第34話 また逢う日まで

 偽世にせよからの期待を一身に背負う満仲が、ぜえぜえと上がる息で、六根清浄ろっこんせいじょうを唱える。

「れ、れいきさまっ……! 頑張ってください!」

「必ずや安孫らを連れ戻せ!」

「陰陽師様ならできます! だからがんばって!」

 麒麟、道久、ゆうに鼓舞されるも、「う、うるさいのうっ……。これでも、精一杯やっとるわいっ……」と満身創痍の満仲が言う。

「くそう……。六根清浄を唱えることで、偽世に繋がると思うておったが、何の反応もあらぬでな……。真、我らの声は偽世へと届いておるのか……?」

 疑問に思う満仲の耳元で、〈——届いておりますよ〉と女人の声がした。はっとした満仲が、朔良式部の墓前に置いた人型を見た。ひらひらと風に舞い、それが満仲の背後に飛んでいった。見れば、霊体である朔良式部がそこにいた。

「貴殿は……、そうか。我らが声は届いておったか」

霊亀れいき様?」

 朔良式部の姿が見えていない麒麟らには、満仲が独り言を呟いたようにしか見えていない。

〈時様方も、現世に戻ることを望んでおられます。黄呂おうろ殿も、貴方様に偽世を壊していただきたいと願っております。満仲殿、どうか私を含め、亡き方々を彼の世へと送ってくださいませ〉

 朔良式部の殊勝な願いに、満仲は、ゆっくりと息を呑んだ。朔良式部や黄呂の気持ちは痛いほど分かるものの、すでに限界突破していた満仲にとって、残された力はほとんどない。肩で息をするほどに、満仲は消耗しきっていた。

「——そなたの弱点は、体力の無さじゃのう」

 俄かに背後から上がった声に、満仲は「はっ」と笑った。振り返ると、そこには父、一益かずますの姿があった。白と赤の狩衣かりぎぬ姿で、天地陰陽の構えを示す。駆け付けた救援に、満仲もまた、力を振り絞った。父と共に六根清浄を唱え、偽世にいる黄呂に話しかける。

「……八千代よ。此方こちらにすべてを任せておるようでは、御前は何時まで経ってもわしには勝てぬぞ? たとえ亡き者となろうとも、自らが作り出した世くらい、責任もって閉ざさぬか。我らは二大陰陽大家、不動院と東雲——白と黒の陰陽道は、決して相容れぬ。……じゃがのう、その二つが融合することで、より最強となれることを、わしらはようやっと気づいたのじゃ」

 満仲の言葉を偽世で聞いていた黄呂が、ぐっと両手に力を入れる。後ろから大天狗に肩を掴まれ、「おぬしと不動院ならば、それも叶えられよう」と最後の力を授けられる。

「……大天狗。そうだな。おれも、葛若と同じ想いだ」

 そう言って、黄呂が天地陰陽の構えで六根清浄を唱える。現世と偽世から、二つの陰陽大家が、それぞれに力を高めていく。

「——万物ノ霊ト同躰ナルガ故ニ、為ス所ノ願ヒトシテ成就セズトイフコトナシ。無上霊宝、神道加持。我ラ天地開闢ヨリ続ク陰陽家ノ名ノ下ニ、偽世ナル処カラ万物ノ魂ヲ解放セヨ」

 その呪文を詠唱後、暗く淀んだ偽世に光が差し込んだ。

「ようやっと、迎えが来たな」

 夕鶴ゆうかく帝が天を仰ぎ、微笑みを浮かべる。

「亡き者らよ、我らともに、天へと還ろう」

 その発声に促され、偽世にて留まっていた亡き者らが、次々と姿を現した。別れを惜しむように、紫陽花宮あじさいのみやが朱鷺の頬に触れる。

「貴方の瑞獣がそうであるように、誰よりも賢明で、勇猛で、聡明で、誰からも愛される帝とおなりなさい。私達は、いつでも貴方方を見守っておりますよ」

 紫陽花宮が朱鷺の背後に控える水影、安孫にも向けて、言った。

「心得ました、母上」

 朱鷺が別れを偲ぶも、笑顔で答えた。

「達者でな」

 夕鶴帝もまた、生者である三人に向けて言った。光に向け歩み出した帝と后に続かんと、すみれ式部と阿尾菜あおな御前が息子らに向かい、手を振る。別れの言葉など、必要なかった。亡き者らも続き、大天狗もまた、「先に行っておるぞ」と黄呂に伝え、天へと還っていく。

