第15話 麒麟と風

 水影みなかげが落としていった赤米あかごめを追って、朱鷺とき安孫あそん麒麟きりん満仲みつなかの四人が、森の奥へと走っていく。そうして古びた小屋に辿り着き、「あそこぞ! あそこに水影らが——」と朱鷺が口走ったところで、その小屋の周りを、無数の鬼らが取り囲んでいることに気が付いた。

「なっ! 何故なにゆえ鬼の者らがおる?」

 それには朱鷺も驚嘆の声を上げ、「鬼? の事件に鬼が関わっておったのか?」と安孫もその場に立ち止まり、さっと木の陰に隠れる。その後ろに麒麟も隠れるも、「鳳凰ほうおう様っ……」と水影の身を案じた。

「……はあ。やはり面倒事に巻き込まれたか」

 ただ一人、満仲だけは平常心で、深く溜息を吐く。

「よし、そなたの出番ぞ、満仲。ちゃっちゃと鬼らを退治して参れ。此処から活躍するは、そなたであろう?」

 鬼に見つからないよう身を隠す朱鷺からの、突撃命令が満仲に下される。ぷううう!と頬を膨らませた満仲が、そっぽを向いて、「斯様かような時ばかり!」と可愛らしさ全開に、主からの命令に抵抗する。

「何を渋っておる、まんちゅう。主上よりの命ぞ。ちゃっちゃと鬼を退治して参らぬか」

 真友しんゆうの安孫に言われようとも、満仲はふてくされたままだ。

「えっと、霊亀れいき様? 霊亀様は天才陰陽師でしょ? 鬼退治なんて、余裕じゃないですか」

「つーん」

 麒麟の呼びかけにも、満仲はそっぽを向いたままでいる。朱鷺、安孫、麒麟の三人が同時にイラっとするも、「はあ」と朱鷺が息を吐き、「仕方ないのう」と呟いた。

「……満仲、俺の愛らしい霊亀よ」

「一等が抜けておりまする!」

「ぐっ……俺の一等愛らしい霊亀よ。今すぐ、小屋を取り囲む鬼らを退治して参れ。此れ以上駄々をこねようものならば、そなたの亀頭をへし折り、使い物にならぬようするが、如何どうする?」

 笑顔で苛立つ朱鷺の本気の命令に、「ひい~」と安孫と麒麟がへし折られた亀頭を想像し、悲痛の声を漏らす。何故かそれにキュンとした満仲が、「今すぐ滅して参りますう!」と、颯爽と小屋へと向かって行った。

「それでこそ、我が瑞獣ぞ」

 満足したように、朱鷺が笑った。その隣で、麒麟が安孫に小声で訊ねる。

「九尾様、亀頭って、霊亀様の頭のことでいいんですよね? あそこのことじゃないですよね?」

「う、ううむ。主上のことぞ。何方どちらの意味で使われたのか、分からぬな……」

「お願い、無事に帰ってきて、鳳凰様……!」

 帝と瑞獣の品位を保つためにも、心の底から水影の無事を祈る。


 一方、小屋の中では、男が鬼であるふうを立たせ、外の鬼らと一触即発状態となっていた。

「ねえ、鬼質おにじちのつもりかもしれないけれど、私を盾にしない方がいいと思うわよ」

「うるさい! 今策を練っておるところだ。陰陽師として、鬼の頭領——酒吞童子を討ち取ったとなれば、此度こたびこそ主上のっ……」

 鬼を討ち取った先にある妄想に浸る男の横顔に、水影が、ぐっと顔をしかめる。その時、巨大な鬼の手が小屋の戸を突き破り、風もろとも男を捕らえた。

「なっ……!」

 血反吐をいた男を外に引きずり出し、木の幹に放り投げた。

「ぐっ……」

 風も同様に木に叩きつけられるも、男がクッション代わりとなり、平然と立ち上がる。倒れ込む男の傍に腰を落とし、ふっと笑った。

「ほらね、言ったでしょ。他の鬼ならまだしも、この私に手を出してはいけなかったのよ、アンタみたいな二流の陰陽師はね」

 風が意識を失いかけている男に足蹴りを加えた。仰向きになった男の腹目掛けて、鬼の足で圧し潰そうとした、その瞬間——。

「——面白そうじゃのう。わしも仲間に加えてはくれぬか?」

 背後から上がった声に、ゆっくりと風が振り返る。

「ああ、アンタね。噂の天才陰陽師、不動院満仲とやらは」

 満仲の登場に、小屋の周りにいた鬼らにも緊張が走る。

「ふむ。見たところ、此処ここにおる鬼らは皆、雑魚の集まりのようじゃが、大江山の頭領——酒吞童子は如何どうした? そなたら後宮に潜んでおった鬼らを、救出しに参ったのではないのか?」

