第8話 手がかり

 れんの部屋に入った水影みなかげ麒麟きりんは、彼女が残した物の数の少なさに唖然とした。

「後宮入りして未だ日が浅いとは言え、斯様かようにも、もぬけの殻とはのう……」

 水影が考察の構えで部屋の中を探るも、私物と思われるものは、何一つ残されていなかった。

「誰かが片付けたのでしょうか?」

「……否。後宮は、失踪した女人らの遺体が見つかるまでは、戻るのを待つ姿勢でおる。となれば、元より物数の少ない女人であったか、あるいは……」

「いなくなるのを見越していたか……」

 麒麟の推察に、水影が高みから笑う。

「流石は我が弟子ぞ。見事な推察よ。私もその線が濃いと思うておる。それが正しいか、失踪した他の女人らの部屋を確かめようぞ」

 二人が次に向かったのは、三番目に失踪した後宮歌人——春馬小町はるまこまちの部屋。そこもまた、布団一式以外、何も残されていない。歌人だと言うのに、その机には、己が歌の短冊や、歌集一つ見当たらなかった。

「……ふむ。れはおかしい。歌人であると言うに、筆や墨、硯すら見当たらぬとは。そもそも、春馬小町という女流歌人の名など、聞いたことがあらぬ」

 頭の中を巡らせて、水影が推理していく。歌人としても名高い水影。宮中で行われた歌会の中で、春馬小町という女流歌人など、今まで一度たりとも会ったことがない。扇で眉間を押さえながら、「此れは、何かがあるのう……」と、事件の裏に潜む闇に、息を呑んだ。

「残るは、戸鞠とまり女房とつる式部の部屋ですね」

「女房と式部か。此処ここから、位高き女人部屋。簡単に踏み入れられるか如何どうか……」

 水影が心配する横で、麒麟は、春馬小町の部屋の片隅に落ちていた物を見つけた。

「これは……」

 陽の光に照らされていたそれは、黄金色に輝く鈴であった。そこには、五つの花びらを持つ植物が、精巧に彫られていた。

「鳳凰様、これは一体、何の模様ですか?」

 拾った鈴を、水影に見せる。

「此れは……宝相華文様ほうそうげもんよう。されど、鈴に斯様かようにも精巧な文様など、刻めるはずがない。如何どういうことぞ?」

 ますます謎に満ちた事件に、水影が頭を抱える。

「とりあえず、残る女人の部屋へと参りましょう」

「ああ……」

 麒麟に促され、水影は難しい顔を浮かべたまま、二人の部屋へと向かった。


 戸鞠女房の部屋の前で、水影と麒麟は辺りを見渡した。女官や女中がいないことを探ると、さっとその部屋へと入った。やはり、蓮や春馬小町同様、部屋の中は綺麗に片付けられている。しかし女房という立場だけあって、着物や髪飾りといった装飾品は、多く残されていた。その一つを手に取った麒麟が、またもや文様もんようを見つけた。

「鳳凰様、これにも鈴と同じような模様がありますよ」

「どれ。……ああ、これは橘文様たちばなもんようだな」

「橘文様?」

 柑橘系の文様が刻まれた髪飾り。

「不老不死や長寿、子孫繁栄といった意味が込められておる文様ぞ」

「なるほど。……って、あれ? そういえば、蓮さんも……」

「ん? 蓮の部屋には、何も残ってはいなかったであろう?」

「いえ、女中の桃さんが言っていたんです。蓮さんは、牡丹の首飾りを付けていたと。もしかして、牡丹も……」

「ああ。牡丹も文様の一つだが……。牡丹、橘、宝相華……成程、吉祥文様きっしょうもんようか」

 三人の共通点に閃いた水影が、顔を上げた。

「吉祥文様?」

「ああ。となると、残る蔓式部もまた……!」

 そこまで話して、突如として、部屋の襖が開いた。

「なっ……!」

 焦る二人の前に現れたのは、下働きの女中——桃であった。

「桃、さん……?」

「あ……。りんさん、こんな所で、何をされているんですか?」

「え? あ、ああ、実は……」

 そこまで言うも、言い訳が浮かばず、水影に助けを求める。「はあ」と溜息を吐いた水影——あい式部が、気高い表情で言った。

「貴方こそ、女中の身分で戸鞠女房様の御部屋に、何の御用かしら?」

(うわぁ、すり替えたよ。鳳凰様も、良い返しが見つからなかったんだ)

 麒麟が内心そんなことを思っているとは露知らず、藍式部が上から目線で訊ねる。

「あ、すみませんっ……! 行方知らずとなられている方々の御部屋を、掃除しようと思いまして。いつ帰って来られても良いようにと……」

 健気に話す桃に、良心の呵責から麒麟の表情が、きゅっとなる。

「そう……」

「でも、出直します! 御邪魔のようですし……」

 そう言うと桃は襖を閉めて、厨へと戻っていった。

「なんか、可哀想なことをした気がします」

「そうか? なら、そなたが慰めてやれば良い。そろそろ持ち場へと戻らぬと、りんも上役から叱られるであろう?」

 どこかつっけんどんな物言いに、「あれ? 鳳凰様、怒ってます?」と、麒麟が水影の顔を覗く。

「別に怒ってなどおらぬ。だが、ほんのちぃとばかり、謎の一つが解けそうであるがのう」

「えっ? 本当ですか? 何の謎が解けそうなんです?」

「良いから、そなたは厨へと急ぐが良い。また夜にな」

「ちぇー。分かりましたよ、行けばいいんでしょ、行けばぁ」

 ふてくされたように、麒麟が桃を追って厨へと戻って行った。

「さてと、残るはつる式部が部屋ぞ」

 事件解決の糸口が見え始めた水影が、最初の失踪者——蔓式部の部屋へと向かった。


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