 

 突如として、現世に朱鷺と水影、安孫が戻って来た。白煙に巻かれながらも、ポンっと後宮裏手の桜の木の下に現れた三人に、「主上、鳳凰様、九尾様っ……!」と麒麟が歓喜の声を上げた。涙ぐんで、麒麟が水影に抱き着く。

「心配かけてすまなかったな、麒麟」

 兄心で微笑む水影に、「必ず戻ってくると信じていました」と麒麟もまた笑った。

「水影さまっ! ご無事で何よりですっ……」

「ゆうっ! すまぬ。そなたにも心配をかけてしまったな」

 愛おしそうに、水影がゆうの頬に触れた。仲睦まじく向き合う二人の様子を、遠くから眺める伊角納言いすみなごん

「良かったわね、あい式部。いえ、三条水影様」

 心に抱く淡い恋心を、一人の女流作家は、そっと胸の奥にしまった。

「——偽世なる処に、そなたの母御はおったか?」

「父上……」

 道久に訊ねられ、安孫はそっと目を伏せるも、やがて笑みを浮かべると、「真、父上が仰られた通り、母上は、それはそれは美しい御方にございました」と告げた。

「そうか……。わしも一目、逢いたかったのう」

「おや? 父上がことは、恥ずかしがり屋と仰せになられておりましたが?」

「ぶっ、あれがそう申しておったのか?」

「はい。されど、その表情は、今でも父上がことを、愛されておられるようでしたが」

「そ、そうか。ならば、良い」

 日の本一の武人と称される道久も、愛妻の揶揄からかいに、頬を赤く染めて顔を隠した。

〈——時様〉

 再び背後から朔良式部の声がした。別れの時が訪れたのを、朱鷺は察していた。意を決し、声がした方へと振り返る。そこには、生前と変わらぬ、美しい女官姿の朔良式部が立っていた。

〈私もまた、彼の世へと旅立ちます。今日まで貴方様を見守って参りましたが、それももう、必要ありませんわね。どうかお元気で。いつの日か、貴方様が心より愛される方と巡り合えることを、天から願っておりまする〉

「朔良……」

 朱鷺が霊体である朔良式部を抱き締めた。

「……すまぬ、朔良。そなたを守ってやれず、さぞかし無念であったであろう」

〈いいえ。時様にたくさん愛していただけましたもの。命奪われ、無念という邪念など抱きませんわ? 死んでもなお、真の愛を貫けたのは、貴方様のおかげです、時様〉

 朔良式部に微笑まれ、朱鷺もまた、その表情に明るみを見せる。光の粒子となって、朔良式部が天へと昇っていく。その粒子を追うように朱鷺の手が天へと伸びるも、心穏やかに、愛する女人の旅立ちを見届けた。

