第14話 女人らの正体

 目覚めた水影みなかげは、自分が何処どこかの小屋の中に連れさられたことを悟った。後ろ手に縄で縛られ、身動きが取れない状況でも、水影は冷静に周囲を見渡した。するとそこには、五人の女人らの姿があった。みな水影同様、縄で縛られ、意識を失った状態でいる。

「もし、女人方、私の声が聞こえておられる方は、お返事くだされ」

 何処に犯人が忍んでいるかも分からない為、水影は慎重に声を掛けた。すると、「……ん?」と、目覚めたような声が上がった。

「良かった、生きておられたか」

 何かしら反応があったことに、水影は安堵した。そのまま小声で訊ね、状況を把握していく。

此処ここにおられます皆さま方は、後宮にて行方知らずとなられた方々にございまするか?」

「……ええ。私はつる式部。貴方は?」

 縄で縛られ、壁に体を傾けた状態で、蔓式部が訊ねた。

「私も後宮に仕えておる女官にございます。皆様同様、昨晩、此方こちらに連れ去られました」

「そう、なら貴方も……」

「蔓式部殿、伊角納言いすみなごん様が、大層貴方様のことを案じておられました。あともう少しで此処から解放されるはずにございますれば、もうしばし御辛抱あれ」

「伊角納言様が……。そうね、執筆中の物語もあるし、生きて帰らなくては。でも、他の者達は……」

 そこで、俄かに蔓式部の声が震えた。その身もガクガクと震え、何かに怯えている。

「蔓式部殿? 如何いかがされましたか?」

 急変した様子の蔓式部。彼女の周りに項垂れる女人らから、水影は鋭い殺気を感じ取った。

「あなた……あなたもまた、この女人達と同じ……」

 他、四人の女人らが目を覚ました。その鋭い眼光が様々な色の瞳を宿し、水影に向けられる。

「やはり、女人らの正体は……」

 固唾を呑んで、水影が言う。

「貴殿ら、後宮にて失踪した女人らは、——大江山の鬼」

「ふっ」

 赤い瞳で嘲笑を浮かべたふうが、「ええ、その通りよ」と水影に言う。頭には二本の角があり、口元から牙が覗いている。

「まさか鬼が後宮に入り込んでおったとは。まったく、最強をうたっておるくせに、役に立たぬ天才陰陽師よ。……貴殿らの目的は、帝の御命か」

「ええ。後宮であれば、簡単に帝とお近づきになれるでしょう? 女中に歌人に女房、身分を変えて忍び込んだと言うのに、今代の帝は後宮に入ろうともしない。軟派な女好きだと聞いていたのに。まったく、男に鞍替えしたのなら、先に言いなさいよね」

