第33話 在るべき場所へ

 ひたすらに六根清浄ろっこんせいじょうを唱える満仲にも、限界が訪れようとしていた。未だ、偽世にせよから三人が帰ってくる気配はない。道久やゆうにも、焦りが見え始めていた。

「主上、鳳凰様、九尾様、絶対に偽世に留まってはいけませんよ! まだまだの世でやり残したことがあるでしょう! 月に昇って、月の天女様と、酒池肉林に興ずるのではなかったのですか、主上!」

 家族のように思う三人がいなくなってしまうことが恐ろしくて、形振り構わず、麒麟が叫ぶ。


「——へえ。月で天女と酒池肉林をお望みですの? 時様」

 背中に突き刺さる朔良式部のジト目に、朱鷺ときの背筋に悪寒が走る。振り返らず、というか振り返れず、朱鷺は、「あ、いや、そのっ……」と狼狽ろうばいした。

「あらあら」

「によによ」

 両親に笑われ、立つ瀬がない朱鷺が、「あーうー」と安孫のように頬を掻く。

 完全に、現世うつつよからの言葉は届いており、水影と安孫の二人も、やれやれと微笑みを浮かべた。水影が母、すみれ式部と向き合い、そっと笑った。

「我らは、現世へと戻りまする。此方こちらで母上と暮らすのも一興でありましょうが、やはり文官としては、此れからのちも、多くを学びとうございまするゆえ」

 はっきりと水影に言われ、菫式部が名残惜しそうに息子の袖を掴む。

「折角、こうして逢えたと言うのに……」

「母上。いずれまた、逢えまする。母上は父上と共に、ゆるりと我らが来るのをお待ちあれ」

 水影に手を握られ、菫式部が、ぐっと涙を堪える。そうして未練を断ち切るように、息子に最後の抱擁をした。

「貴方はわたくしの光よ、水影。しっかりと役目を全うなさい」

 自分を光と表現され、水影は面喰うも、「ええ。勿論にございまする」と、確かな母の愛情を感じ取った。

「——小松しょうまつ。貴方も父上が呼んでいるわ。現世へとお帰りなさい」

「はは。母上はあっさりとされておられますな。流石は日の本一の武人の奥方。されど、それがしも父上より先に死ぬわけにはいきませぬでな。現世へと戻りまする」

 力強く安孫が言うも、その目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。阿尾菜あおな御前が安孫の頬に手を伸ばす。また抓られる——そう思い、安孫が目を瞑るも、その頬に、温もりを感じ取った。目を開けた安孫に、母が笑う。

「父上を頼みましたよ、小松」

「母上……」

「誰が何を言おうとも、貴方が春日家の嫡男であることに相違ないのです。堂々となさい。貴方には、春日八幡神の御加護があるのですから」

 武家の妻らしく、阿尾菜御前が自尊心高く言う。最後、安孫は母に向かい、「某こそが、春日道久が嫡男、春日安孫にございまする」と口上してみせた。

「ええ。また逢える日を楽しみにしているわ、安孫」

 ようやくいみなを呼ばれ、安孫もまた微笑んだ。

「——ふむ。我らもよう分からずに、此の地に留まっておるが、そろそろの世と呼ばれる場所に戻りたいのだがのう、東雲しののめの」

 亡き者らを代表して、夕鶴ゆうかく帝が一部始終を見ていた黄呂おうろに言う。

「我らも現世へと戻る。此処ここは、彼の世でも此の世でもない場所——そなたが申しておった偽世であろう? 斯様かような場所など、我が理想とする世にあらず。生者は現世を生き、死者は彼の世にて暮らす。その道理を捻じ曲げてまで作り出した世など、所詮は偽物に過ぎぬ。のう大天狗、そなたは如何どう思う?」

