第16話 古記と書紀

※物語上、古事記と日本書紀の名は使えず、似て非なるものとして、古記と書紀としています。


 森の奥を、大きな爆発音が鳴り響く。満仲みつなかが手練れの鬼に向かい札を乱発し、隙をついて安孫あそんが太刀で攻撃する。二人の息の合った共闘に、朱鷺ときも満更ではない。自らは動かず、冷静に状況を注視している。

「……鳳凰ほうおう様」

 その場を動くなと命じられていた麒麟きりんであったが、瀕死のふうに居ても立っても居られず、持ってきた繃帯ほうたい水影みなかげに渡した。

「おれも手伝います。おれも風を助けたい」

「麒麟……。分かった。一緒に風を助けよう」

 水影に指示されながら、麒麟は風を助けようと、必死に止血した。それでもおびただしい出血量に、手を尽くした水影も、諦めが見え始めた。次第に風の息も弱弱しくなっていく。

「……麒麟、手は施した。もうれ以上は……」

 水影の言葉にも、麒麟は諦めずに風を止血し続けた。

「風は絶対に助けます! おれが諦めたら、風と友達になれないからっ……」

 風の胸を必死に抑える麒麟の手を、そっと握る、鬼の手。

「……ふう?」

 うっすらと瞼を開けた風が、麒麟に微笑む。

「……ね、言ったでしょ。ろくな目に、遭わないって……」

「風? 何言っているんだ! 風は絶対におれが助けるっ! だから風も諦めるな!」

「ばか、ね。私は鬼、よ。実のむすめも、簡単に、ころすんだから。……鬼の世は、殺戮と規律の、世界。安穏を願う、なんて、夢のまた、夢……」

 麒麟は、風の手から力が無くなっていくのを感じ取った。「いやだ、ふうっ……!」と首を振って、強く風の手を握り締める。

「……ともだち、っていってくれて、ありがと、きりん。だいすき、よ……」

 そうして意識を失った風の手首の脈を、水影が計る。沈鬱な表情で、首を振った。

「うそだ……。風っ……」 

 その場に突っ伏して泣く麒麟の背中を、水影がさする。鼻を啜り、鬼であろうと助けられなかった命に、水影が無念な想いを主に向ける。それを感じ取った朱鷺もまた、目を伏せた。そこに、一人の男が歩み寄る。陰陽師を名乗る男の存在など、すっかり忘れていた水影だったが、男が呪文を唱えた後、風の傷に人差し指と中指を向けると、見る見るうちに傷が塞がれていった。その顔に生気が戻り、一度死んだはずの命が蘇るという摩訶不思議を見せられた。

「……ん? わたし、死んだんじゃ……?」

「ふう? 風! 生き返ったんだね、風!」

 嬉しさのあまり風に抱き着いた麒麟を、冷静沈着な水影が、「これこれ」とひっぺがえす。

「うー! この感動は不可抗力ですう、鳳凰さま」

「ふふ。別に構わないわよ。一時は同じ女中だったんだし」

 すっかり命を取り戻した風に気づき、満仲と安孫と戦っていた手練れの鬼が、その場に立ち止まる。互いに顔や腕から流血するも、満仲も安孫もまだ、笑みを浮かべる余裕がある。それは手練れの鬼も同じであった。

「さて、遊びはしまいじゃ。鬼を追いかける鬼ごっこにも、飽きてきた頃じゃしな」

 満仲が式神召喚の札を出し、天地陰陽の構えで言う。

「出来ることなら、それがしあやかしを斬りとうない。はよう本拠地へと戻られよ」

「本拠地、だと? 我ら鬼こそが、都に住まうに相応しい種族よ。それだのに、我ら闇の眷属けんぞくを大江山に追いやったは、どこのどいつぞ?」

 手練れの鬼の言葉に、満仲が息を呑む。天地陰陽——白と黒。光と影。人と妖。決して相容れない存在の融合こそ、最強の陰陽師が辿り着きたい境地である。

「……の国の成り立ちを記した書紀に、鬼の討伐を記した章がある。そこには、宮家に反旗を翻したがゆえ、鬼の種族らは大江山に追いやられたとある。それが真なら、そなたら鬼が帝をかたきとするのも分かる。じゃがのう、所詮、書紀は書紀じゃ。どこのどいつが書いたかも分からぬ読み物を、いつまでも鵜呑みにするでないわ」

 説教宜しく言い放つ満仲の言葉を、水影もまた聞いていた。代々記紀を研究する三条家に生まれた者として、その謎を解明することは一族の悲願ではあるものの、満仲の意見には、大いに同感であった。

