第25話 天狗の子との約束

 清涼殿せいりょうでんに四人の瑞獣らが集い、東雲しののめ黄呂おうろも牢から出され、縄で縛られた状態で御簾みすの前で平伏した。

「——東雲黄呂よ、そなたとの勝負を決する前に、まずはそなたの過去を知りたい。その昔、俺はそなたとうたことがある。そうだな?」

 帝の言葉に、黄呂が、ぐっと口を紡ぐ。四人の瑞獣らは、ただじっと主の言葉に耳を傾けている。

「俺は親王時代、父、夕鶴ゆうかく帝の行幸ぎょうこうに付き添い、津縄代つなわしろ神社に出向いたことがある。その際、天狗の面を付けたわらべうたが、その童こそ、東雲黄呂、そなただな?」

 確信的に言葉を紡ぐ朱鷺ときであったが、当の黄呂は、俄かに大声で笑いだした。

「黄呂殿っ! 何が左様に可笑しいのかっ……!」

 帝の御前ごぜんで笑う黄呂に、安孫がいきり立つ。

「はっ! いやぁ、今の今まで、私のことなど、記憶にあられなかったのだと思いましてな」

 自嘲を浮かべ、今にも泣きそうな顔つきで黄呂が朱鷺を見つめる。不敬を働く黄呂にも、満仲は静観したままだ。視線だけ黄呂に向けた水影みなかげが、津縄代神社の悲劇を思い出す。

「……夕鶴帝の津縄代神社行幸は、今より十年ほど前のことにございますれば、鷲尾わしお帝による那智山なちざん焼き討ち事件よりも前のこと。今は無き津縄代神社にて、主上と東雲殿が邂逅されておられたのですな」

「那智山焼き討ち事件って、確か宮司らが津縄代神社の解体命令を拒んだせいで、時の帝が天狗の総本山に火を放った事件ですよね? 浮浪児だったおれでも知っているくらいの大事件の現場に、東雲様がおられたとは……」

 麒麟の瞳に、悲哀の色が灯る。朱鷺が真っ直ぐに黄呂を見つめる。

「あの時、俺はそなたと一つの約束をしたな。されど、それが守られることはなかった……」

 目を伏せ、自責の念に駆られる朱鷺の姿に、おもむろに黄呂が口を開いた。

「……主上の仰せになられた通り、主上と私はその昔、津縄代神社にて御会いしておりまする。あの時……あの時、私はっ……——」

 ぐっと黄呂の顔が苦悶に歪む。冷静さを取り戻すため一呼吸置いた黄呂が、やがて昔語りを始めた——。


 那智山の天狗討伐後、大天狗の下で修業を重ねていた黄呂は、再建された荘厳且つ美しい津縄代神社に帝の行幸があると聞き、居ても立っても居られなくなった。天狗の面を付けた黄呂が大声で訊ねる。

「帝が津縄代神社に行幸されるとは真か、ジジイ!」

 間髪入れず、ジジイ——師である大天狗から拳骨が食らわされた。

「ぐうっ~」

 涙目で拳骨された頭を押さえる黄呂に、「おぬしの騒々しさは直らんのか!」と大天狗が叱る。那智山の天狗討伐より一年が経ち、大天狗との子弟関係は良好なものだった。初めこそ、葛若くずわかへの対抗心のみで呪術の習得に励んでいたが、大天狗の壮大な秘術よりも、その性根に惹かれたことで、今では純粋に、最強の天狗陰陽師として必要な心を学んでいた。

「相変わらずジジイの拳骨は痛いのうっ……」

「師をジジイと呼ぶなと言っておるだろう! まったく、おぬしのような不敬者を弟子としたわしへの敬意はあらぬのか、八千代やちよ!」

「幼名で呼ぶな! おれはもう、東雲黄呂という立派な名があるのだぞ!」

「その立派な名付け親が誰であったか、今一度思い出すが良い」

 じっと目を据える大天狗こそ、黄呂という名を与えた張本人である。

「まさか天狗が我が烏帽子親えぼしおやとなろうとはな……」

 本来であれば、生家である東雲家で元服の儀を執り行うところだが、没落しつつある今、那智山の大天狗との契りが、今後の陰陽師としての人生に大きく影響するものと信じてやまない。黄呂が笑って大天狗を見上げた。

