は真逆。私の鬼ごっこはお昼休みに入る直前に終わりを告げた。
私は観念して、彼に連れられるままに屋上庭園まで連れて行かれた。初夏の爽やかな風が頬を撫でる。昼休みになるとお昼を食べたり気分転換をしたりする社員で溢れかえる屋上庭園も、まだギリギリ就業時間の今は人気がない。人目のない庭園で、碧羽くんと二人きりだと思った瞬間、胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
「霧島さん、金曜日はありがとうございました。とても嬉しかったです」
ほぼ九十度になるまで頭を下げる碧羽くんに、私は年甲斐もなくオロオロしてしまった。
「え、あ……い、いいのよ、いいの。そう、いいの……えっと、少しだけど碧羽くんのことを知ることができて、私も嬉しかったわ」
話しているうちに、なんとか立て直すことができた。最後は年上の課長っぷりを見せられたのではないだろうか。
しかし、顔を上げた碧羽くんの真剣な眼差しに、私は続く言葉を失った。つい2日前の出来事が、頭の中によみがえる。
「霧島さん。いえ、志穂さん。朝から俺のこと避けてますよね?」
下の名前で呼ばれ、さらには避けていたことを本人から言われてしまい、私はあからさまにビクリとしてしまった。まるで、子どものころに悪いことを見つかったときのようだ。
「い、いえ……そんなこと、ないわよ?」
自分でもわかるくらい明らかに声が震えている。避けてたことを明言するようで恥ずかしい。私はこんなに偽るのが苦手だっただろうか。
「俺のこと、嫌いになりました?」
「そんなわけ……っ」
思いもよらぬ言葉に、つい碧羽くんの両肩を掴んで顔を寄せてしまう。間近で見た碧羽くんの嬉しそうな笑みに、一気に顔が赤くなった気がする。
「よかった。じゃあ、これからも俺のこと避けずに、ランチや飲みにも付き合ってくれますよね?あ、もちろん志穂さんの仕事の都合がつくときだけでいいですから」
この爽やか好青年から、ランチや飲みのお誘いをされた。誰が?私が。
「え……えっと、その……わ、私は碧羽くんよりだいぶ年上だし。もっと歳の近い子と行ったほうが楽しいんじゃない?」
我ながらもっとスマートな断り方はなかったのかと内心呆れてしまう。しかし、碧羽くんは私の回答がお気に召さなかったようだ。
「俺は志穂さんがいいんです。やっぱり俺のこと嫌いなんですか?」
「違うわ!……違うのよ、違うの」
首を緩く左右に振る。これまでも何度か碧羽くんとランチに行ったことがある。その度に、碧羽くんを狙っている20代や30代前半の女性課員から、職権濫用じゃないかって言われてきた。言われる都度、こんな年上に興味ないでしょ、と受け流してきたのだが、あの嫉妬のこもった視線を浴びるのは地味に辛いのだ。とはいえ、これを碧羽くんに言うのはよくないのはわかる。どうしたものか。
「本当はこういうことしたくなかったんですが、志穂さんが中途半端な対応をとるのが悪いんですからね」
頭を抱えたくなるくらい悩む私を前に、碧羽くんがスマートフォンを取り出して操作をしている。
「ちょっとこれ、見てもらえますか?」
碧羽くんが差し出したスマートフォン。そこに映し出されたのは、間違いなく私だった。酔っ払った私が、嬉しそうに服を拭いでいく。顔が熱くなるのを感じる。恥ずかしさと怒りが込み上げてきた。
「消して!今すぐに消して!」
私は必死になって碧羽くんのスマートフォンに手を伸ばした。しかし、彼は軽々とそれをかわし、私の手の届かないところへ持っていってしまう。
「落ち着いてください、霧島さん。これは脅すためじゃないんです」
碧羽くんの真剣な表情に、私は一瞬たじろいだ。
「じゃあ、なんのために……?」
「霧島さんともっと親密になりたいんです。仕事以外でも」
彼の告白に、私は言葉を失った。怒りと恥ずかしさの中に、少しだけ嬉しさも混じっている自分に気づいて、さらに混乱した。
「そんな……私たちは上司と部下で……年の差もあるし」
言い訳のような言葉を口にする自分が情けなかった。
「それでも、です。なので、もうちょっと一緒にランチに行く回数を増やしませんか?それと、次の金曜の夜、飲みに行きましょう」
碧羽くんの提案に、私は躊躇した。碧羽くんとランチに行ったのを見られると、またあの嫉妬のこもった視線を向けられる。しかし、彼の真摯な眼差しに、少しずつ心が傾いていくのを感じる。
「……分かったわ。でも、他の課員に一緒にランチに行っているのは、あまり見られたくないの。不公平だって言われちゃうから。あと、その動画は必ず消してね」
私の答えに、碧羽くんは満面の笑みを浮かべた。
「わかりました。約束します」
その瞬間、碧羽くんのスマートフォンから通知音が鳴った。
「あ、今日はランチミーティングがあるんだった。ランチは明日以降でお互いの予定が合うときにいきましょう。今は失礼しますね」
碧羽くんは軽く会釈をすると、颯爽と立ち去っていった。取り残された私は、複雑な思いを抱えながら、青空を見上げた。
これから私と碧羽くんの関係はどうなっていくのだろう。不安と期待が入り混じる中、私は深く息を吐いた。仕事一筋だった日々に、新しい風が吹き込んできたような気がした。
屋上を後にしながら、ランチや金曜日の夜のことを考えると、胸の奥がほんの少しだけ熱くなった。
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