 残るは、東雲黄呂。満仲と向き合い、照れ臭そうに笑う。

「……面倒をかけてすまなかった。まさかおれが死んでおったなど、思いもせなんだでな」

「ああ。此れほどまでに面倒をかけたのじゃ。只ではすまさぬ。罰を受ける覚悟は出来ておるな?」

 そう言って凄む満仲が、ずんずんと黄呂の下へと向かって行く。ぐっと目を瞑った黄呂を、満仲は抱き締めた。

「……葛若くずわか?」

 突然の行動に面喰った黄呂であったが、その温もりを感じ、ああ、と微笑みを浮かべた。

「もう二度と、偽世などという紛いものを作るでないぞ! 次はもう知らぬでなっ……」

 鼻を啜る満仲に、「心得た」と黄呂が笑って答えた。向き合った満仲と黄呂が、互いに向かい、笑みを送り合う。

「あのう、一つ訊いても良いですか?」

 純粋無垢に、麒麟が黄呂に訊ねる。

「どうして九尾様を偽者と入れ替えたんです? 九尾様じゃないといけない理由があったんですか?」

「確かに。それは興味深うございまするな」

 水影もまた、その真意を黄呂に訊ねる。

「それは……」

 安孫に目を向けた黄呂が、ぽっと赤面した。照れ臭そうに、その真意を答える。

「……安孫殿が唯一、おれを褒めてくれたからであって。おれはあまり、人から褒められたことがなかったでな」

「ああ~!」

 水影と麒麟の二人が、納得したように声を上げた。

「そ、それがし、黄呂殿がことは、素直に凄いと思うただけでっ……!」

「安孫のすけは、人を貶めんとする発言などせぬからな。まあ、それが我が真友である所以ゆえんでもあるのじゃが」

『されど、風殿を救えたは、黄呂殿の御力あってのことにございましょう? 流石は陰陽師。人智を超えた存在にございまするな』

 安孫の褒め言葉を思い出し、満仲がうんうんと頷く。黄呂の体もまた、光の粒子となり天へと昇っていく。

「ああ。時が訪れたようだ」

「八千代っ……」

 ぐっと堪える満仲に、黄呂が最後の言葉をかける。

「いつか御前が倒すべき禁中の闇——。正すべき時が訪れし折には、おれも微力ながら手を貸そう。ゆえに、また逢おうぞ、満仲」 

 かつてライバルであった男にいみなを呼ばれ、こそばゆいような気もしたが、「ああ。また逢おう、黄呂」と満仲もまた、黄呂の名を呼んだ。満足そうに黄呂が笑い、天へと昇っていった。帝と四人の瑞獣が、天へと還っていった者らの行く末に安穏を祈る。

「……偽世かぁ。おれも両親に会いたかったなぁ……」

 父母の顔を知らない麒麟が、ポツリと呟いた。その寂しそうな横顔に、朱鷺や水影、安孫、満仲が、ぎゅっと麒麟に寄り添う。

「わわっ! どうされたんです? 皆さま方」

「んー? 麒麟よ、そなたには我らがおろう。此の現世で、帝の瑞獣となったのだ。寂しがる暇などないぞ?」

 朱鷺に励まされ、麒麟が兄のように慕う水影、安孫、満仲に目を向けた。三人の優しい笑みに、麒麟もまた幸せな気持ちに満たされ、彼らにぎゅっと抱き着いた。その様子を傍らから見ていた道久が、旧友である一益に言う。 

「仲良きことは美しきかな、じゃな」

「そうだのう。息子らが主上に忠誠を誓うように、我らもまた、夕鶴帝に忠誠を誓ったものよ」

「まあ、我らの場合は、帝にたんまり振り回されたがのう」

「そうじゃった! 名君として名高い夕鶴帝であられたが、如何どういう訳か、国中の妖らに喧嘩を吹っ掛け、命を狙われたりもしたでなぁ。あの頃は我らもまた、今よりも尖っておったからのう。特に晴政のぶちギレ具合は、主上をも震え上がらせるほどであった……」

「まあ、晴政の場合は、妖らではなく、面倒事を引き寄せる主上にぶちギレておったがのう」

「ハハ。そうじゃった。何とも懐かしいのう、道久。我らもまた、亡き方々に御会いしたかったのう……」

「一益……。っふ。我らがまた一同に集うのも、そう遠くはなかろう。そうなりし時、皆で思い出話に花を咲かせようではないか」

「そうだのう。その時が愉しみじゃ」

 そう言って、一益と道久が、優しい昼下がりの日差しを見上げ、そこにいるであろう懐かしい者らに向かい、微笑みを浮かべた。


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