第32話 三人の公達を連れ戻せ

 偽世にせよにて、朱鷺とき水影みなかげ安孫あそんの三人が、それぞれに縁のある者らと親交を深める。

「——戦で怪我などを負ってはいませんか? 小松しょうまつ

「はい、母上。それがし、これでも日の本一の武人、春日道久の嫡男にございますれば、戦で怪我を負うこともありませぬ」

 母の前で格好つけたい安孫が、いつになく自信気に言う。

「あらまあ。流石は私の自慢の息子ね」

 母——阿尾菜あおな御前に頭を撫でられ、安孫もまた赤面した。

「——ああ! 本当に可愛いわ、わたくしの相槌丸あいづちまるは!」

「母上、私はもう相槌丸ではなく、水影にございまする」

「まあ、水影! みなみなね!」

「みなみな?」

 テンション高く水影に抱き着くすみれ式部に、「……斯様かようにも母上の感情が高まるとは」と、水影がイメージと異なる母の姿に戸惑う。

 一方、朱鷺は久しぶりに両親が揃ったところを見て、感慨深く笑っていた。

「弟、鷹宮たかのみやもおれば、どれほど喜んだであろう?」

 そう呟いた朱鷺に、「ふふ。悪戯兄弟が揃えば、の地も賑わうわね」と母、紫陽花宮あじさいのみやが優美に笑う。

「そうですな。鷹宮も……」

 弟の鷹宮は、鷲尾わしお帝時代に臣籍に落とされた時宮ときのみやと違い、東宮としての地位を与えられた。すべては、祖母——桐緒の上による時宮への嫌がらせであったが、あんなに仲が良かった兄弟は、今ではもう、しこりが残る関係となっていた。

 俯く朱鷺の額を、父、夕鶴ゆうかく帝がデコピンした。

「いっ、何をする、くそおやじっ」

「ははは。何じゃ、元気があるではないか。……帝が俯くでない。帝ならば、常に前を向き、笑っておれ」

「傷心にて亡くなった帝が何を偉そうに。されどまあ、痛みを感じるは、生きておる証。生きておれば、いつかは仲直りも出来まするな」

 そう言って朱鷺は、ようやく父、夕鶴帝に笑みを向けた。

「——主上は父君とも再会され、真に宜しゅうございました」

 遠くから、宮家一家の団らんを見ていた水影が言う。

「羨ましいのですか?」

 母に訊ねられ、水影が目を伏せる。その脳裏に浮かぶ、亡き父、晴政との再会が叶わず、ぎゅっと拳を握った。

「亡くなった後も、私とは、話などされたくないのでありましょう」

「そんなはずないでしょう。父上は、いつも貴方を見守っているわ?」

「さあ。それは如何どうでありましょうな」

 悲哀の色を見せる瞳であっても、母に向ける表情は柔らかなものだ。

「水影」

 ぎゅっと、菫式部が水影を抱き締める。

「ずっとここで一緒に暮らしましょう? もう二度と、貴方を“視えざる者”の身代わりになどさせてたまるものですか!」

 突然母に宣言され、戸惑う水影。

「——小松、貴方もずっとここにいるのよ。貴方は本来、とても優しい子。もう二度と、戦になど出て戦ってはだめよ」

 安孫もまた、母に抱き締められ、その胸の中で目を見開いた。

「時宮、貴方もよ。貴方を今なお苦しめようとする者がいる。愛する貴方が不幸になるところなど見たくないわ。だから、ここでずっと一緒に暮らしましょう」

 母に抱き締められ、朱鷺もまた困惑した。

 三人が母の着物を握り、同時に呟く——。

「……母上」

 目を瞑った三人の耳に、それぞれを呼ぶ声が届いた。

「——だめですよ、水影さまっ」

「——こっちじゃ、安孫!」

 その声にはっとして、水影と安孫が息を呑む。

「——貴方様がいるべき世は、そこではありませんよ、時様」

 背中から上がった懐かしい声に、朱鷺の目に涙が浮かんだ。振り返ろうとするも、ぐっとそれを堪える。姿は見ずとも、それが愛する朔良式部であると分かった。


 現世では、満仲が偽世に捕らえられている三人を救い出すため、ひたすら六根清浄ろっこんせいじょうを唱えていた。それで黄呂おうろが作り出した偽世に繋がるかは不明であったが、あらゆる可能性を加味し、ひたすらに唱えたのである。

 後宮の裏手、木々が生い茂る場所——。朔良式部の墓前に人型の依代を置く。道久とゆうが、ひたすら桜の木に向かい話しかける。

「聞こえておるか、安孫! 今すぐ此方こちらへ戻って参れ!」

「水影さま! ゆうも麒麟様も、水影さまのお帰りをお待ちしております!」

 懸命に二人が、偽世に囚われている安孫と水影に話しかける。満仲が六根清浄を唱えながら、朔良式部の墓前に置いた人型に、一縷いちるの望みをかける。

の世との世を繋げておるとされる桜の木。もし貴殿が今なお此の世におられるのなら、愛しき帝をお救いされよっ……」

 陰陽師としての力を注ぎこむ満仲の顔に、汗がしたたり落ちる。俄かに始まった後宮裏手での騒動に、女官や女中らが集まり始めた。

「男子禁制の後宮に、殿方が忍び込まれるとはっ……! 今すぐ刑部省ぎょうぶのしょうへ連絡なさいっ」

 女官の一人がヒステリックに叫ぶも、「いいえ、その必要はないわ」と冷静な声が上がる。さっと女官や女中らが、現れた二人の女人に道を開けた。

伊角納言いすみなごん様っ……! ですが、後宮に殿方が入り込むなど、言語道断っ! 許されるはずがありませぬ!」

「あれはね、私達がお願いしたの。『続・後宮物語』の一場面を描くためにね」

つる式部様までっ!」

 現れた伊角納言と蔓式部。二人の女官は、亡き友、朔良式部の墓前で行われている一大事に、帝やその瑞獣が関わっていることを悟っていた。

「お願い、あい式部を救ってちょうだい」

「愛する帝様を救えるのは、貴方しかいないのよ、朔良」

 伊角納言と蔓式部が取り仕切る後宮では、今回の件は、固く口止めされた。


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