第10話 陰陽師の罰

 夜も更け、しんと静まり返る後宮の廊下を、一人の女人が、そっと歩く。とある部屋の前で立ち止まり、すうっと襖を開けた。女人は部屋へと入ると、小物入れから髪飾りや装飾品を取りだし、それを懐に入れた。そこで、さっと切灯台の明かりに照らされた——。

 驚いて振り返ると、そこには、切灯台を持つあい式部とりんの姿があった。

「……やっぱり貴方だったんですね、桃さん」

 ぐっと桃の顔が険しい表情となるも、「何のことですか?」と白を切る。

「私はただ、昼に出来なかった戸鞠とまり女房様の御部屋を、掃除しに来ただけですよ?」

「っふ。昼もそう申しておったが、そなた、掃除という割に、何の道具も持ち併せてはおらぬようだが?」

 女人の声色であっても、桃を追い詰めるため、水影は強い口調で言った。

「そ、それはっ……! ああ、宵の刻ゆえ、忘れてきました。今取って参ります」

 そう言って逃げようとする桃の前に、藍式部が立ちはだかる。

「であらば、その懐に納めし装飾品の数々を、返してもらおうか」

 ぐっと喉の奥を鳴らし、桃は後ずさった。懐を掴み、その中の装飾品を握り締める。

「隠しても無駄ですよ、桃さん。そこに戸鞠女房様の私物が入っているんでしょう? もう、言い逃れは出来ませんよ」

「くっ……! なぜ分かったのっ」

「先程も申したが、昼にの部屋で鉢合わせになった際も、そなたは掃除道具を持っておらなんだでな。それに、いくら女中といえど、上役の命令もなしに、失踪した女官の部屋を勝手に掃除するなど許されぬ。今日、そなたはりんと同じ厨番であったのだろう? そもそも人手が足らず、激務である女中が、当番でない仕事を進んで行うことほど、面妖なことはないでな。そなたの言動は、何から何まで怪しかった」

「くそっ! 何よ、新入りのくせして!」

「桃さん、どうしてこんなことを……」

「うるさいわね! どうしてって、生きるためよ! あんた達には分からないでしょうけど!」

 開き直った桃が、鼻息荒く、説明する。

「そうやって、失踪した女人らの部屋に忍び入っては、残された金品や装飾品などを盗んでおったのだな。りんよ、我らは思い違いをしておったのだ。元より物数が少ない訳でも、いなくなることを見越してでもなく、単に盗人によって、空にされておっただけぞ」

「桃さん……。もうこんなことをしてはいけませんよ。いなくなった蓮さんのことを、貴方も心配していたじゃないですか」

「ふん! 心配しているのは蓮のことじゃなくて、蓮が付けていた牡丹の首飾りの方よ! 夜にいなくなったのなら、その首飾りも部屋にあると思っていたのに! どこにもなかったわ! きっとまだ、蓮が付けているのよ! あれが欲しかったのに!」

「——成程。あの噂は真であったか」

「うわさ……?」

 興奮し、乱れる息で桃が聞き返した。

「ああ。つる式部、戸鞠とまり女房、春馬小町、蓮。失踪した順番ではなく、身分の低い者の部屋から順番に、装飾品が根こそぎ消えておるとの噂よ。ゆえに、犯人は、位低き女人ではないかとの噂よ」

 水影の脳裏に、伊角納言が教えてくれた噂が蘇った——。

『——失踪した順番ではなく、身分の低い者の部屋から、金品が消えてなくなっているとの噂よ。それを聞いて、慌てて蔓の部屋に残されていた小物入れを、私の部屋に隠したわ。本人だけでなく、その私物までなくなってしまうなんて、そんな辛いことないもの。けれども自分の部屋に置いておくのも怖くて、こうしていつも持ち歩いているのよ。恐らく、位の高い女官の部屋には入れない、女中身分が犯人なのでは、という噂よ』

「そっか。戸鞠女房や蔓式部の私物が無事だったのは、簡単に立ち入ることが出来ないからか。ずっと、機会を窺っていたんですね。それじゃあ、この一連の失踪事件の犯人も……!」

