第26話 津縄代神社焼き討ち事件

 夕鶴ゆうかく帝による津縄代つなわしろ神社行幸から八年後、黄呂おうろは十六歳を迎えた。世の中は、弟である鷲尾わしお帝の時世となっていた。この世の美しいものすべてを憎む鷲尾帝の『美麗狩り』により、各地の荘厳たる寺院や神社が次々と取り壊されていく。津縄代神社にも『美麗狩り』の脅威が迫り来る中、それでも黄呂は、必ずや時宮ときのみやが約束を守るため、鷲尾帝に対抗してくれるものと信じていた。まだ幼かった時分、一目見た時からずっと、時宮への恋心を抱いていた黄呂は、あれからずっと願掛けを続けていた。その願掛けこそ、いつか時宮の臣下となり、そのえにしを永遠のものとする——。重たくも、すべては時宮を想う自分の幸せのためと、その願いを秘めていた。

「——くそう、何故なにゆえ『美麗狩り』なるものに、津縄代神社が廃されなければならぬのか!」

 鷲尾帝から通告された廃社命令に、宮司や氏子うじこらが猛反発する。

「この那智山——津縄代神社は、天狗信仰の総本山ぞ! さきの帝——夕鶴帝も、我らが御祭神、大天狗様とは旧知の仲であられたと言うに……!」

「まあ、たかが幼子の帝がやることよ。我らが拒否し続ければ、いつかは手を引くだろう。そうカリカリするでない」

 一人悠長に、大天狗が構える。その背後に控えていた黄呂は、それでも不吉な予感がしてならなかった。

 黄呂は神社の裏手で一人、陰陽師による亀甲占いを行った。呪文を唱え、亀の甲羅に走った線により、その先の吉凶を占う——。結果は、大凶。甲羅が砕け散ったことから、破滅の未来が示唆された。

「そんなっ……」

 絶望に打ちひしがれる黄呂であったが、それでも時宮による救済を信じてやまない。

「大丈夫だ。宮様が必ず、この津縄代神社を御守りくださる。約束したんだ。未来永劫この津縄代神社は、宮様の庇護下で繁栄し続けるっ……」

 荘厳な社に、神気に包まれた霊山。那智山周辺に暮らす民らは厚く天狗を信仰し、その庇護が絶対のものであると信じてやまない。たとえ帝による『美麗狩り』の脅威にさらされようが、信仰心の前に、大それたことなど出来やしない——。そう誰もが信じ、津縄代神社の宮司らも、幾度に渡って通告された廃社命令を突っぱねた。

 

 そうして、悲劇が起こる。


 目の敵にしていた甥である時宮が厚く信仰する、津縄代神社。もとより、恐れるものなど何もない鷲尾帝にとって、時宮が大切とするものはすべて、ぐちゃぐちゃに壊すことが、何よりも快感だった。そうして時宮と契った女人を、何人も処刑してきた。すべては時宮に更なる絶望を与えるため、津縄代神社もまた、完膚なきまでに叩き潰す。

 廃社期限となったその日、津縄代神社の鳥居前に陣取った鷲尾兵。

「——再三に渡り廃社命令を通告したと言うに、それに抗わんとする津縄代神社は、他の抵抗勢力への良い見せしめとなろう。また祭神である天狗は殲滅せよ。鬼や妖といった闇の眷属らが、我が世に蔓延はびこらんとするを防ぐ、良い機会じゃ。よって、那智山津縄代神社及びその一帯をすべて焼き討ちとする」

 帝による詔を代読した鷲尾兵の宣戦布告により、那智山一帯への総攻撃が始まった。ふもとの民家に火が放たれ、津縄代神社にも容赦なく火矢が降りかかる。

「おのれ幼子の分際でっ……! この天狗の総本山に攻め入ろうとはっ!」

 ぶちギレ状態の大天狗が那智山一帯を守るために、戦闘態勢に入った。荘厳な社にも火の手が上がり、攻め込んできた鷲尾兵による虐殺が始まった。あちらこちらから聞こえてくる絶叫に、思わず黄呂は耳をふさいだ。

「何をしておる、黄呂。おぬしは山を下り、一刻も早く、都へと逃げよ」

「……え? いやだっ、おれも戦う!」

 耳をふさいでいても聞こえた大天狗の言葉に、黄呂は首を横に振った。

「何を言っておるか! 敵はこの地一帯の殲滅を目論んでおる! 到底人とは思えぬ鬼畜な蛮行ぞ!」

 そう言い放った大天狗が、ぐっと黄呂を抱き締めた。

「……すまぬ。わしが幼子の本気を見誤っておったばかりにっ……」

 早まる心臓の音に、黄呂は大天狗の遺恨を聞いた。乱れる息と、溢れ出る涙。

「おぬしは最強の天狗陰陽師となるのであろう? ならば、斯様なところで志途絶えては、伝説になどなれぬぞ?」

 優しく大天狗が諭す。さっと身をかがめ、黄呂の天狗の面に触れた。

「おぬしの願いは、必ずや叶えられよう。ゆえに、このようなものに願掛けをするのはしまいぞ。これからは、素顔のおぬしにて、最強を目指すが良い」

 大天狗が天狗の面を外し、素顔の黄呂に優しく微笑んだ。

「素顔のおぬしの方が、宮も臣下にと望むであろう。宮の下……いずれ阿呆な帝を退けるであろう時の帝の下、生きるが良い、黄呂」

「そんなっ……いやだっ、おれも一緒に戦う! おれが大天狗も津縄代神社も守るからっ……!」

「黄呂……」

 その時、ズドンと地響きがした。音がした方に振り返ると、大切な御神木が斬り落とされ、大火に包まれていた。

「なっ……! 彼奴等きゃつらめ、よりにもよって、我が依代よりしろをっ……」

 いきり立った大天狗が巨大化し、鷲尾兵らを蹴散らしていく。天狗の呪術により、一人で那智山一帯を守る大天狗に加勢しようと、覚悟を決めた黄呂もまた、天狗道と陰陽師を掛け合わせた呪術でもって、鷲尾兵らと対峙した。

