第11話 五人目

 桃が盗人の罪で捕縛され、ますます後宮の女中らの忙しさが増した。麒麟きりん扮するりんも例に漏れず、朝から晩まで働いた。反して、水影みなかげ扮するあい式部は、自身が開く文学サロンが人気を博し、連日その周囲を、絢爛豪華な女官らが取り囲んだ。

「——藍式部様、『水無月日記』はお読みになられて?」

 藍式部の取り巻きとなった女官の一人が、ぼうっと惚けた表情で訊ねる。

「ええ。原奏條はらそうじょう殿が記された『水無月日記』ね。あれは傑作よ。日々の暮らしが日記調で書かれているだけでなく、その日の締め括りとして、一首読まれた歌が秀逸だもの。流石、宮中八歌仙に選ばれているだけあるわ。そうね、私も日記をつけてみようかしら」

 そう言って、女官らの中心で、見目麗しい藍式部が扇の内側で微笑む。その仕草一つとっても、取り巻きの女官らにとっては、憧憬の眼差しを向けるものだった。そこに、宮中一の才女と称される、女流作家、伊角納言いすみなごんが、取り巻きの浅比あさひ女官らを引き連れて、やってきた。

「これはこれは、伊角納言様。本日は、執筆は宜しいのですか?」

 藍式部が、対面に陣取った伊角納言らを、恭しく迎え入れる。

「ええ。たまには気分転換でもしないと、良い作品は書けないのでね」

 そう言って、伊角納言が藍式部に微笑む。

「失踪した女中達の部屋から、金品類を盗んでいた犯人を捕らえたようね。後宮を代表して御礼を言うわ。ありがとう、藍式部」

「なっ! 伊角納言様! 左様な御姿を下々しもじもに御見せになられてはっ……!」

 誇り高い伊角納言を尊敬する浅比女官が、格下の藍式部に礼を述べることを制止するも、「左様な小さきこと、如何どうでも良いのよ」と、伊角納言が穏やかに言う。

「礼を言われるほどのことでもありませぬ。伊角納言様が教えてくださった噂が、功を成したのでございますよ。されど、後宮にて女官らが失踪しておる事件の解決には、未だ至っておりませぬ。此方こちらも、早う解決せねばなりますまい」

 藍式部が、じっと後宮に広がる景色を見つめる。

 周囲が暗転し、水影にスポットライトが浴びせられた。立ち上がった水影が、考察の構えで、ここまでに導かれた事件解決の糸口を語る——。

「ええー、今回の事件、四人の被害者の共通点は、後宮に入り、比較的まだ日が浅いということ。そして、その持ち物に、吉祥文様きっしょうもんようが刻まれておるということにございました。されど、初めに失踪したつる式部の私物には、その文様が刻まれておるものがありませなんだ。蓮の牡丹の首飾り同様、今なお本人が身に着けておるのか、それとも、ただの偶然か……。どちらにせよ、必ず我らで、事件の真相を突き止めてみせまする。藍式部こと三条水影にございました」

 独り言が済み、周囲に光が戻った。藍式部と伊角納言、今や後宮の二大才女となった二人による文学サロンが、再開された。


 麒麟が属する下働き界隈では、リーダーであるふうが、休憩中の女中の相談に乗っていた。くりやの中で、女官らからお恵みでもらった干菓子ひがし片手に、深刻な相談相手をしている。それを麒麟もまた、皿洗いをしながら、聞き耳を立てていた。何が事件解決の糸口となるか分からない以上、仕事をしながらも、耳や目で、辺りの状況を窺っている。

「——へえ。顔も知らない相手に嫁ぐなんて、それは深刻な悩みよねぇ。でも、お相手は、お金持ちなんでしょう?」

「はい、一応そうらしいんですが。一度も会ったことがない人と、いきなり結婚なんて言われても……」

 若く麗しい女中が、自信のない縁談話に目を伏せる。

「まあ、結婚したら、こんなところで働かなくてもよくなるんだし。思い切って、受けたらいいじゃないの。案外、会ってみたら、いい男かもしれないわよ? それに、次も同じような殿方との縁談が舞い込んでくるとも、限らないんだし」

 背中を押す風の言葉に、相談をしていた女中が顔を上げた。

「そう、ですよね。……うん、わたし、決めました。思い切って、縁談を受けようと思います」

「その意気よ! お見合い結婚だろうが、恋愛結婚だろうが、最初はどちらも初対面の男女なんだし。後ろ向きに考えるんじゃなくて、前向きに考えましょうよ」

「はい! 風さんに相談して良かったです! ありがとうございました! あ、わたし、次の仕事があるので、失礼します」

 そう言って、女中は仕事に戻っていった。風と二人きりとなった麒麟が、皿洗いをしながら、「ほんと、風は、頼れる姉御って感じね」と褒める。

「あら、聞いていたのね、りん」

「ええ、まあ。でもこれでまた、女中が一人、いなくなるのね……」

 その事実に、麒麟が過労気味に笑う。女中の数が少なくなればなるほど、人手不足となるのは必至だった。そうなれば、今以上に忙しくなる。

「それにしても、後宮で働いていても、縁談話が来るんだね」

「ええ。後宮に仕える女中も女官も、美人が多いから。その噂を聞きつけた外の連中が、縁談話を持ってくることもあるわ。でもここには、あわよくば……って考えている女人も多いのよ」