「でもまぁ、あんたを見ていると、小さいことで悩んでいることが馬鹿らしく思える。東雲と不動院の陰陽頭争奪戦も、過去の『白黒騒動』も。それから、葛若への対抗心も。最強の陰陽師になることは大切だが、そのせいで、本当に大切なことを見失みうしのうては、元も子もないからな」

 かつて、師である大天狗の命を奪おうとした自分を恥じて、あれから何度も詫びた。それでも大天狗が黄呂を見放すことはなく、何事もなかったかのように、今日まで指南を続けてくれている。そんな大天狗に感謝の意味を込めて、いつからか、黄呂は天狗の面を付け始めた。決してその面を人前で外すことはなく、それには、願掛けが込められていた。

「おれはずっと、あんたの弟子だ。おれの通り名は、“大天狗より修行を付けられし、伝説の天狗陰陽師”。あんたに教わった六根清浄ろっこんせいじょうと陰陽道を掛け合わせた新たな呪術で、これからの世を、より良いものにしていくんだ」

 固く決意を示す黄呂に、大天狗も満更ではない様子で笑った。それから三月が経ち、時の帝が九歳の親王——時宮ときのみやを連れて、津縄代神社に行幸に訪れた。津縄代神社の宮司らが帝をもてなし、祭神である大天狗が杯片手に、御神木の上から望月の夜に酔いしれる。

「鶴の世に福来郎ふくろうが鳴いとるわい」と、ミミズクの鳴き声を聞きながら、上機嫌に大天狗が口にしたのを、黄呂は御神木の下から聞いていた。そこに、一人の少年が現われたことで、慌てて黄呂は天狗の面を付けた。

「——ほう! 真に天狗がおった」

 明らかに高貴な身分の少年に、黄呂はしどろもどろとなり、すぐには言葉を発することが出来なかった。見かねて、大天狗が御神木の上から、「鶴の子か?」と時宮に訊ねた。

「いかにも。俺が帝の継子——時宮よ」

「そうか。ならば父に伝えてくれ。面白半分に天狗討伐など行うでない、とな」

「はは。親父は酔狂者ゆえな。那智山の天狗討伐の件も、恐らくはただのノリぞ。許してくれ」

「ふん。まあ、そのおかげで良い弟子が見つかったでな。今回は特別に許してやろう」

 本当に大天狗は上機嫌にものを言った。軽快な言葉の応酬に、黄呂もまた、親王である時宮と会話がしたくなった。自分と同じくらいの背丈である天狗の子に、時宮もまた、興味を示したように笑った。

「そなたは人の子か? それとも天狗の子か?」

 時宮が天狗の面に手を伸ばし、それを鷲づかみする。

「わわっ! あの、おれはっ……」

「この子は正真正銘、天狗の子よ。わけあって、天狗の面を付けておるがな。宮よ、それを決して外してくれるでないぞ。外せば、どんな天罰が下るとも分からぬからな」

「そうか。そこまで言われたらば、外す他あるまいな」

 そう言って、大天狗の忠告も聞かずに、時宮が黄呂の天狗の面を外した。露になった素顔に、時宮がぎょっとした。

 すぐさま、大天狗により、時宮の頭に拳骨が落とされた。

「真に外す阿呆がおるか!」

「ぎゃっ……!」

 父よりも強力な拳骨に、時宮の頭からシュ~と煙が出る。

「お、おれは親王ぞ!」

 きっと涙目で見上げた時宮にも、「わしの子の願掛けを砕いた罰じゃ」と大天狗が凄む。不意に天狗の面を外された黄呂も、ポタポタと涙を落とした。

「お、おれの願掛けがっ……! 大切な願いがっ……」

 ぐううっと悔しがって泣くその姿に、時宮があわてふためく。

「す、すまぬっ! 天罰と言うたから、俺に降りかかる分ならば良いと思うたのだ! まさかそなたが願掛けしておるとは露にも思わずっ……! ど、どうすれば泣き止んでくれるか?」

