第6話 働くりんと、ぼっちの藍式部

 ※本作には「記紀」が出てきますが、物語上、古事記と日本書紀は使えず、似て非なるものとして、古記と書紀としております。

 


 麒麟きりんに化粧を施すゆうの動作を覚えた水影みなかげによって、二人は今日も、完璧な女人姿で部屋から出てきた。

「——よし。では本日より、後宮にて、事件解決の糸口を探ろうぞ」

 水影の指示により、麒麟はまず、くりやに勤める女中らの動向を探った。都の低中層家庭から下働きとして後宮に入った女人らは、みな、目まぐるしく働いている。昨日友人となった風がリーダーのような立場であり、彼女の指示に従うように、みながせっせと朝餉あさげを運んでいく。

「——ええ~、今朝は私が伊角納言様のお部屋番なの~?」

 厨には、本日の当番表が張り出されている。昨日の伊角納言の態度から、下働きの女中にとって、彼女の部屋番になる日は、とても気が重いらしい。執筆中の超大作の締切間近とあって、今朝も機嫌が悪いのは、火を見るより明らかであった。

「はあ。いってきまぁす」

 気乗りしない様子で、今日の伊角納言の部屋番となった女中が、朝餉の膳を運んでいった。

「えっと、わたしは……?」

 麒麟が今日の自分の当番を風に訊ねた。

「ああ。りんはそうね、朔良式部様の御墓の掃除を頼むわ」

「さくらしきぶさま?」

「ええ。ああ、場所が分からないわよね。そこまで案内するわ」

 どこまでも面倒見が良い風の案内により、朔良式部の墓まで辿り着いた。そこは、後宮の裏手にある、木々が生い茂る場所——。一本の桜の木の下に、その女人の墓はあった。

「——朔良式部様。……この御方はね、今の帝様が臣籍でいらした頃の、恋人だった御方らしいわ」

「主上の?」

「え? しゅじょ?」

「あ、ああ! いえ、帝様の恋人だった御方ですか……」

 麒麟は、朱鷺ときが帝になる以前のことは知らない。さきの帝——鷲尾わしお院との確執も、ほとんど聞かされてはいない。安穏たる世を目指す朱鷺の哀しみなど、知る由もなかった。

「なぜ、亡くなられてしまったのでしょうか?」

「鷲尾院の母后——桐緒の上様を暗殺されたとかで、朝裁ちょうさいもなく、斬り捨てられたらしいわ」

「そんなっ……!」

「朔良式部様は、桐緒の上様にお仕えしていらした女官様で、現帝様と恋仲であられたことから、鷲尾院による、粛清だったとのことよ。人の世は本当、権力の下、無力なものよね……」

 朔良式部の墓の前で、風が髪を耳にかけた。その時、その手首から腕にかけて、一つの刺青いれずみが見えた。

「あの、風……その刺青は……」

「え? ああ、違うのよ。これはその昔、付き合ってた男に彫られてね……」

 悪い男に引っかかるようには見えない風が、あたふたと取り繕う。

「じゃ、じゃあ、後はお願いね。私は厨に戻っているから」

 逃げるようにその場を後にした風に、「ん?」と麒麟が首をかしげる。

「別に刺青なんて、悪いものではないだろうに……」

 麒麟は自分の胸元に目を向けた。そこには、帝の瑞獣の証である、麒麟の刺青が彫られている。だが今そこには、女人に扮するため、大量の綿が詰め込まれていた。自分の役目を思い出し、麒麟がそっと息を吐く。そのまま朔良式部の墓前に手を合わせると、

「おれは主上の影、麒麟と申します。後宮にて女人が消える事件真相を突き止めるため、今この場におります。すべてが片付きましたら、また主上と参りますね」と言って、無事に事件が解決するよう、祈った。念入りに墓掃除を終えると、次の仕事に向かった。


 あい式部に扮した水影は、朝餉の後、高級女官らが集うサロンへと向かった。そこでは、文学に秀でた女官らが菓子やお茶などを持ち寄り、自分の見解を話している。本来、女官の仕事は、入内した皇后や中宮らの教育係であるが、空の後宮である今、女官同士の権勢うごめく場と化していた。

「——あら? 見ない御顔ですこと。何方どちらの御家柄で?」

 扇で口元を隠す、絢爛豪華な女官。サロンの中心に座り、涼しい顔で水影——藍式部に訊ねた。藍式部が五人の女官らの前に座り、うやうやしく挨拶する。

昨日さくじつより後宮に入りました、藍式部と申します。三条家の外戚がいせきに当たる家にございます」

「あら、三条家。それは名門の御家柄ね」

「三条家であれば、当然、記紀ききにもお詳しいのでしょう?」

 他の女官に訊ねられ、「ええ、まあ」と藍式部が遠慮がちに答える。

古記こき書紀しょき、貴方は何方どちらに正当性を感じられるかしら?」

「正当性?」

 藍式部が眉を顰める。

「ええ。古記は宮家の歴史を記した書に対し、書紀はこの国の成り立ちを記した書。その何方にも類似点はあるけれど、相違している部分も多くあるわ? 一方が偽書で、一方が正書であるというのが、私達の見解よ」

「成程、左様な見解であられるのですな」

「ですな?」

 思わず男言葉が出てしまった藍式部が、「ううん!」と咳払いする。

「失礼しました。何分、初めての後宮で、緊張しているものでして。ほほほ」

 取り繕うように笑い、何とかごまかす。

「ならば逆にお訊ね致しますが、貴方様方は、古記と書紀、何方が正書であると思われますか?」

「私達は、古記こそ、正書であると」

「古記が正書……。ならば、の国の成り立ちを記した書紀は、偽書であると?」

「ええ。やはり宮家の歴史こそ、この国の歴史。所詮書紀は、後付けの他ないわ?」

「ふふ」

 藍式部が扇で口元を隠しながら、笑った。その態度に、中心に座る女官の眉間が動いた。

「何がおかしいのかしら? ならば、貴方の見解を窺いたいわ?」

 挑発するような態度で、女官が、じっと藍式部を睨みつける。

「そうですわね、私は何方も正書で、何方も偽書であると、そう確信しております」

「はあ? どちらも正書と偽書? どういう意味かしら?」

「そもそも、何百年も昔に記された書に、正当性もクソもありませぬ。その時の権力者の都合よきように描かれたものが、そのまま口伝により、多少脚色されたに過ぎませぬでな。何方も真実を語る一方で、何方も脚色された偽物。後世の者らが正当性云々せいとうせいうんぬんと言い張るものにはございませぬよ。記紀は、物語として読むが丁度良いのです。そのことは、記紀博士である父上も……っと、はは。何の話をしていましたか、な?」

 じいっと五人の女官らが、怖い顔で藍式部の見解を聞いていることに気づき、ごくりと息を呑む。女官らが沈黙したことで、「……ま、まあ、記紀の正当性は置いといて。違う話をいたしましょうか」と、女人の恐ろしさを前に、藍式部が話題を変える。

 つーんとそっぽを向き、その場を立ち上がった女官らが、違う場所でサロンを開いた。一人取り残された藍式部が、げんなりと呟く。

「真、女人の維持と張り合いの場よのう……」

 幸先が思いやられ、深く溜息を漏らした。


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