「あわよくば?」

「ええ。あわよくば、帝様とお近づきになりたいとね」

「帝様と? それってつまり……」

「ええ。帝様に見初められれば、自身が后となることも、中宮となることもあるかもしれないじゃない。みんなそれを狙って、特に美人は後宮に入ってきたりするのよ」

「そうなんですね。知らなかった……」

「でも、今の帝様は、朔良式部様を引きずっておられるのか、未だ后も中宮も置かれていないわ。それどころか、後宮に入られることもない」

「ああ、主上は……」

 そこまで言って、麒麟は口を閉じた。

「あれだけ眉目秀麗、色男だと評判の帝様が、後宮に入られないなんて、信じられないわ。女人遊びよりも、臣下である瑞獣の方々と戯れられていることが多いと聞くわ? 瑞獣の方々も耽美だと聞くし、男に鞍替くらがえしたのかしらね」

「ぶふっ……」

 思わず麒麟が吹いた。

「りん? どうしたの?」

「い、いや」

(主上が男に鞍替え? んなわけあるか!)

 落ち着きを取り戻し、麒麟が話をつづけた。

「そういう風も、もしかして帝様とのあわよくばを?」

「んー? さあ、どうかしらね。でも、選ばれるためには、美人の数を減らさないといけないしね。その労力を考えると、夢見るだけ無駄とも思うけど。でも、いつかは……」

 そこまで言って、風が沈黙した。

「風? どうかしたの?」

「ううん。それよりも、ずっと気になっていたのだけれど、貴方と藍式部様は、恋仲同士なの?」

「はあああ? ど、どうして?」

「どうしてって、同じ日に後宮に入ってから、ずっと一緒の部屋で寝起きしているじゃない。身分差もあるのに、後宮内では、『藍式部様と女中のりんは恋仲なのでは?』という噂が立っているほどよ?」 

「いやいやいや! ちがうって! おれたちはそういう——」

「おれたち? なに? あんたもしかして……」

「ち、ちがうよ! うちの村では、女でも自分のことをおれって呼ぶことが多くてっ……! つい昔のくせで言っちゃったのよ!」

 慌てて否定するも、風からの疑惑の眼差しが止まらない。

「そ、それよりも! わたしも気になっていたんだけど、前に一度ちらっと見えた、その刺青いれずみって……」

 話題を反らそうと、麒麟が風の腕の刺青を指さした。

「ああ、これね。見てみる?」

「いいの?」

「ええ。りんなら特別に見せてあげるわ」

 そう言って、風が着物をまくり上げた。そこには、真っ直ぐに伸びる植物の絵柄が刻まれている。

「これって……」

「これは竹を象った刺青よ」

「へえ。昔付き合っていた男に彫られたって言っていたけど……」

「ええ。まあ、愛している証みたいなものだから。でもまあ、今となっては、消してしまいたいけれど」

 風が哀しそうに笑ったのを、麒麟は見逃さなかった。自身の胸にも刻まれている麒麟の刺青を見せようとして、ぐっと思いとどまった。

「……私もいつか、刺青を入れてみたいな」

 麒麟がそう言ったのを、風が自嘲を浮かべながら言う。

めておいた方がいいわよ。きっと、ろくな目に遭わないだろうから……」

「風? どうしたの? どうしてそんなに哀しそうなの?」

「んー? まあ、長く生きていると、色々なことがあるから」

「ふふ。まるで不老不死を得た人みたいなことを言うんだね」

 何気なく言った麒麟の言葉に、風は何の反応も示さなかった。ただ、「ふじ……」とだけ呟いたように聞こえた。

「風?」

「なんでもないわ。ほら、まだまだ仕事も残っているし、夕餉ゆうげの野菜を取りに行くわよ」

 明るさを取り戻した風が、皿洗いを終えた麒麟の背中を押しながら、食材の貯蔵庫へと向かって行く。

「ええー? ちょっと休憩しようよー」

「だめよ。人手が足りないんだから、若いモンは働く働く!」

 背中を押されながらも、麒麟は愉快な表情を浮かべた。風も屈託ない笑顔を浮かべている。


 どこか仄暗い過去を隠し持つであろう風との友情を深められたと思った、翌朝——。

 

 風の部屋の前に、多くの女中や女官らが集まっていた。

「また女中がいなくなったの? これで何人目よ?」

 女官らが肝を冷やしている隣では、風を慕っていた女中らが泣いている。そこに、麒麟と水影が姿を現した。只ならぬ状況にも、水影はすぐ、理解した。ただ麒麟だけは、呆然とする頭で、その名を呼んだ。

「風……?」

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