「——さあ、大天狗より教わりし、六根清浄ろっこんせいじょうぞ。陰陽道と掛け合わされると、どうなるかな?」

 天地陰陽の構えで、六根清浄の祓詞はらいことばを唱える。

「諸ノ方ハ影ト像ノ如シ清ク浄ケレバ、仮ニモ穢ルルコト無シ。説ヲ取ラバ得ベカラズ」

 詠唱後、鷲尾兵らの影が実体を持った。そうして本体である鷲尾兵らの体を後ろ手に掴み、身動きが取れなくなった。

「なっ! 何故なにゆえ影がっ……!」

「日没までそうしておるが良い!」

 次から次へと黄呂が鷲尾兵らを捕らえていく。大天狗もまた、壮大な秘術により鷲尾兵らを蹴散らしていった。天候を操り、大雨を降らせるも、麓から山頂まで、火の勢いが衰えることはない。鷲尾側もまた陰陽師らを従え、呪術により、那智山一帯を燃え盛る炎が絶えることはなかった。

「くそうっ! 不動院家の仕業か!」

 姿は見えないものの、焼き討ちに陰陽師の力を加えていることは明白だった。そうしてその陰陽家こそ、仇である不動院家。黄呂は、ぐっと拳を握った。

「これが御前達の陰陽道か、不動院っ……」

「——がはっ……!」

 突如として、上空で大天狗の悲痛な叫び声がした。はっとして見上げると、陰陽師の術式によって捕らえられた大天狗の姿があった。

「大天狗っ!」

 赤い光輪で、徐々に大天狗の体が締め付けられていく。苦悶に歪む大天狗が地面へと落ちてきた。慌てて駆け付けようとするも、「くるでない!」と大天狗が制止する。

「……何度も言わせるでない、黄呂。逃げよ。おぬしは、生きるのだ」

 白と赤の狩衣姿の陰陽師らに囲まれて、大天狗が最期を悟る。その陰陽師の中に満仲の姿を見た黄呂が、「葛若……?」と呆然と口にした。黄呂を一瞥いちべつした満仲は、表情無く兄が大天狗にトドメを差したところを見た。その瞬間に立ち会った黄呂が、その場に崩れ落ちた。

東雲しののめが遺児か?」

 陰陽頭である不動院一益に手を差し伸べられるも、それを黄呂は拒絶した。絶望と憎悪が渦巻く心の中で、「はっはっ」と息だけを強く吸う。燃え盛る火の粉が舞う中、一点を見つめる満仲が言う。

「大天狗は始末した。社も落ちた。津縄代神社の焼き討ちは、これにてしまいじゃ」

 そうして帰還の途に着く満仲に、「……何が最強の陰陽師だ」と黄呂が呟く。

「……御前おまえには分かるまい。禁中に掬う闇がどれほどのものかなどっ……!」

 ぐっと声を押さえる満仲の背中に、黄呂は嘲笑を浮かべた。

「禁中に掬う闇? そんなものは、宮様が一掃してくださる! そうだ、まだ終わってなどいない! 必ずや、宮様が我らをお救いくださるのだっ……!」

 ふらふらと黄呂が満仲へと向かって歩いていく。それに視線だけを向けた満仲が、「今の時宮に、左様な力などない」と冷静に言う。

「いいや! 宮様こそ、我らが御祭神となられる御方! そうだ。再びの地に津縄代神社を再建し、宮様をお迎えすれば良いのだ! そうすれば、おれのことをずっと見ていてくださる! おれを一等の臣下にしてくださるのだ!」

「いい加減にせぬか、八千代やちよ! わしの世である今、時宮は臣籍へと落ちた! あの御仁に帝となる道は残されておらぬ!」

「ふん。葛若くずわかよ、御前おまえには分からぬのだ。あの御仁こそ、の国を神代の世へと戻される御方。大神おおかみの託宣を受けられた御方よ」

「御前は天狗の六根清浄に囚われすぎぞ! 本来の東雲家の陰陽道を忘れたか!」

 その言葉に、黄呂は眉間をつかれた。そうして息絶えた大天狗に目を向け、一筋の涙を流した。

「そうだ……。おれは、東雲家の陰陽師。我が一族の秘術——死者蘇生。六根清浄と併せ持った今、おれこそが最強の陰陽師。それでもって、此度こたびの焼き討ちにて亡くなった者らを生き返らせれば良いか」

「何を馬鹿げたことを申しておる! 死者蘇生など有り得ぬ! 御前達東雲家は、かつて夕鶴帝の后——紫陽花宮あじさいのみやを生き返らせんとして、失敗したであろう! それが原因で、うそぶく一族として汚名を着せられ、衰退した過去を、御前ならば良う分かっておろう!」 

「我ら東雲家は、嘯いてなどおらぬ。すべては、我らの秘術を恐れし、御前達不動院家の陰謀あってのことよ」

 黄呂が、静観していた不動院家の陰陽師らに目を向けた。一益や兄らの動揺に、何も知らない満仲の眉間が動く。黄呂は燃え盛る炎の中、社へと走っていった。そうして崩れ落ちていく津縄代神社の再建と、焼き討ちで亡くなったすべての者らを復活させることを、固く誓ったのである。


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