 ぶつくさと文句を言う風に、水影は冷静に状況を分析する。蓮に春馬小町、戸鞠とまり女房は鬼であるものの、怯える蔓式部だけは人の姿である。

「……蔓式部殿、貴殿は鬼ではないのか?」

 完全に男の声で、水影が蔓式部に問う。

「だから私は人だと言っているでしょう! なんで私が鬼と間違えられるのよっ……!」

 完全に取り乱した様子で、蔓式部が言い放つ。しくしくと泣き始めた。

「やはりか。貴殿の私物からは、吉祥文様きっしょうもんようが刻まれし物はありませなんだでな」

「吉祥文様?」

 顔を上げた蔓式部が、「確かあの男も、そんなことを言っていたような……」と、呆けたように呟く。

「あの男? あの男とは一体……」

 そこまで言ったところで、俄かに小屋の戸が開いた。朝日が差し込み、中にいた女人らが眩しそうに顔を反らす。朝日を背に現れた、フードを被った何者か。

「……後宮の女人らを誘拐しておった犯人は、貴殿であったか、——浅比あさひ女官」

 ふっと浅比女官が笑う。

「あさひ女官……って、だれ?」

 蔓式部があんぐりと訊ねた。

「ん? 浅比女官は、伊角納言殿の取り巻きの一人。貴殿とも顔見知りでは?」

「いえ? 確かにこの者に連れ去られたけれど、初めて見る顔だったわ? 伊角納言様の取り巻きには、いなかったと思うけれど……」

 その言葉に、水影は眉をひそめた。

「ふっ。ふふ」

 浅比女官が女の仕草で笑ったかと思うと、次の瞬間には、黒と白の狩衣かりぎぬ姿の男に変わり、豪快に笑った。

「この男よ! この男が散々私を鬼だ何だと言って、早く正体を晒せと言ってくるの! 私は人だと何度も言っているのに聞かないのよ!」

 ヒステリックに蔓式部が叫ぶ。

「……うるさい。御前おまえは鬼だ。他の奴らは正体を晒したというのに、強情な女よ」

「だからっ……!」

「ふふ」

 風が笑った。

「可哀想に。ねえ、そこの陰陽師。この女は正真正銘、人の子よ。いい加減、自分の過ちを認めたらどうなの?」

「そうよ。鬼が吉祥文様を好むことに気づいたのは、褒めてあげる。でも、いくら名前が蔓だからといって、それを吉祥文様として見たのは間違い。意気揚々と一番に捕まえたこの女を、人の子と認めたくないのは、分からないでもないけれど」

 青い瞳で戸鞠とまり女房が嘲笑する。

「うるさいっ、黙らぬか!」

 男が天地陰陽の構えで、戸鞠女房の腕に傷を与えた。「いっ……」と苦悶の表情を浮かべた戸鞠女房の装束が避け、そこから血がしたたり落ちる。

「ふん。後宮に潜む鬼を捕まえたのは良いけれど、私達を滅することが出来ない以上、あんたは二流の陰陽師。いくら私達を甚振いたぶろうとも、天才陰陽師、不動院満仲には勝てないわ?」

「ぐっ……! その名を呼ぶな!」

 挑発した緑色の瞳の蓮に、男がいきり立つ。戸鞠女房同様、蓮の体にも傷を与えた。蓮の腕や足は男に付けられた生傷が痛々しく、その首には、牡丹の首飾りが掛けられている。ただ一人、歌人として後宮に潜入した、黄色の瞳の春馬小町は、沈黙したままだ。そこに、静観していた水影が事件の真相を語った。

「……此度こたびの後宮での女人失踪事件。それは、帝暗殺がため、後宮入りして間もない鬼らを、女官に変化した陰陽師が捕らえておったに過ぎぬ。とんだ茶番劇に付き合わされたようで、何とも腹立たしくはあるが、こうして人である蔓式部殿を救出出来たのであれば、それ幸い。……鬼並びに鬼を捕らえし陰陽師よ、罰を受ける覚悟は出来ておりますかな?」

 水影がじっと男を見上げ、憤怒の表情で訊ねる。

何故なにゆえ、私まで罰を受ける必要がある? 私は後宮にすくう鬼らを捕らえし陰陽師。褒められることはあれど、罰を受けるいわれなどない」

「真に左様に思うておいでか?」

「なに?」

 男が水影を睨むも、水影もまた、生々しい傷を負った鬼らに対する理不尽を、黙って見過ごすことなど出来なかった。

「いくら相手が鬼であろうとも、斯様かような場所に捕らえ、執拗に甚振いたぶっておったのであろう? たとえ大義があろうとも、斯様な胸糞を、主上は赦されぬ。人も鬼もすべからく帝の民——。主上は、の国に住まうすべての者らを、我が民と御考えにございますれば、貴殿の行いは、決して褒められるものにございませぬぞ」

「……ふん。流石は主上が瑞獣、三条水影か」

 いつの間にか正体がバレていたことに、水影——藍式部が押し黙る。

「ああ、やっぱりアンタ男だったのね。ということは、りんも男かしら」

 風が牙を覗かせて、笑う。

「三条、水影……?」

 その時初めて、春馬小町が言葉を発した。黄色の冷めた瞳が、一気に情熱を帯びた。

「三条水影さまぁ! あの有名な“後宮の文官サマ”の原型となった御方っ……!」

 憧憬の眼差しで、春馬小町が水影を見つめる。

「……ん? 私が“後宮の文官サマ”の原型? 真ですかな? つる式部殿」

 ヘイアンのベストセラー作家、蔓式部に、自身の作品である『後宮物語』の主人公——“後宮の文官サマ”のモデルが自分なのかと訊ねた。明らかな動揺を見せつつも、もごもごと蔓式部が言葉を発する。

「ま、まあ……、名門貴族の生まれで、歌や舞にも秀でた、冷静沈着な文官。帝からの信頼も厚く、美形。すべてを兼ね備えた三条水影様を、参考にはさせていただいたけれど……」

