第3話 秩序と自由の協奏曲

 オフィスの喧騒が落ち着き始めた頃、私は慌ただしく仕事をこなしていた。ふと目を上げると、碧羽くんの席が空いていることに気づいた。時計を見ると、まだ午前10時。異動してきたばかりの彼がいつの間にか姿を消していることに、私は少し不安を覚えた。


 13時を過ぎたころ、碧羽くんが颯爽とオフィスに戻ってきた。


「碧羽くん、ちょっといいかしら」


 戻ってきたばかりの碧羽くんに手招きをして、自席に呼び寄せる。


「碧羽くん、どこに行っていたの?技術部との打ち合わせがあったはずよ」


 私は少し心配そうに尋ねた。


 彼は輝くような笑顔で答えた。


「霧島さん。実は技術部との打ち合わせの議題に上がっていた課題について、アイデアが浮かびまして。打ち合わせの前後に下のカフェで集中的に作業してきたんです。こちらをご覧ください。あ、担当の技術部員と営業部員にはチャットで共有済みです」


 彼が参加してきた打ち合わせの議題として上がっていた課題の解決策として、動作するプロトタイプが表示されていた。


「これは……すごいわね。技術部の要望と営業部の需要が結びついているわ」


 私は驚きを隠せなかった。


「でも碧羽くん、突然いなくなるのは問題よ。チャットで連絡くらいできるでしょう?」


 碧羽くんは少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「そうですね。申し訳ありません。ですが、アイデアが湧いたときにその場で形にしないとアイデアが消えていってしまうんです。霧島さんも提案資料などを作られているとき、そういうことありませんか?」


 私は首を横に振った。


「私は、アイデアベースで提案資料を作ることはないわ。話の整合性が取れなくなってしまうもの」


「なるほど。そうなんですね」


 碧羽くんは興味深そうに私を見た。


「でも、霧島さんの仕事ぶりを見ていると、明らかに1人月を超えた仕事量を効率的に捌いてますよね。何本も提案書を作っている中で、それぞれの話の整合性を取り続けているのはすごいなって思います」


 その言葉に、私は少し照れを感じた。しかし同時に、懸念も抱いていた。


「碧羽くんの技術力と創造性は認めるわ。でも、技術部と営業部の橋渡し役として、もう少し組織的に動いてほしいの」


 彼は真剣な表情で答えた。


「わかっていますよ、霧島さん。うちの会社で技術部と営業部の橋渡し役なんて今までいなかったじゃないですか。ひとまずは俺なりのやり方でやらせてもらえませんか?」


「フレックスタイムと言って早朝や深夜も稼働したり、急にリモートワークで会議したりが必要なことなのかしら」


「ええ、そうです。話しかけられると集中が途切れちゃうので」


 私は深呼吸をした。


「わかったわ。でも、少なくとも行き先は教えてね。それと、会議中にいきなりコーディングを始めるのはやめてほしいの。技術部の人たちは慣れているのかもしれないけど、営業二課のメンバーから困っているという話が出ているわ」


 碧羽くんは少し困ったような、でも楽しそうな表情を浮かべた。


「了解です、努力します。でも、営業部共通で出している形式的な報告書は免除していただけないでしょうか。俺の役割だと打ち合わせの場での質疑応答と、課題解決が中心になるので、形式に合わないんですよね」


 私は思わず苦笑いした。


「そうね。それなら、質疑応答の内容と、取り組んだ課題の状況をまとめて提出してくれれば妥協するわ。両部門が理解しやすいようにね」


「ありがとうございます!」


 碧羽くんは嬉しそうに言った。


「やっぱり霧島さんで正解でした。霧島さんとなら、技術部と営業部の間で最高の橋渡しができそうです。これからもよろしくお願いします」


 彼の笑顔を見て、私は複雑な感情を覚えた。彼の技術力と創造性への評価と、自由奔放な仕事スタイルへの懸念。そして、彼が私の仕事の進め方に興味を示してくれたことへの喜び。これらの感情が入り混じり、心の中で渦を巻いていた。


 才能ある若手の管理は、予想以上に難しい挑戦になりそうだ。しかし同時に、彼の存在が技術部と営業部の関係にも新しい風を吹き込むかもしれない。そう思いながら、私は次の部門間会議の準備に取り掛かった。

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