「……ふん。やはり人風情は、何も分かってはおらぬようだな。書紀の作者が不詳であると伝わる人の世において、よもやそれが鬼によって記されたものとは、露にも思わずか」

「なんじゃと? 書紀が鬼によって記されたじゃと? 左様な馬鹿げた話があるか! ならば古記は誰が記したと言うのじゃ!」

 いきどおる満仲の下に、ずんずんと水影が進んでいく。

「鳳凰様?」

「水影……」

 朱鷺もまた、記紀の存在が何を示しているのか分からない。だが三条家にとって、記紀の解明に繋がる証言は、何よりも貴重であると分かっている。どれだけ水影が記紀の研究に興味がないと言おうが、その神髄に触れて、黙っていられるはずなどなかった。

「古記か。宮家の歴史を記したとされる古記は、かつて人の世で起きた大乱の歴史を記しておる。いにしえの人同士の争いにて、勝者となった一族は、敗者となった一族を、遠方へと追いやった。そう、我ら鬼と同様にな」

 初めて聞く古記の内容に、「それは、古記ではありますまい?」と呆然と水影が訊く。

「水影殿?」

 いつもと様子がおかしい水影に、安孫の眉が潜まる。

「おや、賢そうな公達はご存じないかな? 人の世に伝わる古記は、完全なる偽書。正書は大江山に追いやられた、我々鬼が保管しておる。正書なる古記を記した者らが、月へと追いやられる寸でのところで、我らに託したのだ」

「なっ……! 古の月との戦、あれは創作のはずっ……」

 仰天する水影は、それ以上声が出なかった。

「……ふむ。やはり古記は偽書であったか。そしてまた、此処ここでも月が出てくるか……」

 ぼそりと朱鷺が呟いた言葉を、麒麟もまた、怪訝そうに眉を顰める。

「さ。もう良いだろう。ワシも疲れた。そろそろ大江山へと戻らねばのう」

 手練れの鬼が帰路へと着くのを満仲が札で阻止しようとするも、「……命拾いしたのだ。僅かな時間であろうとも、生きるが良い」と呟いた鬼に、それが風への言葉だと知り、そのまま手出しはしなかった。鬼が消え、その場に平穏が戻った。

「っち。鬼風情めにしてやられたわ」

 悔しがる満仲に、水影が問う。

「あの者の話は、真でありましょうや?」

「ん? ああ、記紀の件か。さあのう。れを含め、記紀の謎を解くが、貴殿ら三条家の使命じゃろう? 真実が知りたければ、鬼の本拠地——大江山へ行くしかあるまい」

「そうですな。ならば頼みましたぞ、満仲殿」

「なっ! 何故なにゆえわしが行かねばならぬのじゃ! 貴殿こその有名な三条水影じゃろう! 貴殿こそ大江山へ行くが良い! そうして二度ともどうてくるでないわ!」

「そうですなぁ。ならば此処ここは、日の本一の武人、春日安孫殿に出陣してもらいまする。安孫殿、勅命ちょくめいですぞ。今すぐ大江山へと出陣されよ。そして、正書なる古記を主上に献上奉られよ」

「水影殿、勅命とは、帝直々の命を言うのですぞ。ただの文官が発する命ではありませぬ」

「何を申されるか! 私は三条水影ですぞ! 私のめい、それ即ち、主上の命にございますれば、れは勅命の他ありませぬ! ささ、すぐに出陣されよ! そうして永遠に帰って来られるな!」

それがしが帰ってこなければ、古記も手に入りませぬが……」

「古記だけが無事に帰還すれば良いのですぞ! 貴殿は討ち死にでも何でもされよ!」

「う、……まんちゅう、たすけてくれ」

「阿呆め! それでも武人か! 悔しければ三条のに言い返してみよ! 我が真友がみっともない!」

 辛辣な満仲の言葉と水影の無茶振りに、安孫がシクシク泣きながら麒麟にすがる。

「かわいそうに、九尾様。だめですよ、お二方。九尾様は図体こそでかいけど、意外と繊細なんですから。こうやってお二人にいじめられた時に縋ってくる九尾様は、最高に気色悪いんですから」

 悪意なく、麒麟が安孫に追い打ちをかけた。ズーンと安孫が落ち込む。

れは駄目だ」

 いつかと立場が変わって、水影と満仲が、麒麟の肩に手を乗せ、「めっ!」と首を振る。

「……もう良かろう。俺抜きで愉快そうな話をするでない」

 帝の不興を買い、「面目次第もございませぬ」と四人の瑞獣らが、その場にさっと平伏した。


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