「ふん。アイツが私達を助けに来るわけないじゃない。此処ここにいるのは、アイツの下っ端達よ。鬼の頭領は、決して大江山から下りたりはしないわ」

「成程。鬼の頭領は、この天才陰陽師、不動院満仲が恐ろしいとな?」

「はあ? アンタ、よっぽど自分に自信があるんでしょうけど、たかが那智山なちざんの天狗を討伐したくらいで、調子に乗らないで。鬼と天狗じゃ、天と地ほどの差があるんだから」

「左様か。されど、わしから言わせれば、鬼よりも天狗の方が、よっぽど利口じゃがなぁ」

「何が言いたいわけ?」

 赤い瞳で凄む風の着物がなびく。その腕に、竹の刺青が見えた。

「ふむ。竹、のう……」

ふうっ……!」

 森の奥から姿を現した麒麟に、風の目が見開いた。

「りん……」

「風も、鬼だったの?」

「っ……」

 鬼である自分の姿を見られ、風は動揺を見せた。一瞬のスキをつき、満仲が風の額に札を貼り付けた。

「なっ……! これはっ……」

「仕置きの時間じゃ」

 にやりと満仲が笑う。小屋の中から出てきた三人の鬼が満仲に襲い掛かるも、瞬時に額に札を貼られ、身動きが取れなくなった。

「くそう! 陰陽師めっ……」

 屈強な鬼らが一斉に満仲に襲い掛かるも、赤子の手をひねるように、札一枚で次々と鬼らの動きを封じていく。そこに、意識を取り戻した男が上体を起こすも、すべて満仲によって、鬼らが封じられた後だった。

「不動院っ……」

 悔しそうに男が地面を抉る。

「っふ。御前おまえの仕置きは後じゃ。今は鬼らを滅するのが先じゃからのう」

 天地陰陽の構えで、満仲が鬼を滅する呪文を唱える。

「ま、まってください、霊亀さま!」

 慌てて麒麟が満仲の前に立った。その後ろには、身動きが取れない風がいる。

「鬼を滅するのは、勘弁してもらえませんか?」

「何を申しておる、麒麟。これは主上の命ぞ?」

「主上の……?」

「俺か?」

 安孫と共に小屋へと向かってきた朱鷺が、麒麟の肩を掴み、後ろから口を開く。

「主上、此度の件、後宮で消えた女人らは……」

 そこまで言って、麒麟が押し黙った。

「私が説明しよう、麒麟」

「鳳凰さまっ! ご無事で良かったっ……!」

 小屋の中から出てきた水影が、朱鷺の前で平伏した。

「此度の後宮での女人失踪事件、真相は、後宮にて主上の暗殺を企てた鬼らを、女官に化けた陰陽師が捕らえておったに過ぎませぬ。一人、蔓式部のみ、陰陽師の早とちりにて捕らえられておりましたが、その御身おんみは無事にございまする」

 恐る恐る小屋から出てきた蔓式部が、帝である朱鷺の御前ごぜんに、驚きのあまり卒倒した。

「おっと。式部殿? 大事ありませぬか?」

 安孫がその身を受け止めるも、蔓式部が目を覚ますことはなかった。仕方なく、安孫が蔓式部を背負う。

「……して、此度の事件にて、犯人の動機は何ぞ?」

 朱鷺が男に目を向ける。その秀麗な面持ちの中に鋭い洞察力を見た男は、ぎゅっと口を閉じた。

「まあ、それは後でじっくりと聞こう。それにしても、後宮に鬼が潜んでおったとはのう。満仲よ、此れは、そなたの責任でもあるぞ。そなたの最強の式神——四神しじんを召喚しすぎるせいで、都の四方を守る四神に隙ができておったのであろう。簡単に妖を後宮に入れおってからに」

「うっ……。面目次第もありませぬ」

「まあ良い。麒麟よ、そなたは此の鬼らを滅することに、反対か?」

「はい。確かに鬼は、怖い存在です。主上の御命を狙っていたのも、本当のことでしょう。けどおれには、風が悪い鬼には見えないんです。風はいつだって親切で、周りから慕われていて……。ごめん、風。あの時おれは、自分が女だって嘘をついたけど、本当は男なんだ。おれが風に嘘をついていたように、風もおれに、嘘をついていたの?」

 麒麟が風に訊ねた。風が目を反らし、ぎゅっと唇を噛み締める。

「おれね、今でこそ主上の瑞獣だけど、主上に拾われる前までは、浮浪児だったんだ。貧しくて、いつも腹がへっていて、他にもたくさん浮浪児がいたから、生きるために、いろいろな罪を重ねたよ」

「……だからなに? アンタは人で、私は鬼。生きる場所も、寿命も、価値観も、何もかも違うじゃない」

「うん。そうだね。でもおれは、風と友達になれたと思っていたんだけどな」

「友達……?」

 風が麒麟を見上げた。その目に、うっすらと涙が浮かんでいる。

「うん。女中の仕事は大変だったけど、それでも楽しかったのは、風のおかげだよ。帝様は……主上は、人も鬼も、この国に住まう者はみな、御自分の民だと思われているよ。主上は本当に、名君なんだ。その名君の影が、おれ。おれの名は、麒麟。大層な名だろ? でもね、主上にいただいた、大切な名なんだ。だからどうか、おれの大切な人を食べないでほしい。きっと鬼の世の安穏も、主上なら願われているはずだから」