「まんま“後宮の文官サマ”ね。あなたも気づかなかったの?」

 戸鞠とまり女房に訊ねられ、「読者であった頃は、よもや私だとは思わず。されど、結果として、同じ境遇にはなりましたがな」と水影が女官に扮装し、後宮に潜入したことを白状した。

「うわああ! 目の前に今、“後宮の文官サマ”がいらっしゃるなんて、信じられなーい!」

 キラキラの瞳で、縄で縛られた春馬小町が水影に近寄っていく。その体もまた、男に傷つけられ、痛々しい。

「春は、『後宮物語』の熱狂的な読者だから」

 やれやれと、蓮が説明した。

「人の世の物語なんて、何が面白いのかしら」

 風もまた、その情熱に冷めた瞳を向けている。

「まさか、読者の中に鬼もいたとは。帰ったら、伊角納言様にもお伝えしなくては」

 それでも嬉しそうに、蔓式部が言った。

「作者不詳だったから分からなかったけれど、まさか『後宮物語』の作者様が蔓式部様だったなんて! 感動~!」

「ふふ。ありがとう。まあ、『後宮物語』は、伊角納言様との共同作品なのだけれどね」

「まあ! あのいつも不機嫌でいらした伊角納言様も! 納得ですわ~!」

 盛り上がる二人を他所よそに、まじまじと戸鞠とまり女房が水影——藍式部を見る。

「それにしても、見事な女装ね。とても男とは気づかないわ?」

「ほんと。人のくせに綺麗な顔をしているわね。ねえ、アンタ本当は鬼なんじゃない?」

 揶揄からかうように風が言った。

否否いないな。私は正真正銘、人の子ですぞ。それに此度こたびの後宮潜入の任は、主上よりのめい。女官に扮装するよう命じられた結果、私の可能性とやらも、末広がりにございますがな」

 自嘲気味に、水影が笑う。

「ふふ。人の子にも面白いのがいるのね。りんも本当にいい子だし。もっと一緒にいたかったけれど……」

 風が儚く笑い、俯く。

「……もう良いか?」

 完全に蚊帳の外状態であった男が、苛立つ表情で言った。やれやれと、水影が深く溜息を吐く。

「貴殿の目的は何ぞ? 貴殿としては、鬼退治の英雄気取りであろうが、此度の件、私個人としては、許す気になどなれぬ」

「っふ。貴殿に許しをうつもりなど、毛頭ない。私はただ、主上に認めて頂きたいだけだ」

「認めて……? 何を申されておいでか? 貴殿は——」

 その時、小屋の外から不穏な視線を感じた。それは一つ、また一つと増え、辺りを幾つもの不気味な何かが取り囲んでいる。

「これはっ……」

 急に男が焦りだしたのを、水影が怪訝な表情で静観する。

「まさか……」

 ごくりと息を呑んだ男に、「っふ。ふふふ」と、三人の鬼が一斉に笑い出した。

「あーあ。可哀想に。私達を甚振いたぶった陰陽師は、大江山の鬼の頭領——酒呑童子しゅてんどうじ様に喰い殺されてしまうのね~」

 春馬小町が見下した黄色い瞳で言った。

「なっ……! 酒吞童子だとっ……! まさか鬼の頭領が、貴様ら下級の鬼風情を助けに来たと言うのかっ……」

「ふふ。二流の陰陽師風情が、鬼に手を出したばかりに。酒吞童子様は、決して私達を見捨てたりはされないわ? 一体私達に何十発と折檻したかしらね。きっと、その百倍の仕返しをされるはずだわ?」

 蓮も愉快そうに言った。戸鞠とまり女房が牙を覗かせて、自身の口端の血を舐める。

御前おまえの血など、一滴も残らず、喰い尽くしてやろう」

 三人の鬼が不気味に笑う中、リーダー格であった風だけは、この状況に悲痛な面持ちを浮かべている。

「これは窮地にございまするな。『後宮物語』でも、斯様かような急展開がありますれば、蔓式部殿、次なる展開を、貴殿ならば如何どう書き記されるか?」

 水影が“後宮の文官サマ”よろしく訊ねた。

「もういやよ! 早く此処ここから解放してちょうだい!」

 作家としての血より、一人の人間としての血が勝った。水影が「っふ」と笑う。

もあろう。されど、ご案じ召されるな、式部殿。英雄は、遅れて登場するものにございまするからな。此処ここからが、真の鬼退治にございまするぞ」

 そう力強く励ました水影を、風が縋るように見つめた。

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