 必死に慰める時宮に、大天狗も深く鼻息を漏らした。

「折角じゃ。次なる帝に、おぬしの願いを言うてみよ」 

「ぐすっ……。お、おれは、最強の、天狗おんみょ……とし、て、ヒクっ……世の中を、今よりも、ずっと、いいものにっ……」

 途切れ途切れに聞こえる黄呂の願いに、時宮が「え?」と首をかしげる。

「それは俺の務めぞ? そなたが願掛けするほどのことでもなかろう?」

「え……?」

 今度は黄呂が首を傾げた。

「民の幸せを願い、より良い世の中にするは、次期帝である俺の役目ぞ。ゆえに、天狗の子は、違う願掛けをするが良い。民ではなく、もっと己が幸せのための願いを持つのだ」

「己の、しあわせ……?」

「ああ」と時宮が優美に笑い、思わず黄呂は心臓が高鳴った。体中の熱が顔に集まったような気がして、慌てて天狗の面を付けた。

「な、ならばっ……おれを、宮様の家来にっ……」

「んー、臣下かぁ。そういうのは、まだよいかのう」

「では、寵臣ちょうしんにっ!」

「ぶっ! そ、それこそ、いらぬ! 俺は男に興味はあらぬでな! こら天狗、そなたは弟子に何を仕込んだ?」

「なに。我が弟子は、最強となるためならば、如何様いかような修行にも耐えるでな」

「ぎゃあ! 左様なことを口にするでないわ!」 

 聞きたくないと、時宮が耳をふさぐ。

「あ、あのう、宮様。おれは本当に宮様のお役に立ちたくてっ……」

「うーん。そうだのう……」

 視線を外し、頭をかいた時宮が、はっきりと言う。

「折角だがのう、天狗の子よ。俺は臣下となる者は、己が目と耳により見つけ出したいのだ。懇願されて、仕方なく臣下とするは、いやなのだ」

 諭す時宮に、ぐっと黄呂が口を噤む。

「宮様は、おれを見てはくださらぬのですか? 貴方様の目に、我が身は映っておらぬと? そのお耳に、我が声は届かぬと?」

「そういうことではない。いずれ大人になれば、また縁が結ばれることもあるやもしれぬ。そうなりし折、そなたが我が臣下となることもあろう。それまでは、互いに互いの役目を全うしようではないか」

 どこか儚げに笑う時宮に、黄呂はこの縁を失いたくないと思った。

「ならば……ひとつ、お願いがございます」

「ああ。何でもいうてみよ。臣下以外の件ならば、快く聞き入れよう」

「では、この那智山——津縄代神社を、時宮様の庇護下に置いて頂きたく存じます」

「この津縄代神社を親王が厚く信仰するか。まあ良い。そちらの方が、天狗と相対する大江山の鬼らの権勢を封ずることにも繋がろう。分かった、天狗の子よ。今より津縄代神社を、この時宮の庇護下に置く。何があっても、未来永劫、この美しき社を守ることを誓おう。——約束ぞ」

 そう言って、時宮が小指を向けた。それが約束の証であると知りつつも、黄呂は敬愛する時宮への熱い想いから、なかなか自身の小指を差し出せずにいた。

「何をぐずぐずしておるか。こういうのはなぁ、結んだもん勝ちぞ」

 大天狗に手を掴まれ、強制的に小指と小指が結ばれた。どきんと、黄呂の心臓が高鳴る。

「さあ。これにて我が子と親王の縁は結ばれたぞ。決して約束を違えるでないぞ、宮よ。天狗との約束を反故にすれば、如何なる天罰も、決して逃れられぬでな」

 再度大天狗に凄まれるも、「分かっておる」と時宮は涼しい顔で言った。


「——あの時の俺は、そなたとの約束を反故にするつもりなど、毛頭なかった。真に未来永劫、津縄代神社の荘厳たる社を守るつもりでいたのだ。されど、その約束は、俺が無力だったがゆえに、呆気なく破られてしもうた……」

 朱鷺が過去の忌まわしい記憶に囚われ、ぐっと顔を顰める。

 天狗の子の面を外した天罰が下ったのか、津縄代神社行幸後、祖母である桐緒の上に夜這いされ、断った腹いせに、どこの誰と契ったか分からないが、父、夕鶴帝の弟が誕生した。それが後の鷲尾わしお帝であり、その後、時宮は臣籍に落とされ、冷遇される日々を過ごす羽目となった。

「……叔父である鷲尾帝による『美麗狩り』の脅威から、津縄代神社の悲劇を防げなかったは、俺の責任よ。むしろ、俺の庇護下に置いたせいで、津縄代神社は目の敵にされ、焼き討ちにうたでな。俺のせいで、多くの民らが亡くなった……」

 沈鬱な表情を浮かべる朱鷺に、黄呂もまた、その悲劇を思い返した。



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