「それは知らないわよ! 私は失踪事件でいなくなった女の部屋から、金品を盗んだだけ! そっちは知らないわよ!」

 ふんとそっぽを向き、桃が言い放つ。

「まあ、そうであろうのう。それすらの犯人であらば、失踪後に盗み入るなど、せぬであろうからな。さてと、桃。そろそろ仕置きを受ける覚悟は出来ておるか?」

 ううっ、と涙ぐむ桃に、「藍式部様……」と胸が痛む麒麟が視線を向ける。

「なぁに、罪には仕置きを。仕置きには……陰陽師を」

 水影が麒麟に微笑む。その意味を理解し、「ああ!」と麒麟が明るく頷いた。


 翌朝、すぐに満仲みつなかが参内を命じられた。

「——もう何じゃ、朝っぱらから!」

 眠気眼をこすり、白と赤の狩衣姿の満仲が苛立つ。

「まさかもう犯人を捕縛したというのか! くそう! 三条のめ!」

 それはそれで、水影の手柄となることに腹が立った。しかし実際は、後宮より差し出された、金品の盗人への処罰を命じられただけだった。

「……で、どのような仕置きをご所望で?」

 禁中と後宮の狭間——。藍式部とりんの前で、ふてくされたように満仲が問う。

「まさか陰陽師に私を殺させる気っ?」

 縄で縛られた桃が、激しく抵抗する。

「流石に死罪とまではいかぬでな。の者が更生せんとする仕置きを頼みまする、満仲サマ」

 いつもは不愛想な水影が、にっこりと笑う藍式部で依頼する。

「ぎゃああ! サマ付けなどするでないわ、気色悪い!」

 調子を崩された満仲が、全身サブいぼで拒絶反応を示す。

「お願いします、霊亀れいき様。桃さんだって本当は、盗みなんかしたくなかったと思うんです!」

 麒麟が必死に桃を庇う。

「ふん! 生きるために盗んだって言ったでしょ? 生きるためなんだから、罪悪感なんて、これっぽっちもなかったわよ!」

 麒麟から目を反らし、ぎゅっと桃が口を噤む。

「わたしも、生きるために、たくさん盗みをしたよ。仕方がないって、何度も思った。生きるためだって、自分を正当化してさ。そうしなきゃ、生きていけなかったから……」

 麒麟も浮浪児だった過去に重ねた罪を思い出し、桃の気持ちに寄り添う。

「でも、今は真っ当に生きていると、自信を持って言えるようになったんだ。おれ……わたしは、たくさんの人達に救われて、今があるから」

 朱鷺ときや水影らの支えがあって、今の自分がある——。麒麟が気持ちを込めて、桃の更生を願う。

「桃さんも、絶対そうなれる。もう一度、自分を信じてみて」

 麒麟の微笑みに、桃が泣くのを必死に堪える。

「ばっかじゃないのっ……!」

 ぷいっとそっぽを向き、満仲からの処罰を待った。

「まったく。素直でない女人はモテぬぞ? そうじゃのう。金品を盗んだ仕置きか……。ならば、我が陰陽寮にて、式神らの世話係の罰じゃ」

「式神の世話係ですって? いやよ、そんな罰!」

「そうか。ならば、秘書係の罰じゃのう」

「ひしょ?」

「そうじゃ。何でも地獄の閻魔大王が、うら若き秘書を探しておるとのことでな。丁度良い、そなた、閻魔大王の秘書係として地獄に——」

「式神の世話係でいいわよ!」

 強引に処罰を選び取り、桃が涙目で満仲を見上げた。

「っふ。その強気は気に入った。されど、盗みは駄目じゃ。その性根を叩き直さんがため、特別に、我が最強の式神——四神の世話係を命じよう」

「もう好きにして……」

 抵抗するのも馬鹿らしく、桃が大人しくなった。その縄を解き、満仲が陰陽寮へと連れていく。後宮側に座る水影と麒麟へと振り返り、満仲が言った。

「そうじゃ、そなたら、いつまでちんたら後宮に居座るつもりじゃ」

「なっ! おれらも早期解決のために動いているんですう!」

 満仲の挑発に、麒麟がいきり立つ。

「ふん! ならば早いところ、犯人を捕縛せぬか! そうでなければ、あと一人、被害者が増えよう」

「あと一人? 霊亀様、何か気づかれたんですか?」

「ふん。それを突き止めるが、御前達に課せられた役目じゃろう? ちんたらせず、働くが良い! ……主上は、後宮での事件に、胸を痛まれておいでじゃ」

 その意を分からせるように、満仲が水影に視線を向ける。

「貴殿に言われずとも、存じておりまする」

 それだけ返した水影に、ふっと満仲が笑った。きびすを返し、陰陽寮へと帰っていく。事件の早期解決で、水影が功績を上げることに焦りを見せた満仲であったが、後宮の内情を知り、早期解決こそが、この国に住まう全ての者らの、安穏たる世の中に繋がることを悟った。


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