第13話 急転

 あい式部は、自身が開く文学サロンや、庭の散歩、後宮内を歩く時など、常時、安孫あそんから送られた扇を開き、それで口元を隠した。その扇の絵柄は、吉祥文様きっしょうもんようの一つ、松文様が描かれている。一級品のそれに、藍式部とすれ違う女官らは、誰もが魅入った。その反応を一つ一つ確認しながら、藍式部は、その時を待っていた。

 麒麟きりんが今日の仕事を終え、水影の部屋へと戻って来た。

「今日もつっかれたぁ。……て、あれ? 何を読まれているんです、鳳凰ほうおう様?」

「ん? ああ、ちぃとばかり、調べ物をの」

 机に向かい、水影みなかげが本を読んでいる。その本もまた、安孫に依頼したものだった。それを覗き込んだ麒麟が、「これって……」と思わず息を呑んだ。

「ああ。安孫殿にうてこさせた物が一つ、『文様図鑑』よ。私も吉祥文様については、その多くを知らぬでな。それぞれの意味が分かれば、真相解明にも繋がるのではないとかと思うてな」

 そこには、様々な文様と意味が書かれている。

「蓮の牡丹、春馬小町の宝相華ほうそうげ戸鞠とまり女房のたちばな、そして風の竹、つる式部は未だ分からぬが……。やはりみな、吉祥文様として図鑑に載っておる」

「そして、藍式部様の松文様もですよね」

「ああ。常時、松文様が描かれておる扇を見せびらかせておるでな。後宮に入り日が浅く、吉祥文様が描かれておるものを身に着けておる私であらば、必ずや、犯人の目に留まろう。どのように連れ去るかは分からぬが、その時は頼むぞ、麒麟」

 その策を知る麒麟は、危ない役目を担う水影が心配でたまらない。いつどんな危険な目に遭うかも分からないのだ。水影も有事に備え、肌身離さず、瑞獣の証である鳳凰が刻まれた短刀を持っている。それくらいの覚悟を持って、水影は策を立てたのだ。

「……その役目は、おれがすべきです」

いな。麒麟よ、そなたにはそなたの役目がある。そなたと共に後宮に入ったからこそ、此処ここまで辿り着いたのだ」

「でもっ……」

「麒麟よ、そなたは主上が瑞獣の何ぞ?」

「え? おれは主上の影——麒麟です」

「そうだ。そなたは主上の影ぞ。影には影の役目があろう? 影だからこそ、出来ることもあるのだ。良いな、麒麟。必ずや、犯人の居場所を突き止めるのだぞ」

 自分に信頼を寄せる水影に、麒麟も頷く他ない。そのまま布団に入り、いつかと同じように、水影に背中をトントンされた。その内、ウトウトとし始め、麒麟は眠りに就いた。

 

 夜中、切灯台片手に、かわやへと向かう藍式部。脳裏では、『文様図鑑』から得た知識の下、再度この事件について考察した。

(被害者は五人。その内四人が、吉祥文様に関連しておる。宝相華が空想上の植物であることから、その意味は分からぬにせよ、その他の牡丹、橘、竹については、『長寿』や『不老不死』といった、共通の意味が込められておることが分かった)

「長寿に、不老不死……。そういえば、我が扇、松文様にも、それらと同じ意味が込められておったのう。あの巨漢にしては、良い仕事をしたと褒めてやらんこともないが」

 それを選んだのは偶然であろうが、水影は安孫の働きに、そっと微笑んだ。ふと立ち止まる。扇を開き、再度松文様に目を落とした。

「ある日突然、姿を消した女人ら。その共通点が、長寿、不老不死を意味する吉祥文様……。まさか、女人らの正体は——」

 そこまで口にしたところで、何者かが近づいてくる気配がした。さっと振り返った水影の目に、見知った顔が飛び込んできた。

「貴殿はっ……——」

 切灯台がその場に音を立てて落ちた。フードを被った何者かの呪術により、水影——藍式部の意識が途絶えた。にやりと、フードの中で何者かが笑う。

「——鳳凰さまっ……!」

 そこに、水影の後を追ってきた麒麟が声を上げた。

「ぐっ……!」

 顔を顰めた何者かが、水影を俵担ぎで逃げていく。

「まてっ……!」

 麒麟がその後を追い、後宮の外へと走っていく。御所の門番を術式により蹴散らした何者かが、都の中を逃げていく。

「くそっ!」

 一人ではまかれることを察した麒麟は、手筈通り、犯人追跡の合図である爆竹を鳴らした。それもまた、水影が安孫に依頼した物の一つである。都中に響き渡った爆竹音に、安孫と満仲みつなか朱鷺ときがむくりと起き上がる。

「ようやっとか」

 集結した三人が、麒麟と共に犯人を追う。だが、碁盤の目状をした都では、路地が所々に繋がり、夜明けを迎える頃には、完全に見失ってしまった。

「くそう、何処いずこに消えたか!」

 焦る安孫の隣から、冷静に朱鷺が言う。

「水影のことぞ。こうなることは予見しておったであろう。ならば、何処どこかに目印を残しておるはずぞ」

「目印? ああ、もしや!」

 安孫が地面を見渡した。

「何か手掛かりがあるようじゃな、安孫のすけ」

「ああ。水影殿より依頼された品の一つに、赤米あかごめがあったのだ。何に使うか疑問であったが、自身が連れさられることを予見しておられたのであらば、赤米は恐らくっ……」

「九尾様! こっちに赤色の米が落ちています!」

「やはり! 着物の袖に、赤米を仕込んでおられたか!」

 水影の機転に、満仲も満更ではない様子で笑う。

「流石は、“後宮の文官サマ”じゃのう。じゃが、此処ここから活躍するは、わしらぞ」

「よし。ではその赤米を追い、犯人確保と参ろうではないか」

 朱鷺もまた、ようやく尻尾を出した犯人に、捕らえる気満々だ。

「必ず助けますからね、鳳凰様」

 麒麟もまた、水影救出に、全力を注いだ。


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