 黄呂の隣に立っていた大天狗に、朱鷺が訊ねる。

「わしは……」

 大天狗もまた、黄呂の死者蘇生によって、偽世に留め置かれていた。

「わしはただ、黄呂に幸せになってもらいたかった」

「大天狗……」

「燃え盛る社に戻り、死者蘇生にてわしを生き返らせんとしたは、誤りじゃ、黄呂」

「なっ! おれはただ、大天狗を生き返らせて、ずっと一緒にっ……」

いな。死者蘇生がことではない。わしを生き返らせんとして、そなたが炎に包まれ、死んでしもうたことが誤りじゃったと言うのじゃ」

「おれが、死んだ……?」

「やはり、御自分では気づいておられなかったのですな」

 冷静に水影が言うのを、「黄呂殿が亡くなっておられたと、気付いておられたのか、水影殿」と、隣から安孫が驚いたように訊ねる。

「左様。東雲殿の頬を叩いた際、感触が生者とは思えませなんだでな」

「はあ。流石と言うか、何というか」

「まあ、満仲殿に至っては、初めから気付いておられたようですがな」

 現世から救援を続ける満仲を思い、水影が「ふっ」と笑う。

「おれは、あの時、死んだのか?」

 呟かれた言葉に、朱鷺がしっかりと黄呂を見つめる。

「黄呂、俺は生きてまたそなたに会いたかった。偽世などという紛いものではなく、現世にて、俺の瑞獣としたかった。真、俺のせいで、死んでもなお、そなたらを苦しめてしもうた。すまぬ、黄呂。今更謝っても、許してはもらえぬであろうが」

「主上……。私は、一目御会いした時からずっと、主上のことをお慕い申し上げていて、されど、独りよがりの此の気持ちのせいで、主上のゆかりある方々の魂を呼び寄せ、偽世にて留め置いてしまいました。私の方こそ、許される所業にありませぬ」

「黄呂……」

「皆様方をそれぞれの世へと御返し奉りたいのですが、私一人では、如何どうにも出来ずっ……」

 ぐっと涙を堪える黄呂に、夕鶴帝が旧友である大天狗に訊ねる。

「策はないのか、天狗よ」

「そうさなぁ。わしは死んで、生前のような壮大な秘術は使えぬしなぁ」

「何とも使えぬ大天狗よ」

「なっ! それを言うのであらば、御前おまえこそ使えぬ帝であろう? 何が『おもろいから、ちょっと那智山の天狗を討伐してこいや、よろ☆』じゃ! 元はと言えば、すべて御前が元凶であると言うことを忘れるでないぞ、阿呆帝!」

「帝に阿呆と言ったな! もう許さぬ。河童に言うて、天狗の嫌いな鯖をたんと釣ってきてもらうでな!」

「はい残念~。河童は御前のことなど嫌いじゃ~。御前が昔、面白半分に命じた『遠野の河童狩り』が原因で、御前から寿命を二十年奪い取ってやったと、相当のご立腹ぶりじゃったでな~」

「なんだとっ! 河童め、許さぬ! もう良い、なら古狸にでも——」

「もう良い! 河童だの、古狸だの、この物語を妖怪大戦にするつもりか!」

 色々と脱線する前に、朱鷺が物語を主軸に戻す。

「すまぬな、黄呂。我がくそ親父がせいで、多方面に迷惑が掛かっておるようだ。されど、そなた一人で如何にも出来ぬのであらば、もう一人の陰陽師に如何にかしてもらう他、あらぬな」

 朱鷺の言葉に、黄呂が目を伏せる。

「……葛若くずわか

「ご案じ召されますな、黄呂殿。まんちゅうであらば、必ずや此の現状を打破してくれますぞ! 我が真友しんゆうは、ここぞという時にこそ、力を発揮しまするからな!」

 カラッとした笑顔で、安孫が力強く言う。

「安孫、どの……。そうですな。葛若ならば……。頼む、葛若。此の偽世を壊してくれ。亡き者らが、在るべき場所へと還れるように」

 黄呂が見つめる先に、津縄代つなわしろ神社焼き討ち事件にて亡くなった者らがいる。彼らもまた、黄呂によって死者蘇生されたところを、行き場を失くし、偽世に留まっている者らだ。その様子に、霊体である朔良式部が、ぐっと覚悟を決めた。


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