 麒麟が笑って朱鷺に目を向ける。水影もまた、麒麟と同意見だった。

「……ふう。まったく、我が影、麒麟にも困ったものぞ。されどまあ、流石は俺の影ぞ。よう俺の気持ちを代弁してくれたな。此の都造みやこのつくりこ朱鷺が統べる我が国においては、人も鬼もすべからく帝の民。ゆえに、共に生きて参ろう。人も妖も、安穏こそ、最大の願いであろう?」

 朱鷺——帝の言葉に、鬼らが涙を流す。風もまた、一筋の涙を流した。

「風、これからも友達でいてほしい。もうお互い、後宮には入れないけど、こうして外の世界じゃ、いつでも会えるだろう? ねえ、風」

 麒麟が風に向かい、手を差し述べた。主の考えに触れ、満仲が鼻息を漏らし、鬼らを封じていた札の効力を解いた。ひらりと札が落ち、風がそっと笑う。

「りん……。違ったわ、麒麟ね。そうね、私達、本当に良い……」

 風もまた、麒麟に手を伸ばした。そうして触れ合う間際、風の心臓を鬼の手が背中から突き刺した。

「なっ……」

 血しぶきと共に、風の体が麒麟の下に崩れ落ちた。風の背に、突如現れた三度笠さんどがさ袈裟けさ姿の男。

「何者ぞっ……」

 ぎりっと問いただす朱鷺の隣で、満仲がさっと構える。

「安孫のすけ、御前おまえは主上をお守りせよ。此の者は、わしが片付けるっ……」

「承知っ」

「蔓式部を」

 そう言って、水影が安孫から蔓式部を受け取る。水影は蔓式部を小屋の中に寝かせた後、瀕死の風の前で狼狽する麒麟に叱咤した。

「麒麟よ、今のそなたは、無力にあらず」

「ほうおう、さま……?」

 麒麟が泣きながら、瀕死状態の風の処置に当たる水影に、ぐっと目を瞑る。拳を握り締め、瞼を開けた。

「おれも手伝います。何をすればいいですか?」

「清潔な繃帯ほうたいと、止血用の紐。それから大量の水を」

「分かりました! すぐに持ってきます!」

 そう言って、麒麟が町へと走っていく。一刻を争う中、水影は、風に致命傷を与えた袈裟姿の男に目を向けた。

「ああ。鬼の心をほだすなど、流石は帝。その血が不老不死の秘薬となるは、真かな?」

 余裕の笑みを浮かべる男が、風の血が付いた鬼の手で三度笠を持ち上げ、ギロリと朱鷺を睨みつける。その瞳は深紅に燃え、秀麗な面持ちであっても、左目に鋭い引っ搔き傷が走っている。

「我が血が不老不死の秘薬となるかは知らぬが、鬼が坊主を生業としておるのか。そなたがの有名な、大江山の頭領——酒吞童子か?」

 朱鷺もまた、顔に笑みを浮かべ、訊ねた。一方満仲は相手が相当の鬼であると悟り、一瞬たりとも気を抜かない。安孫もまた太刀を抜き、手練れの鬼と対峙する。

「さてな。答える義理もない。ワシはただ、人風情に絆されおった鬼らを、ほふりに来ただけよ」

 そう言って男が、あっという間に鬼らの首を掻っ切った。それには、朱鷺や瑞獣らも面喰い、風を治療していた水影の顔にも、返り血が飛んだ。

「——鳳凰さまっ! 向こうの小屋に繃帯が——」

「来るでないっ、麒麟!」

 喚くように制止した水影に、思わず麒麟も立ち止まった。

「……麒麟よ、そなたは何も見るな。其処そこにおれ」

 諭すような朱鷺の言葉に、ぐっと麒麟が押し黙る。辺りに鬼の死体が散らばるも、それを見ないように目を伏せた。

「非道なる鬼よ、此の者らは、そなたの同胞ではないのか?」

 朱鷺が真っ直ぐに手練れの鬼に訊ねる。

「鬼は決して、人とは相容れぬ。そうだと言うに、此の者らは、あろうことか帝の言葉に絆され、情を通じようとした。その時点で、高潔無慈悲な鬼にあらず。虫けらも同然よ」

 朱鷺が、かろうじて息のある風に目を向けた。他の鬼らは全員、首を掻っ切られ、息絶えてしまっている。怒りから、ぐっと拳を握った。

「……人も鬼も、すべからく帝の民。我が民の命を奪った罪は、相当重い」

 手練れの鬼に向ける怒りが、臣下である瑞獣らにも伝わる。満仲もまた、無残なこの光景に、陰陽師としての怒りが湧き上がって来た。幼い頃から切磋琢磨してきた安孫に目配せし、互いに小さく頷いた。


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